2025/02/21号 1面

習近平研究 支配体制と指導者の実像

対談=鈴木 隆×周 俊<指導者・習近平 その思想の根源>『習近平研究 支配体制と指導者の実像』(東京大学出版会)刊行を機に
対談=鈴木 隆×周 俊 <指導者・習近平 その思想の根源> 『習近平研究 支配体制と指導者の実像』(東京大学出版会)刊行を機に  我々はどこまで隣国の最高指導者のことを理解できているだろうか。徹底した資料の読みこみからその実像を解き明かした鈴木隆著『習近平研究支配体制と指導者の実像』(東京大学出版会)が刊行された。本書刊行を機に、著者で大東文化大学東洋研究所教授の鈴木氏と、昨年『中国共産党の神経系』を上梓した神戸大学講師の周俊氏に本書をめぐって対談していただいた。(編集部)  周 ここ十数年にわたり、中国においては政治、社会、経済、文化、あらゆる側面で逆走する現象が生じていて、同時にそれに対する懸念が世界的に高まっています。そしてそれは、鈴木先生が本書で指摘された「習近平」という問題に集約することができるでしょう。その意味で本書は、現代中国の「君主論」であり、非常に時宜にかなった研究だと思います。先行研究を踏まえつつ、資料を丹念に読みこみ、政治学と歴史学のアプローチをバランスよく組み合わせた本書は、間違いなくワールドクラスの研究書だと言えます。  鈴木先生は本書の中で執筆に10年を費やしたと述べられています。つまりそれは、相当早い時期から習近平という政治家の怪しさに気がついていたと言い換えることができるのではないでしょうか。一般的な習近平理解というのは、国家主席の座についた1期目の5年間は比較的低姿勢をとっていて、また改革派の政治家としてよく知られる父親(習仲勲)の存在もあったことから、はじめのうちは鄧小平的な改革開放路線を継承する開明的な政治家ではないかとも目されていましたけれども。鈴木先生はいつ頃から、何をきっかけに習近平に対して関心を持たれるようになったのでしょうか?  鈴木 まずは過分なお褒めの言葉をいただき、どうもありがとうございます。  周さんがおっしゃるように、習近平政権が発足した2012年から13年当初、アメリカ合衆国の研究者を中心に、習近平を開明改革派とみなす評価はたしかにありました。しかし、私は常々、アメリカの専門家による中国の新政権発足時の評価はあまり当てにならないと思っています。なぜなら、アメリカの識者に対して中国側が、アメリカが好意的に受けとめる新指導者像を情報としてインプットする傾向があるからです。ですから、たとえ父親が開明派の重鎮だからといって、同様に開明改革派だとみなす習近平像は、当初から疑っていました。  2016年に菱田雅晴先生と共著で『共産党とガバナンス』(東京大学出版会)を出版しましたが、その本の執筆の準備を2012、13年頃からはじめていて、資料を読み進める際に、習近平の発言には目を通していました。その頃から、これまでの指導者とは異なる特徴が発言に表れていたので、興味を持って注視していました。以降、習近平に関する公式の資料集が大量に出たこともあり、それをきっかけにきちんと調べようと思いました。  周 本書の執筆にあたり、内部資料や地方紙、関係者の回想、インタビュー記事など、非常に多彩な資料を利用されていますよね。その収集には大変なご苦労があっただろうと思います。私も、自身の研究対象である毛沢東時代の中国共産党の内部資料などを集めてきましたから、その大変さがよくわかります。  鈴木 資料収集の面から言うと、周さんの『中国共産党の神経系』(名古屋大学出版会)とは比べ物にならないですよ(笑)。周さんは刊本資料以外にも、檔案(アーカイブ)にも当たられているので、私にはとても真似できません。たしかに、現在は中国側が習近平にかかわる内部資料を極力外部に流出させないようしているので、今から集めるとなると相当苦労するでしょうが、私はそうなる前に、町の本屋やネットの古書サイトで買ったりしたので、資料を集めるのはそこまで大変ではなかったというのが本当のところです。  周 タイミングはとても重要ですね。私も統制が厳しくなる前にいろいろなおもしろい資料を集めておいたんですよ。今、資料収集の世界では、「竹のカーテン」がひかれたと言っても過言ではないですね。  周 鈴木先生が本書のために用意された資料で特に興味深かったのは、習近平が書いた様々な序文です。これは習近平名義の本に収録されたものではなく、一見、習近平と関係ない本に書かれた序文で、まさに隙間に隠れている資料です。それを巧妙に駆使したのは奇策ですね。  そういった数々の序文にも表れているように、習近平は書物、特に「地方誌」のような歴史書の編纂や閲覧に割と熱心な政治家だと鈴木先生は指摘されます。その点は毛沢東と類似している点です。ところが、習近平の自作の詩は公開されている範囲で2篇しかなく、また習近平による揮毫も極端に少ない。その点は、たくさんの詩や揮毫を残した毛沢東とは対照的でもあります。  鈴木 毛沢東に比べると、習近平の書く文字は決して上手ではないですね。  周 伝統中国の政治文化において、立派な統治者というのは、君主であると同時に文才豊かな「先生」でなければならない。要するに、統治者の文化水準が、そのまま政治家としての資質を図る重要な基準にもなるのです。習近平の最終学歴は清華大学卒で、また同大学院で博士号も取得していますが、実際のところの教育・文化水準はどの程度だとお考えになりますか?  鈴木 そもそも社会主義国のリーダーというのは、単なる政治指導者や軍事指導者ではダメで、同時に優れた思想家、理論家でなければならないという考えが強い。まさにレーニンが典型です。その西洋的な社会主義と伝統中国の政治文化が合流したときには、優れた理論家で、かつ詩や文才にも優れた人物があるべき指導者像として求められ、その意味で毛沢東は見事にそれに当てはまりました。  習近平の場合は、毛沢東のような文才はありません。彼は文化大革命による「失われた世代」の一人で、学校教育を十分に受けることができなかった。よく海外の研究者や中国の知識人たちが、習近平の実際の教育水準は小学生並ではないかと揶揄しますが、私がそれを聞いて思うのは、習近平自身が望んでそういう状況になったわけではないということです。自分たちの世代がそういう境遇に陥ったのは、毛沢東を含めた年長の人たちが起こした政治運動によるものであって、自分たちの世代が一番の犠牲者である、と。逆に自分たちより下の世代は高い教育水準を持っていて、技術官僚としても優れていますから、ちょうど谷間の世代でもあるのです。  そうした鬱屈した思い、とりわけ教養や文化といったものに対するコンプレックスが習近平の中に間違いなくあるでしょう。その裏返しとして、書籍の序文をたくさん書くこと、あるいは自分名義の出版物をたくさん出版するという行為に表れていて、そうした行為を通じて指導者としての権威付けをしている部分があるのだと考えられます。  周 今のお話しに関連して、習近平は外国を訪問した際に、自分がどんな本読んでいるのかをしきりにアピールするじゃないですか。ずらっと並んだタイトルを見ると、例えばフランスの政治学の本から、ロシアの小説まで、一見読書の幅がとても広そうです。果たしてすべて読破したのか、それともタイトルを暗記しているだけなのか、真実はわかりませんけれども。  鈴木 多分、ほとんど読んでいないでしょうね。そう考えると、一般的な政治指導者が有している教養の水準を満たしているとは言い難い。とはいえ、別に政治指導者の資質というのは、必ずしも学校教育で培われるものではないじゃないですか。例えば田中角栄の場合、学歴は小学校卒ですが、彼は日本政治史の中では傑出した指導者の一人です。田中はコンピューター付きブルドーザー――コンピューターのように記憶力が抜群で、かつ頭のキレも早く、ブルドーザーのような実行力も兼ねている――ともたとえられます。同じように習近平も、決して中国の政治文化や社会主義イデオロギーが求めている、文才と教養を兼ねた指導者とは言えないけれども、政治家としての嗅覚、権力をめぐる素養や鋭さは非常に優れていると思います。  周 官僚の操作術や謀略といったものが優れていると、本書内でも指摘されていますね。  現時点で、習近平名義の書籍というのはおそらく60冊ぐらいに達していて、その中で最も有名なのが、4巻本の『習近平国政運営を語る』という本です。このように大量の著作が出版されている一方で、過去の指導者のような、指導者本人の思想、あるいはそのイデオロギーを体系的にまとめた『毛沢東選集』や『鄧小平文選』『江沢民文選』『胡錦濤文選』といったものはまだ出版されていません。それはなぜか。もしかしたらこの先、習近平思想が体系化されていくのではなく、むしろどんどん断片化していくことを意味するのではないかと私は考えるのですが、鈴木先生はどう捉えていますか?  鈴木 たしかに、今挙げていただいた『毛沢東選集』『鄧小平文選』『江沢民文選』『胡錦濤文選』といったものは、現在のところまだありません。その理由は、周さんがおっしゃった分散化、断片化されていくということよりも、私はもっと単純に考えていて、それはまだ彼がリーダーをやり続ける意志があるからだと考えます。  そうなると、「習近平思想」というものはあるようでなく、ないようである、みたいな状態だとも言えます。つまり、習近平にとっての習近平思想はまだ発展途上であり、現実の政治運営との折り合いの中で習近平思想というものは絶えず変化し、発展していく。そうだとすると、体系的に定まったテキストというのはまだない。  毛沢東の場合は、『毛沢東選集』の4巻目までが彼の存命中に出ました。しかも毛沢東は死ぬまで『毛沢東選集』の文章を常に推敲していた、と。これは有名な話ですよね。今の習近平にとって『毛沢東選集』に代わるものは何かといえばやはり『国政運営を語る』であり、同書は今後、5巻目、6巻目と続いていくことでしょう。そして、彼が政権の座から下りる時にこれまでの思想的足跡をきれいにまとめた『習近平選集』が刊行される。このような流れが考えられます。  周 ところで、毛沢東思想の核心を理解する上では、例えば「実践論」や「矛盾論」、あるいは「延安文芸講話」といったとても有名で重要なテキストがあり、それを読むことである程度分析ができるじゃないですか。それと同じように、現時点での習近平思想の核心を表す、最も重要なテキストとして何が挙げられますか?  鈴木 先に述べた理屈からいえば、習近平の場合は、比較的新しいテキストが今の彼の思想を表す代表的なものになると思います。私が最近注目しているのは、2025年1月の『求是』に掲載された論文です。これは、2023年2月7日に行われた「新時代の中国の特色ある社会主義に関する習近平の思想と中国共産党第20回全国代表大会の精神を学び実行する」というセミナーでの演説で、これまで何回かに分けて公表されていますが、直近のものが最も長く収録されています。全文は未公表ですが、この論文には現時点の習近平思想を表す、例えばナショナリズム信条とか、西洋の近代化に代わる中国の近代化のモデルを世界に広げていくためのビジョン、そういったものがすべて盛りこまれています。  周 これはとても重要なテキストですね。  鈴木 これだけでも比較的長文ですが、まだ未公開の部分があるわけですよ。そこにはもっと強烈な発言が含まれている可能性が高い。  周 私も自身の研究の合間に習近平の著作を読んでいますが、これまで公表された文章は基本的にカットされていて、全文公開されることがほとんどなく、何回かに分けて公開されるのが常ですが、このような公開の仕方は何を意味するでしょうか?  鈴木 一つには、周さんが貴著で指摘された、中国共産党の圧倒的な秘密主義が考えられます。西側に知られたくない情報はできる限り隠しておきたいのですね。そして、削られている部分にこそ、習近平の本音が表れている。それこそ西側への批判もあるだろうし、もっと厳しい言葉遣いで公開されている部分と同様の趣旨の発言をしているなど。できる限り本音を隠しつつ、指導者としてのイメージを崩さないように、何回かに分けて発言を修正・公開しているのでしょうね。  周 本書には読みどころがたくさんありますが、その中でも習近平の思想、知識の源泉を遡った考察は大変興味深く、特に、習近平が厳復という人物を見出した点はとても重要です。厳復は福建省出身の清末の思想家、翻訳家であり、改革派としての色合いが強い人物としても知られています。習近平は、福建省で地方指導者を務めた際に厳復に傾倒していく。習近平が厳復の研究会やシンポジウムに関与し、関係者に温かい言葉をかけたといった痕跡についても本書の中で紹介されます。そして習近平は、厳復の思想から台湾戦略や海洋戦略といった知見の獲得に至る。ちなみに、現在新造中の空母の艦名が「福建」ですから、まさに厳復を含めた福建省時代のエピソードは今の習近平の思想を象徴する内容だと言えるのではないでしょうか。  とはいえ、習近平はどこまで厳復の思想を理解できているのだろうか。その思想を必要に応じて戦略的に採用しただけなのか、あるいは本格的に学習し、自身の内面にまで深く浸透させているのか、私には判断しかねる部分です。それに厳復は開明的な政治家、または思想家としてのイメージが先行しますが、晩年は袁世凱による帝政復活を支持するなど、保守的な姿勢をとっています。このように政治的に転向した人物のことを習近平がどのように認識しているのか、非常に興味深い問題です。  鈴木 厳復は中国国内では、アダム・スミスやモンテスキューなどの著作を翻訳した、啓蒙思想家としての側面で取り上げられることが多いですよね。  周 中国の福澤諭吉です。  鈴木 まさに。では、習近平の厳復理解というと、そこにも至っていないでしょうし、もっと言うと厳復の書いたものを読んでいたかどうかもかなり怪しい。というのも、厳復の文章は難しいんですよ。それを読み解くだけの知的素養は習近平になく、その代わりに福建省の厳復研究の専門家が間に立って、わかりやすい形で厳復の思想を習近平に教え、習近平が集会で起草された文章を読み上げる。そういった構図だっただろうと考えられます。  問題は、それが何のために行われたかです。それは、周さんがおっしゃったような台湾戦略が関係しています。習近平が福建省の地方指導者を務めていた90年代初頭の中台関係は一時的な雪解けの時期です。そこで、どのように台湾に接近するかを考えた時に、厳復の孫娘が台湾財界人の辜振甫の奥さんだと知り、そこから厳復本人に注目するようになった。つまり、統一戦線活動の材料として厳復を見出したということです。  周 そう考えると、習近平の政治家としての嗅覚はやはり鋭いですね。  鈴木 当初はそうだったのかもしれませんが、地元の厳復の研究者からレクチャーを受けているうちに徐々に厳復という人に惹かれていきます。ただし、その時点で習近平は天安門事件やそれへの欧米諸国の経済制裁などを経験していたので、習近平が惹かれたのは海軍軍人としての厳復でした。啓蒙思想家としての面ではなく、富国強兵の思想家としての面に強く惹かれていった。それが習近平の中での厳復理解だと思います。  周 今、挙がった天安門事件に対する習近平の姿勢について、時代、政治状況の変化を敏感に感じて、それに対応していったと鈴木先生は指摘されていて、そこも非常に興味深かったです。習近平を含めた、いわゆる「赤い2世代」という中国共産党幹部の子どもたちの天安門事件に対する賛否は分かれていて、習近平は弾圧擁護派に入ります。ところが、それ以前は割と開明的なカラーを打ち出していますから、そう考えると、天安門事件を機に政治的に転向したとも理解できるのですが、その点はどのように考えればいいでしょうか?  鈴木 習近平にとっての目標は、中国共産党政権を維持し、できればその支配を永続化したいということであり、それは20歳で中国共産党に入党して以来一貫して変わってないです。ただ、80年代の地方指導者時代は、そのための方法がわからないので、とりあえず西洋を模倣した近代化を目指した。だけど、それはあくまで方法論にすぎず、近代化によって中国共産党政権を大きく変えようといった意図はなかったと思います。習近平が天安門事件を機に変わったのは、方法としての近代化をもっとローカルなもの、つまり中国の風土に根差した形で行わなければならないのだと、より強い確信を持つようになったことです。  周 なるほど。  鈴木 付け加えると、習近平にとっての中国共産党による支配はもっと切実な問題です。それは、マルクス主義のイデオロギーを理屈で受け止めるというよりは、家族・親族や葉剣英、聶栄臻といった自分と交流のあった身近な指導者たちの思いを受け継がなければならないといった、感性的な思い入れの面が強い。個人の記憶に根ざしたものの継承という意味においては、直接面識がなかったであろう毛沢東の思い出にはほぼ言及していません。  周 今、習近平は毛沢東と直接面識がないとおっしゃいましたが、一方で本書の表紙にはモザイクがかかった習近平と毛沢東の肖像が並んでいるので、その関係性は暗示されていますよね。毛沢東研究に取り組んでいる私にとってこれは興味深いデザインです。今日の対談も、ある意味で「毛沢東研究」vs.「習近平研究」と言えそうですね。  鈴木 そうですね(笑)。  周 本書で鈴木先生は、習近平は歴代の共産党指導者から、いろいろな遺産を選択的に選んで、継承してきたアマルガム的な存在だと指摘し、『毛沢東語録』が与えた影響についてはだいぶ頁を割いて検証されています。  そこで私が問題として考えたのは、『語録』刊行後、つまり文革期の毛沢東は、それ以前の毛沢東とは逸脱した存在であり、習近平が受容したのは、その逸脱した毛沢東像だったのではないかということです。  鈴木 おっしゃるとおり、毛沢東の人生において、1966年から76年の10年間の文化大革命の時期は、それ以前の抗日戦争や国共内戦で活躍した毛沢東とはかなり違います。それはやはり加齢の問題が大きく、政治的な認知や判断力が落ちて、端的に言っておかしくなっていった。53年生まれの習近平が青少年期に出会ったのは文革期の毛沢東思想なんです。  習近平の年齢と照らし合わせると、毛沢東の書いた発言をまともに理解できたのはどう考えても60年代以降でしょうし、文革に向かっていく64年頃の「社会主義教育運動」の内容を彼は小学校で学んでもいる。ですから、習近平が昔の思い出として語る毛沢東像や毛沢東思想は自身が接した小学校教育や『語録』から得たものです。  周 多感な時期に『語録』から毛沢東思想を受容しながらも、習近平は文革によって陝西省の農村に「下放」されました。そもそも、なぜ陝西省だったのか。私が思うところ、陝西省は彼の父親の支持基盤であり、文革推進派からいじめられて貧しい農村に飛ばされたというよりは、むしろ習近平を地方に避難させると同時に出世コースが用意されたような気がします。  鈴木 そうでしょうね。そのまま北京にいると命の危険すらありましたから、そうならないために、父親が若い頃に活躍した陝西省なら、自分を守ってくれる人がたくさんいるだろうと考えるのは自然です。加えて、陝西省の延安が中国共産党の革命聖地だったという点も大きかったと思います。  周 その陝西省での経験が、習近平にとっての人生の財産、鈴木先生の言葉を借りると「革命の原体験」となっていったわけですね。  中国共産党に入党した習近平は、下放先の陝西省でキャリアをスタートさせます。その後、農業関係の論文をたくさん書きますよね。清華大学での博士論文のテーマも農業、農政関係です。また、習近平は農政専門の顧問として雇われていたこともあったと本書では紹介されていますから、そう考えると、初期の習近平は農政の専門家としての性格が強かったというふうにも理解できます。  鈴木 研究当初は、私も、習近平は将来的には農業、農政に明るい中央の指導者を目指していて、そのための下積みをしていたのだと認識していました。一方で、儒教には「君子器ならず」、つまり、君子は専門家であってはいけないという教えがあります。国政の指導者として、専門分野に特化した使われる存在ではなく、あくまでゼネラリストを目指していた。そのように考え直しました。  では、なぜ福建省の地方指導者時代まで農業、農政に関心を持っていたのか。たしかに農村はよく視察しているのですよ。それは毛沢東のスタイルを真似たからです。周さんも貴著でご指摘されているように、毛沢東の現地調査はとても有名です。とりわけ、現地調査で得られる一次情報の収集に熱心でした。習近平もそれに倣い、指導者はできる限り現地調査を重視しなさいと言います。毛沢東というのは習近平にとっても、中国共産党にとっても理想の政治家ですから、その毛沢東が重視した「生の情報」を常に収集していくリーダーシップ・スタイルを模倣することで身につけていったのです。  また、習近平は北京出身の都会育ちの人ですが、下放以降は一貫して、農村や農民の格差、貧困問題について強い問題意識を持つようにもなりました。その意味でも毛沢東的な指導者像に強く共鳴する部分があっただろうと考えられます。  周 下放された原体験が習近平思想のある種の核になっているといえますね。私も拙著内で、毛沢東の原体験、特に青少年期の社会主義受容や、現地調査の実践が、建国以降の農村政策や大躍進にまで、相当な部分でつながっていることを指摘しました。そういう意味でも、習近平と毛沢東はだいぶ重なっていると思います。  ところで、第19回党大会と20回党大会の政治報告において、入党活動の主要なターゲットとして、習近平からは知識人のほかにも農民や労働者を党員にしたいという意向が強く打ち出されます。しかし、今の政治の実態は彼が意図したところと乖離しているようにも見えます。  鈴木 習近平は政権の座についてからも、一貫して労働者と農民と知識人が主な入党活動の対象である、と述べています。しかし、入党活動の内実とその結果を検証すると、農民や労働者が減少していっているという現状があります。  では、理想と現実の乖離をどう考えればいいのか。習近平が政権を運営していく中で一番大事にしていることは、中国共産党政権を維持していくことと、21世紀の半ばまでに中国がアメリカから覇権国の地位を奪取することです。そのためには政治的戦闘集団としての共産党員が重要ですが、その役割を担うのはもはや農民や労働者ではない。知的にも経済的にも社会的にも優れたエリートこそが、アメリカと戦って勝つことができ、同時に国を発展させることができる存在だと考えていて、そういった共産党員こそ求めているのです。農民や労働者の立場はというと、むしろ恩情や庇護、つまり、助けてあげる対象としてみているのが実態だということです。  周 習近平の農民に対する思い入れと、現実政治に対する分析は分けて考える必要がありそうですね。  周 ここからはテーマを変えて、私が本書を読み進めていく上で浮かんだ問題についてお話しできればと思います。それは、習近平という強権的指導者がなぜこのタイミングで生まれたのか、ということです。  文革が終焉し、遅ればせながらも中国は近代化の軌道に戻り、ある程度結果を出してきました。そうした、これまでの3、40年間に蓄積されてきたものが、こんなにも脆く、簡単に裏切られるものなのかと、とても複雑な思いを抱きます。そうした道に舵を切った習近平のような政治家が生まれてきたのは偶然だったのか、必然だったのか。あるいは、同世代の中国共産党員の中で普通なのか特殊なのか、中国の非常に長い歴史における習近平時代の位置づけを含めて考えてみたいと思っています。  その上で、歴史学にifの議論は禁物ですがあえて言及すると、仮に故・李克強首相が総書記だったら、習近平と同じようなことをしたのか否か。いわゆる構造論的な議論で考えることができるのだろうか。習近平がやってきたことは、これまでの指導者と明らかに違っていて、それはエリート官僚が最も損害を被った部分でもありますが、一方で支持もされています。このことが構造的な問題に収斂できるのであれば、必然的に李克強であっても同じことをやらざるを得なかったのではないか。その点について鈴木先生のご見解を伺いたいです。  鈴木 まず、現在の指導者が習近平以外の人間だった場合に、習近平と同じことをしたかどうかについて。これは政治学でいうところの「エージェントかストラクチャーか」の問題で、結論から言うと、私は、現在の中国の政治運営は習近平という非常に特異なエージェントによって担われていると見ています。言い換えると、李克強だったら今とは違った政治運営を行っていた可能性が高い。ですから、今の習近平時代は、あくまで特異なエージェントが作り出した特異な時代だといえます。オーストラリアのケビン・ラッド元首相も『On Xi Jinping』という近著の中で、今の中国の政治運営はエージェントの問題であると述べています。  ストラクチャーの問題が強調される理由の1つは、胡錦濤政権末期に中国の対外政策が強硬になったからです。習近平はたしかに強硬外交に拍車をかけたかもしれないが、本質は前政権末期から変わっていない。つまり構造の問題なのだ、と。とはいえ、胡錦濤政権末期の2008年から9年にかけて中国の対外姿勢が強硬になったにしろ、2020年代の現状と照らし合わせると内実は相当違いますから、やはり私は習近平というエージェントの問題を重視します。  その上で申し上げたいのは、習近平という特異なエージェントを生み出した政治的罪は胡錦濤にある、ということです。このことは本書に書きたかったけど、結局書きませんでした。  周 なるほど。  鈴木 周さんがおっしゃったように、1980年代に本格化して以降、2010年代まで続いた改革開放の蓄積の多くを習近平が先祖返りさせ、毛沢東時代に近いものに戻してしまった。その「罪」を誰に求めるかといえば、私は胡錦濤の名前を挙げます。  本書の中で私は胡錦濤のことを、党内民主主義を推進した人物として比較的好意的に書きましたが、政治家としてはイマイチだったと思います。というのも、彼は徹底して権力闘争を回避した。それによって2002年から12年までの胡錦濤政権10年間の中で問題を蓄積させてしまった。だからこそ、統治エリート層が強権的指導者の誕生を待ち望み、結果、習近平という特異なエージェントが生まれた。仮に胡錦濤が強い指導者として、10年の間に実効力のある政治をしていれば、習近平的なエージェントは生まれなかったと思います。この点、今の習近平時代は、ある種偶然の産物だというふうにもいえます。  その上で少し長いスパン、中国共産党史から眺めると、習近平が特殊なのではなく、むしろ胡錦濤という弱い指導者の方が特殊で、どちらかというと習近平の方が毛沢東や鄧小平といった過去の指導者との連続性があるのです。  周 今日のお話の最後に、本書『習近平研究』のあり方について、著述のスタイルを中心にお話ししていければと思います。鈴木先生はあとがきで、学生時代は政治家の伝記類を読むのが好きで、いずれ自分も伝記を書きたかったとおっしゃられています。しかし、本書は一般的な英雄伝や偉人伝のような英雄史観、つまり対象となる人物がいかに素晴らしかったかを伝えるわけでもなく、あるいは、マルクス主義史観で書かれるような、対象となる人物よりも民衆の行動に着目した歴史記述、そのどちらの方法も採用していません。対象となる人物に焦点を当てるのは当然ですが、制度や組織にも着目しているのが特徴なので、やはり普通の評伝とは異なる異色作だといえます。  鈴木 私が読んできた政治家の伝記、例えば『評伝 吉田茂』や『スターリン伝』などいろいろありますが、習近平は現在進行系の政治家なので、『評伝 習近平』を書くにはまだ早い。それに、私は本書を単なる人物伝にはしたくありませんでした。それよりも、周さんにおっしゃっていただいたように政治学の概念と方法を踏まえた、日本の中国研究の特色を出した一冊にしたかったのです。  現在、世界の様々な国や地域で中国研究が盛んであり、それぞれ特色があります。たとえば、欧米の研究者の中国研究は、政治学や社会学といった社会科学の枠組みと概念を厳密に適用した現状分析を行います。先ほど紹介したケビン・ラッドの本がその典型です。一方で、中国の出身の方がアメリカで出版した習近平研究の本を読むと、そこでは中国文化特有の人間の描き方、つまり、パーソナリティや権力欲、派閥といった様相に着目し、非常にドロドロとした情念と人間関係から現代中国政治を描写しているのがわかります。  その上で、私が思う日本の中国研究のあり方というのは、ちょうどその中間にあるだろう、と。きちんと資料を読みこみ、社会科学的な手法と中国文化の人間の描き方を掛けわせた、ジメッとしているけど、カラッとしているみたいな、両方のいいところを融合させた日本風の中国研究のやり方でこそ、これまでの研究とは違った新しいカラーを出せるのではないかと考えていたので、そのことが本書の文面に表れているのかもしれない。その意味では、周さんも貴著でそういった書き方をされているじゃないですか。  周 たしかに。私も学術的な訓練は日本で受けましたから、中国でも欧米でもない、日本の厳密な実証主義を常に意識してやっているので、鈴木先生がおっしゃるように中間をとった感じはありました。  それにしても、評伝であってもそうでなくても、人物研究を行うにあたっては、研究対象との距離をどう設定するかはとても重要なポイントで、その点が非常に難しい課題です。人物研究に取り組むにあたり、まずは研究対象の内面の世界に入る必要があります。その人の目から世界はどう映っているのか、世界をどのように見ているか。第一にそこに共感する能力が求められます。それができないと、その人が考えていること、実感していること、あるいは本音の部分が引き出せません。一方で、研究対象に共感しすぎてしまうと、知らずしらず、研究対象の価値観や感情に囚われてしまい、結果的に代弁者になってしまうリスクも出てくる。研究対象との距離感をどのように設定するのが最適か、鈴木先生どのようにお考えになっていますか?  鈴木 研究対象との心理的距離をどのように設定するか。それは人物に限らず、国家でもそうですし、周さんが取り組んだ中国共産党のような組織体でも変わりがないですよね。それは現在進行形の指導者である習近平であってもまったく同じです。そういう意味では、私自身、特定の政治指導者との距離感が変に近くなったり遠くなったりする感じはありませんでした。そこまで意識的ではなかったというのが正直なところです。  むしろ、私が本書を書くにあたって意識したのは、どのように一冊の本としてのまとまりを出すかです。論文だと個別の問題に対して、個別の答えを導き出せばいいのですが、書籍の場合には、それに加えて全体を構成する1つの「内的な世界」を作り出さなければならないと考えます。その際に私は『荒木飛呂彦の漫画術』(集英社新書)を参考にしました。漫画家の荒木飛呂彦さんはこの本の中で、漫画を総合芸術と呼び、「キャラクター」「ストーリー」「世界観」「テーマ」という4つの要素が大切だと述べています。私も叙述にあたってこの4つを意識して書きました。  本書でいうと、「キャラクター」は習近平、「ストーリー」は政治家習近平の成長物語です。「世界観」とは政治史的な舞台背景です。習近平時代という政治の特徴を、それ以前の中国共産党の指導者の時代と比較してどのように位置づけるかということです。最後の「テーマ」はマキャベリの『君主論』を現代中国に置き換えて書きたかった、というのが本書の内幕です。今後も伝記的人物研究を行うにあたっては、この4つの要素を意識して書くことになるでしょうね。  周 基本的に歴史研究、あるいは政治史研究というのは、すでに亡くなった人や完結した組織体、国家を対象にして行いますが、今おっしゃられたように、習近平はそのどちらにも当てはまらない現在進行形の指導者ですから、古典的な歴史研究とは異なる難しさがあったように思います。かくいう私も、研究対象は毛沢東時代の中国共産党史ですが、現存中の中国共産党とつながる問題でもあるので、きわめて流動的な現在から先々の変化を見据えつつ、過去に遡らなければならない。つまり、歴史の結末を知らないまま歴史研究に取り組んでいる状態なので、その難しさを日々実感しています。  鈴木 まさに、現職の指導者を研究対象にすることの難しさはありましたし、研究者としてはある意味賭けでした。とはいえ、本書の冒頭に書いた世界の3大リスク、すなわち、ウクライナに侵攻したロシア、習近平という政治家個人、AIの悪用による民主主義社会の混乱。さらにはウクライナを台湾に置き換えて戦争が起きるかもしれない。問題の重要性に鑑みると、政治学者としてはこの人を研究しないわけにはいかないだろう、と。加えて、新型コロナの時代を経て、それが中国や世界に与えた影響も記録しておく必要性といった若干の使命感にも駆られ、誰も書かないのであれば自分が書こうと思い、それが本として結実した形です。  周 間違いなくいいタイミングで出版されましたし、本書は将来にわたって読み続けられる素晴らしい一冊だと思います。(おわり)  ★すずき・たかし=大東文化大学東洋研究所教授・政治学・中国政治。著書に『中国共産党の支配と権力』(第三四回発展途上国研究奨励賞)など。  ★しゅう・しゅん=神戸大学講師・歴史学・中国近現代史・中国共産党史。著書に『中国共産党の神経系』『中国現代史資料目録集』など。

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