百人一瞬
小林 康夫
第74回 辻けい
数年ぶりだったか、先月、新宿のギャラリー柿傳で、辻けいさんにお会いした。けいさん自身ではなく、十数年前にお亡くなりになったご両親、陶芸家の辻清明さんのガラス作品と妻の辻協さんの陶器作品という意表をついた展覧会。でも、壁に一点だけ、けいさんの作品(「奥出雲…斐伊川上流」)も展示されていた。水の流れを通して撚られた「あか」の糸の作品。なつかしい! けいさんの「あか」に会うのは久しぶりだった。
けいさんと出会ったのは九〇年代の初め。その頃、けいさんはみずから編んだ布を携えて、世界各地の〈特別な場処〉に出かけて行き、聖なる水に布を流すフィールドワークを実践していた。韓国の馬耳山、オーストラリアのアボリジニの聖地、カナダのクィーンシャーロット島、さらにはフランス、中国、ネパール、フィンランド等々……布の幅は彼女の身体の幅。それを水に流すパフォーマンスは――当時、わたしが書いたテクストによれば――「芸術と呼ばれる行為よりははるかに祈りに似ている」(『クリスチャンにささやく』水声社、所収)のだった。
だからこそ、その後、わたしは、「祈り」を隠れた軸にして、けいさんとともにいくつかのアート・パフォーマンスを仕掛けることとなった。九四年の「オト・コト・コトバ」(東京デザインセンター)、九七年の「水のほとり、宇宙が響き立つ」(同前)、〇六年国際芸術センター青森における、けいさんのインスタレーション作品「青森―円」を舞台に行った「月」をテーマにした「死と再生」の夜の茶会(『知のオデュッセイア』東京大学出版会、参照)、さらには十五年、けいさんが教授をしていた山形の東北芸術工科大学の祭典「紅花ルネサンス」で、わたしは、紅花がエジプト由来ときいて、それを古代エジプトのイシス神へと結びつけ「イシス、赤の糸を手繰って」という詩的テクストを書いて、一緒に行った東大の大学院生二人がダンスを展開するあいだ、それを読み上げた。
じつは、そのテクストの核はたった三語「赤、aqua、水」と強引に「赤」と「水」をつないで、「生命はくれない/われわれもまた、くれない/赤、aqua、水/赤、くれない/紅!」と歌ったのだった。
画廊の壁に飾られたけいさんの「あか」を見ていると、水のように流れるわれわれの生命の時間を思い出す。ならば、できるかどうかはわからないが、もう一度、けいさんとともに、われわれの生命の「あか」へと祈る詩的パフォーマンスをやりたいなあ、という心が湧いて来るのだが……。
でも、もうひとつ付け加えておきたいこともあって、それは「あか」に至る以前のけいさんの仕事なのだが、織りのテクスチャーが際立ち、「あお」や「みどり」が波打つ布。じつは、(これまで何十冊も本を刊行させていただいている)わたしが、ただひたすら「幸福の書物であってほしい」と願ってつくった一冊『光のオペラ』(筑摩書房)を包み込む装丁と本扉に、けいさんの作品をアレンジさせてもらった。そう、「読書人」という場だからこそ言っておこう、本は、ただテクスト情報の総体なのではない。それらの「ことば」が装丁という「布」に包まれ、一個の「身体(生命)」として立ち上がる……それこそが本の「祈り」であり、「奇跡」であるのだ、と。 けいさんの布に包まれて、『光のオペラ』はいまでも、わたしにとってかけがえのない「幸福の書物」であり続けている(美しい装丁をしてくださった中島かほるさんにも深い感謝を、あらためて!)(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)