2025/09/05号 4面

ヴェルディ レクイエムはこうして生まれた

ヴェルディ レクイエムはこうして生まれた 苫米地 英一著 萩原 里香  イタリアの作曲家に関する著書は意外に少ない。日本のクラシック音楽界では、オーストリアを含むドイツ圏やフランスの作曲家を扱った書物が圧倒的に多く、イタリア音楽文化の研究者である評者としては、この状況をなんとかしたいと日々感じている。そうした中、19世紀イタリアを代表する作曲家ジュゼッペ・ヴェルディに関する著書が刊行されたのは誠に喜ばしい。オペラというジャンルにおいて、言葉を音楽で巧みに描き出すことに長けたこの作曲家が、円熟期の筆致で世に送り出した晩年の傑作が《レクイエム》(通称「ヴェルレク」)である。文豪マンゾーニの一周忌である1874年に初演され、モーツァルト、フォーレの作品と並び「三大レクイエム」に数えられる。その誕生秘話を語るのが本書である。  「レクイエム」とは死者のためのミサ曲で、葬儀や追悼の場で演奏されてきた。通常のミサ(キリエ、グローリア、クレード、サンクトゥス、アニュス・デーイ)からグローリアとクレードを省き、代わりに死者を悼む楽曲を配するのが特徴だ。中でも「セクエンツィア」は最後の審判を描く白熱の場面で、多くの作曲家が最大の力を注いだ部分である。ヴェルディのそれも例外ではなく、一度聴けば忘れられない圧倒的な迫力を放っている。  この「ヴェルレク」は、ヴェルディがロッシーニの死を契機として構想した、著名な作曲家たちによる合作レクイエム計画に端を発している。ヴェルディ自身もその一部を担う予定であったが、関係者の多さゆえに「有識者による委員会」の統率は困難を極め、最終的に計画は頓挫した。その後、彼はこの計画のために作曲していた部分を改訂・再利用し、敬愛するマンゾーニを追悼するレクイエムとして単独で完成させるに至った。宗教曲で再び脚光を浴びたヴェルディは、この成功を契機に人生最後のオペラ制作を展開させていく。《レクイエム》への熱狂的な反響と友人たちの後押しを受け、約15年ぶりの新作オペラ《オテロ》(1887)が上演され、さらに最終作《ファルスタッフ》(1893)の誕生へとつながった。これら二作のオペラ台本を手がけたアッリーゴ・ボーイトは、かつてヴェルディを批判していたが、《レクイエム》上演の頃にはその才能を深く理解する最重要の協力者となっていたことは、きわめて興味深い。  本書は、著者自身があとがきで述べるように、「ストーリー仕立て」で書き進められている。苦い記憶の地であったミラノから長く距離を置いていたヴェルディが、二人の女性の支えによって、スカラ座を擁するこの地に再び足を踏み入れる場面から物語は始まる。そこで彼は、かねてより敬慕していた文豪マンゾーニと対面する。その直後に起こるロッシーニの死、指揮者マリアーニとの不和、プロジェクトの崩壊、そしてマンゾーニの死を経て、満を持して《レクイエム》が完成するまでが描かれる。とりわけ合作計画の頓挫をめぐるくだりでは、結末をあらかじめ知る評者でさえ、ヴェルディの苦境に寄り添いながら、行く末を案じる思いに駆られた。  作品そのものの概説ではなく、書簡や新聞記事の引用を通じて、制作の舞台裏――作曲家の心情や、歌手・指揮者の選定過程――を生き生きと伝えてくれる本書には、評者にとっても初めて知る事実が多く含まれていた。研究者の立場からあえて望むなら、著者が紐解いた原典資料の提示があれば、学術的意義も備えた書となったであろう。しかし本書の主眼は「物語る」ことにある。指揮者としてヴェルディ・プロジェクト・ジャパンを主宰する著者のヴェルディ研究の記録を、その意図を汲みつつ、ぜひ楽しんでいただきたい。(はぎはら・りか=イタリア音楽文化研究者)  ★とまべち・えいいち=オペラ指揮者。ヴェルディ研究家として、ヴェルディの作品の研究と演奏を行うヴェルディ・プロジェクト・ジャパンを主宰。一九七七年生。

書籍

書籍名 ヴェルディ レクイエムはこうして生まれた
ISBN13 9784790604099
ISBN10 4790604098