2025/02/21号 5面

メアリ・シェリー

メアリ・シェリー シャーロット・ゴードン著 矢澤 美佐紀  一八世紀末にロンドンで生まれたメアリ・シェリーは、「クリーチャーの悲しみを生き生きと詳細に」描いた叛逆的なゴシック小説『フランケンシュタイン』を、十代で手がけた早熟の天才作家として認知されている。だが、後に「この小説の作者としての存在をはるかに超える」功績を残していたことは知られていない(八つの長編小説と五〇以上の短篇やエッセイを出版)。彼女の時代を超えたフェミニズム思想や急進的な政治性は、ヴィクトリア朝の秩序や美徳を乱すと考えた男性批評家、あるいは一族の対面を優先した身内によって、長く歴史の外部へと追いやられてしまったのだった。  本書は、アメリカの研究者で作家のシャーロット・ゴードンによる『メアリ・シェリー Mary Shelley』 の邦訳である(二〇二二年、オックスフォード大学出版局)。訳者の小川公代は、「過去数十年の研究の蓄積が反映された作品論と伝記的情報が見事に融合された入門書」だと述べる(「訳者解説」)。本書を読めば、『フランケンシュタイン』以降の文学的成果を発掘し、複雑な作家的背景との関連のなかで緻密な解析を試みる総合的な研究が、どれほど困難な道のりであったかがわかる。メアリ・シェリーは、彼女の出産故に死亡した、偉大な思想家である母、メアリ・ウルストンクラフトに対して、複雑な自責と敬愛の念を抱いていた。既婚者だった詩人パーシー・シェリーと一六歳で駆け落ちするも、愛する夫は早逝。一人の息子を残して多くの子どもを喪い、正妻や異父姉の自殺といった数多の苦難を体験することで、包摂的なケアの思想にもとづく独創的な文学世界を確立する。  本書は、才能ある女性であるが故に、様々な差別や因習と闘い続けることになった、五三年間の人生を丹念に辿る。第1章「遺産」、第2章「ゴシックの叛逆」、第3章「『フランケンシュタイン』」、第4章「初期の女性の語り手―『フランス、スイス、ドイツ、オランダの一地域をめぐる六週間の旅行記』、『マチルダ』(一八一七~一八二一)」、第5章「『ヴァルパーガ』、『最後のひとり』、『パーキン・ウォーベックの運命』、そしてあらたな『フランケンシュタイン』(一八二一~一八三一)」、第6章「最後の仕事、一八三五~一八四四年」。埋没していた日記や書簡、評論を読み解くことで、メアリ・シェリーの複雑なトラウマと作品とのドラマチックな関係性が解明されていく。『フランケンシュタイン』では、生命誕生における女性の役割の消去や、「親の慈しみあるケア」の欠損が、生まれ落ちたものの魂に深い憎しみを植えつける悲劇を描き出し、クリーチャーと、彼の生みの親であるヴィクターの恋人エリザベスに、人種的な特徴を付与することでレイシズムを告発した。しかし、後の『ロドア』等には、エリザベスとは異なる言挙げする女性が登場。抑圧された人々を逞しくケアする、行為主体としてのヒロイン像が完成されていったのだった。  母の女性解放思想を、実験的小説において一貫して具現化しつつ、その一方で、暴力的な社会によって歪められた男性をも人間らしい姿に再生させようと試みた。時には、社会改革思想を巧妙に後景化することで、作者の真意を読者に密かに伝えようとしたという。彼女を拒絶する父、ウィリアム・ゴドウィンとの確執や制度外のシングルマザーとしてスティグマ化された苦境からの脱出。破天荒だった夫を世に出すために、時代の「殉教者」としてプロデュースした「編集者」としての役割。さらには、不遇な女性たちへの手厚いケア。そして何よりも、書き続けること。これらの粘り強いアクションが究極的に辿り着いたのが、平和主義的な理想としての「感傷的な共同体」――〈共感の共同体〉――の創造だったと論じられる。そこは、あらゆる差別を許さない、「人が『抑圧された者への共感』を発見することのできる場」であった。  『ヴァルパーガ』のヒロインであるユーサネイジアに、「ケア、思いやり、配慮という非暴力の実践」を見ると語る小川の文体は、実直で理知的だ。反知性主義がはびこる不寛容な世界に生きる我々にとって、心ゆさぶられる希望の一冊となっている。(小川公代訳)(やざわ・みさき=法政大学非常勤講師・日本文学)  ★シャーロット・ゴードン=米エンディコット大学栄誉教授・米ミズーリ州セントルイス生まれの作家。一九六二年生。

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