2025/11/07号 4面

暗黒のアメリカ

暗黒のアメリカ アダム・ホックシールド著 前嶋 和弘  なんだか、デジャブのようだ。この本で論じられている1910年代と今のアメリカがいろいろなところで重なる。  著者のアダム・ホックシールドは何冊も歴史ノンフィクションの書籍を残してきたジャーナリストだ。本書では、1917年から21年にかけてのウィルソン政権の時代に迫った。  ウィルソンといえば、「平和と民主主義、人権を守る」目的で、第一次世界大戦に参戦。パリ講和会議では、海洋の自由、関税障壁の撤廃、植民地問題の公正な解決、民族自決など、ウィルソンが掲げていた「14カ条の平和原則」が協議のベースになり、戦後秩序の枠組みとなった。戦争の非合法化を訴え、国際連盟の設立を提唱した。休戦と講和の実現に貢献したことによって、ウィルソンは1919年にノーベル平和賞を受賞している。  さらに、「新しい自由」のスローガンの下、ウィルソンは国内的には民主主義の維持・発展を図った。19世紀後半の急激な経済成長の中、頻発するようになった様々な社会問題に対し、自由放任主義から脱却して、巨大化する独占資本の弊害を抑えようとするなどの様々な改革が取り入れられた「革新主義」の時代を象徴する大統領でもある。「リーダーシップを示した進歩的な改革者」というイメージもある。  本書で繰り返し論じられているのは、このウィルソンのイメージが、実際は全くの虚像にすぎなかったことだ。  ウィルソンは確かに「強いリーダーシップ」を示したが、それは行政府への急激な権限集中であり、恐怖政治につながっていった。特に、左派急進派、反体制派、移民、労働者に対しては徹底した押さえつけを行った。  大きかったのは、1917年に諜報活動(スパイ)防止法、1918年に反逆罪法が成立したことだ。これによって、アメリカが警察国家に変貌していく。  社会主義者にとっては、ウィルソン政権が切望したアメリカの第一次大戦への参戦は、支配階級の命令で仲間の労働者を殺すことにつながる。第三政党のアメリカ社会党は戦争への参戦に公然と反対していた。同党の指導者であったユージン・デブスは戦争に反対したとして、1918年、スパイ防止法違反で逮捕されている。デブスは1912年の大統領選挙では、同党の指名候補として、民主党候補のウィルソンと戦った。つまり、ウィルソンは政敵を陥れたのだった。  当時の時代精神は、革新主義という部分的な「上からの改革」を超えた、さらにより社会民主主義的な方向性に向いていた。何といっても1917年にロシア革命が起こったばかりである。労働組合運動も盛り上がっていた。白人で男性中心だった既存の労働組合の連合組織であるアメリカ労働総同盟(AFL)の欺瞞を指摘する人々が、世界産業労働組合(IWW、通称ウォブリー)に結集し、女性、黒人、未熟練労働者を組織化しようとした。  ウィルソン政権はこのIWWを目の敵にし、「治安維持」のために活動家の割り出しに協力し、監視体制を強化していく。愛国自警団であるアメリカ防衛連盟(APL)は、社会主義者への恐ろしい暴力を繰り広げた。ウィルソン政権はこれを黙認した。  第一次大戦に参戦した直接のきっかけが、17年のドイツ軍による大西洋での無差別な無制限潜水艦作戦だった。この時、ウィルソン政権は反ドイツ感情を煽った。ドイツ語の歌集が公然と焼却され、学校でのドイツ語教育は広く禁止された。これは単なるドイツ人に対する差別ではない。アメリカのユダヤ人はドイツからの移民も多く、ドイツ系の名前を持つ。つまり反ユダヤ主義でもあった。  ウィルソンは大統領になる直前はニュージャージー州知事であり、元々はプリンストン大学の学長であったことから「高潔な東部のエリート」というイメージもある。しかし、これも虚像だ。そもそもウィルソンはジョージア州オーガスタ生まれの生粋の南部人(デキシー)であり、生涯を通じて、南部の人種差別主義者の醜い人種観に固執した。黒人に対する極めて深い差別的な発言が本書にも繰り返し出てくる。ウィルソン政権の時代に、KKK(クー・クラックス・クラン)は多くの州で勢力を拡大し、オクラホマ州ではKKKの団員が知事に選出された。リンチ事件は絶え間なく続いた。  1919年10月にウィルソンは重篤な脳卒中を患い、大統領としての職務を実際に遂行することはできなかった。メディア総監視の今ならありえないが、妻が最低限の作業を代行する形で21年初めまでの任期終了まで大統領職からは退かなかった。その間もウィルソン政権の時代のカラフルな悪役たちは跋扈していった。その中には、過激派摘発で知られた司法長官パーマー、司法省急進派課の責任者に任命され、メディア対策にたけたフーバー(その後のFBI長官)がいる。  混乱は1920年の大統領選挙で沈静化する。民主党も共和党も、穏健な性格の候補者を選ぶ。この選挙で勝利し大統領になった共和党・ハーディングは「常態への復帰(リターン・トゥ・ノーマルシー)が公約だった。投獄されていたデブスの刑は、ハーディングによって減刑された。  本書はウィルソン政権の物語だが、読者はその後のアメリカの歴史とどうしても重ね合わせてしまう。自分に反対する声を潰そうとし、大統領に権限を集中していく様は、まるで第二次トランプ政権そのものだ。  もし、歴史は繰り返すとすると、トランプの後はこれを是正する時代が来るのかどうか。その結果が明らかになるのはもっとかなり先だろう。(秋元由紀訳)(まえしま・かずひろ=上智大学教授・現代アメリカ政治外交)  ★アダム・ホックシールド=ジャーナリスト・歴史家。UCバークレー・ジャーナリズム大学院で教鞭をとる。

書籍

書籍名 暗黒のアメリカ
ISBN13 9784622098041
ISBN10 4622098040