2025/02/28号 7面

百人一瞬 Crossover Moments In mylife 52・原研哉

百人一瞬 小林康夫 第52回 原研哉(一九五八―     )  先月の末、日比谷の帝国ホテルで、原さんが昨年、紫綬褒章を受賞したお祝いのパーティが開かれ、なんとわたしまで招いてくださった。なにしろわが人生で、原さんとの「交差」はほんとうに二、三瞬。でも、その出会いは、わたしに、時代を見るひとつの「眼」をもたらしてくれたように思う。  最初は、原さんが拙著『こころのアポリア 幸福と死のあいだで』(羽鳥書店)の装丁をしてくださったこと。この本は、わたしがそれまでに書いたさまざまなエッセイを、「幸福」からはじまって、「こころ」、「手」、「秘密」、「空虚」、「ダイモーン」、「終わりなきもの」……と「光」にいたるまで事典のように並べて編集したもの。それを、原さんは、みずからがペンを手にして白地の上に縦に引いたたくさんの線によって包んでくれたのだった。シンプルで深い、波打つ装丁。  その打ち合わせのために、銀座のオフィスにひとりで訪ねたときに、原さんがわたしの目の前で、「毎日こうしている」と言いながら、紙の上で静かにペンを動かしていくのを実演してくれたのだったが、昨年、刊行した拙著『君自身のアートへ』を書いているときに、パウル・クレーの「線」についてメルロ=ポンティが書いている文章を引用した途端に、その場面が回帰してきた。  で、原さんの日課のようなその「手の儀式」のことを書いてしまったら、わが筆は、原さんとの第二の「交差」にとんで、今度は二〇一六年ミラノの国際デザイン博覧会で、原さんとアンドレア・ブランジさんが企画した「NEO-PREHISTORY 100の動詞」の展覧会へと滑っていった。それは、これまでの人類の歴史を百の動詞でまとめてしまうという大胆な試み。そして、「 Exist」から最後の「100 Regenerate」までで「新先史時代」は終わり、さあ、明日からはまったく新しい「歴史」がはじまりますよ、と宣言する激しいデザイン。わたしはミラノに行ったわけではないのだが、この企画をめぐって、晴海だったか有明だったか、博覧会場の舞台で原さんと公開対話をする機会をいただいた。その時から、この「NEO-PREHISTORY 100の動詞」のカタログ(Lars Müller Publishers刊)は、わたしが、いま人類がどういうところにいるか、について語ろうとするときのもっとも強力な助けとなったのだった。  そう、われわれは、Human After Humanの時代を生きている。そのとき大事なことは、――そこでブランジさんが書いているのだが――「七〇億人の一人ひとりが、一つの例外であり、可能性であり、同時に決して解決することのできない謎でもあるのだ。(/)解決不能な問題の存在を受け入れること、おそらくは、これが二十一世紀の最も重要な進歩のひとつなのである」。  そして、二〇二〇年、原さんがアート・ディレクターをつとめる無印良品の四〇周年にあわせて刊行された大判の『MUJI 無印良品』記念カタログへの寄稿を依頼されて、わたしが書いたのがファンタジックな極小エッセイ「MUJI、地球の夢」。そこにわたしは、そう、NEO-PREHISTORYへの応答として、〈地球は「無印」、人間は「印」〉という「銘(迷?)」を書きつけてみた。  わたしにとっては、原さんは、小さな鍵穴から思いもかけない強い光が差し込んできて、わたしがぼんやりしている部屋の天井が突然、照らされるような感覚をもたらしてくれる夜空の「燈台」のお一人なのだ。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)