軟式ボールの社会学
三谷 舜著
石原 豊一
「白球」と聞いてほとんどの人が思い浮かべるのは、野球のボールだろう。そしてそれは、白い皮に二本の縫い目が走っている、いわゆる硬球であるのが相場だ。しかし、それは芯があるゆえに硬く、競技力の高い選手がバットの芯で捉えれば100m以上の飛距離が出る上、打球も速い。観戦者の立場からはスリリングなプレーを楽しめる代物だが、年少者や初心者、ピークを過ぎた競技愛好者にとっては怪我のリスクが高いという点で、あまりなじみのないものになっている。日本中にある多くの草野球場では、ファウルボールが周囲に及ぼす危険性も鑑みて使用禁止となっている。
現実には、野球競技者の多数を占める愛好家が日常手にするのは、ゴムの上に縫い目を模した突起が施された軟球である。それゆえ野球・ソフトボールを含めた打球技(本書でいう「ベースボール型競技」)を多少なりとも嗜んだ者にとって、硬球はあこがれの対象となっている。
評者は大学時代、準硬式野球をプレーしていた。この競技で使用するボールは、芯がある点は硬球と共通しているが、外皮はゴム製であるため外観は軟球と変わらず、大きな区分では軟式に分類されている。万年補欠だった評者は、学卒後、草野球をプレーすることになるのだが、若い頃は硬式野球経験者がメンバーや相手チームにいると、臆したものだった。準硬式野球でも、大学上位レベルになると、甲子園出場者や後に硬式の社会人実業団やプロ入りを果たす者がいるのだが、それでも準硬式出身の私が「硬式経験者」にある種の畏怖の念を抱いていたように、「硬式の下位互換としての軟式」は、野球にかかわっている者にとって共通認識となっていることは間違いないだろう。
本書の著者もまた、硬式野球以外で打球技を嗜んでいた者のひとりである。著者は、本書によって、軟式野球だけでなくソフトボールを含めた打球技に加え、軟式テニスを含めた、一般には「硬式」の下位互換とされる諸球技で使用するボールを「軟式ボール」として一括りにし、「軟式競技の未来予想図」を描こうとしている。
著者によれば、そもそも軟式ボールは、明治期以降輸入に頼っていたゆえに希少で高価だった球技用ボールの国産化の結果生まれたものである。その際に、比較的安価なゴムを原料としたため「軟式化」したという。ある意味、近代化を目指した貧国の苦肉の策だったともいえるのだが、著者は、このことが結果として、日本社会を早期に「スポータイゼーション」させる要因となったと説く。
その歴史を辿ると、まず明治後期にテニスボールが、大正時代になって野球のそれが、「軟式化」し、それとほぼ同時期にゴムソフトボールが誕生したという。最近の学校現場では、そのゴムソフトボールですらその「硬さ」が怪我の元になるからと、さらに柔らかい「学校教育用ソフトボール」まで目にするようになっているが、我々がイメージするソフトボールも「正式」なものではなく、本格的な競技大会の際には野球の硬球と同じくコルクの芯が入ったものを使用していることは本書によって評者は初めて知った。
そして著者は、自らが描く「予想図」の先に、自己生存のためオリンピックが採用した「スポーツの都市化」戦略に乗るかたちで、世界野球を統括するWBSCが考案した「究極の軟式野球」とでも言っていいBaseball5を見る。
高価な道具が必要な上、他競技との兼用が難しいフィールド、それにルールの難解さを克服し、未開拓地への普及を進める切り札として考案されたこの「アーバンスポーツ」は、打者がゴムボールを21メートル四方のフィールドに「打ち放つ」ことによってプレーが始まる。投手がいない、多くの道具を必要としない、そしてフィールドで守備をするのが5人という点を除けば、基本的なルールは同じであるため、これまで打球技に馴染みのなかった地域への普及が期待され、現在ではワールドカップも実施されている。
著者はこの新しいスポーツに、スポーツ社会学の大家ノルベルト・エリアスの言う「興奮の探求」を見、打球技の世界的スタンダードになる可能性をも示唆しているが、果たしてどうか。
言うまでもないが、スポーツとは近代的な活動である。つまりは人類の文化史において極めて歴史の浅い現象である。ゆえに今後もそのかたちやありようは変わっていく可能性を秘めている。その可能性を「硬式野球の下位互換」に求めたのが本書の特徴と言えるだろう。
そう言えば、評者が少年の頃流行った人気漫画に未来型の打球技が描かれていた。宇宙空間を行き来する時代のこの競技で使用されるのは5kgもある「超硬球」で、打者は投手が発射機から放つこの球を金属製のバットで打ち返す。それを目にした当時、評者は荒唐無稽だと全く共感できなかったのだが、本書で提示された「究極の軟式野球」の可能性とは逆の「究極の硬式野球」の可能性をこの漫画が示していたことに気づいたことを付け加えておく。(いしはら・とよかず=鹿屋体育大学准教授・スポーツ社会学・スポーツ産業学)
★みたに・しゅん=中京大学任期制講師・スポーツ社会学・スポーツ文化論。共著に『スポーツ社会学事典』など。
書籍
書籍名 | 軟式ボールの社会学 |
ISBN13 | 9784422204802 |
ISBN10 | 4422204807 |