2025/03/21号 3面

取い戻さな!我した琉球先祖ぬ骨神

取い戻さな!我した琉球先祖ぬ骨神 松島 泰勝・伊佐 眞一ほか編 太田 好信  本書は、ほぼ一世紀前に、京都帝国大学医学部の研究者たちが沖縄島北部などから人種学的研究試料として持ち去った遺骨を、元の墳墓に戻し、慰霊することを最終目的にした二つの裁判——「琉球民族遺骨返還等請求訴訟」と「沖縄県教育委員会情報公開請求訴訟」——の記録とそれらに関わる発言集である。  前者の訴訟では、琉球民族の原告5名が京都大学を被告とし、京都大学総合博物館に保管されている遺骨の返還を求めた。後者の訴訟では、「ニライ・カナイぬ会」が沖縄県教育委員会に対し、2019年に国立台湾大学から沖縄県立埋蔵文化財センターに移管された遺骨に関する情報の公開を求めた。移管されたのは、前述の遺骨収集者の一人が、京都帝国大学から台北帝国大学に転任した際に持ち出した遺骨である。  前者は、大阪高裁控訴審判決において原告敗訴が確定したが、次の二点は認定された。第一に、琉球民族は「沖縄地方の先住民族である」こと、第二に、「昭和初期の沖縄が大日本帝国による植民地支配を受けていた」ことである。後者は、原告が情報公開を勝ち取り、大阪高裁での判決確定を受けてか、今帰仁村由来の遺骨は、沖縄県埋蔵文化財センターから今帰仁村教育委員会に移された。今後の遺骨の行方に注目したい。  およそ一世紀前、植民地支配下の琉球で、京都帝国大学の研究者たちは遺族から許諾をえないまま、遺骨を持ち去った。現在では、遺族の許諾なしに、遺骨を持ち去る行為は、刑事罰の対象であるのはもちろん、社会的道徳に照らし合わせても悪行といえる。時代は変わった。  しかし、時代の変化とは裏腹に、何が変わったのかという疑念も浮かぶ。というのも、とくに前者の訴訟において、遺骨を継続占有している大学と遺骨を「国民共有の文化財」と呼び、占有を要求している学会や研究者らは、現在でも(祭祀・哀悼に値する遺骨とそうではない遺骨という)祭祀・哀悼可能性に基づく遺骨の選別を前提にしているからだ。その前提は以前の(収集に適した遺骨とそうではない遺骨という)収集可能性にもとづく選別の反復である。本編著の随所から湧きあがる怒りの声が、その反復を明らかにしている。先祖との絆の回復を拒み、差別的で、呼びかけに応えない不誠実な被告に向けられた非難は、植民地主義がいまだ息づく過去だと訴えている。  わたしは本編著を読み、ホロコーストの生存者であるジャン・アメリーが、1960年代中盤、被害者意識から抜けきれず過去との向き合いを拒否していたドイツ社会に対する批判として、次のように述べたことを思いだした。「時間の逆転」を通し、「未解決の問題が歴史的実践の場に運び出」されることが「歴史の倫理化」である、と。  裁判の結審により、遺骨返還は「歴史的実践の場」に移されたのではないか。裁判は多くの研究者に過去と向き合う「歴史の倫理化」という課題を突きつけた。わたしは研究者という立ち位置にいるが、どんなときに知は植民地主義的になり、どんなときに脱植民地化と連動する知へと変貌するのか、を問うべきだと考えてきた。つまり、知は本質的に植民地主義的ではなく、変化する。研究者にとり、過去との向き合いは、別の未来のあり方を想像するための窓口を提供するのだ。  植民地主義は、先祖の遺骨を奪われた人びとだけではなく、遺骨を奪った研究者をも非人間化した。もし、遺骨返還の拒絶が植民地主義の反復といえるのなら、人間に戻る道筋は明らかだ。それは、研究者や大学関係者が子孫となるコミュニティの人びとらとともに、「歴史的実践の場」において〈遺骨返還プロジェクト〉をつくりあげることである。この共同作業の経験が人間に戻る道をつくる。本書は、裁判の記録というだけではなく、研究者や大学関係者に、その道についていま一度考える材料をも提供している。(おおた・よしのぶ=九州大学名誉教授・文化人類学)  ★まつしま・やすかつ=琉球民族遺骨返還請求訴訟原告団長。  ★いさ・しんいち=琉球近現代史家。

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