わたしのいないテーブルで 丸山 正樹著 丸山 正樹  『わたしのいないテーブルで』(創元推理文庫)は、コーダ(聴こえない親のもとに生まれた聴こえる子供)であり、手話通訳士でもある荒井尚人を主人公にした〈デフ・ヴォイスシリーズ〉の四作目に当たる作品です。  二〇一一年に『デフ・ヴォイス』を文藝春秋から刊行した時には、まさかそこから十年以上もの長きにわたって書き継いでいく作品になろうとは思いもしませんでした。どのような経緯でシリーズ化されたのか(しかも版元を変えて)については、東京創元社から刊行された二作目『龍の耳を君に』の「あとがき」に詳しく記してありますので、関心ある方はどうぞそちらをご参照ください。  本シリーズでは、刊行時点の時間軸とは必ずしも一致しませんが、現実と同じ時間が流れています。つまり、主人公の荒井も、その恋人として登場し後に妻となったみゆきも、彼女の連れ子であった娘の美和も、巻を追うごとに年を重ねていきます。一作目では小学校にも上がっていなかった美和は本作で中学生となり、一つ前の作品『慟哭は聴こえない』で荒井とみゆきの間に誕生したろう児(先天性の重度聴覚障害児)である瞳美は、ろう学校の幼稚部に通い出しています。  このようにシリーズに「家族小説」の側面が生まれてきたのは、意図したというより、自然な流れでした。読者の皆さんも、「親戚のおじちゃん・おばちゃん」のような心境で、彼らの変化・成長を(時にはハラハラしながら)楽しみにしてくれているようです。  もちろん、荒井家の話とは別に、シリーズそれぞれで「ろう者」「手話」にまつわる出来事(時には「事件」)が描かれます。本作で中心になる出来事は、「ディナーテーブル症候群」についてのものです。聞きなれないこの言葉は、ろう者が「自分以外の家族がみな聴者(聴こえる人)だった時に感じる疎外感・孤独感」のことを指します。それは家族団らんの場である夕食時に最も顕著に現れるため、このような表現となったようです。「家族が自分には聴こえない会話を交わしていて、自分一人、その場にいないように感じる」というろう者たちの言葉から、タイトルをとりました。  皆さんも初めて目にする言葉だとは思いますが、私も同じようにろう者の友人からこういう現象があると教えてもらった時には、とても驚きました。その衝撃をエンターテインメントの枠の中でどう表現していくか、苦心したことを覚えています。  こう書いていくと何だか硬い話のようですが、中心となるのは「ろう者の女性が自分の母親を刺してしまった」という事件で、その謎の解明、裁判の行方と並行して、荒井自身の親との関係、ろう児の教育についての葛藤などが描かれ、シリーズの中でもかなりエモーショナルな要素の強い作品になっていると思います。お恥ずかしい話ですが、私自身、今でも読み返すとつい目が潤んでしまう場面が二か所あります。ミステリーとして、家族小説として、楽しみながら読んでいただければ作者としては嬉しいです。(まるやま・まさき=作家)