2025/09/26号 4面

徳川将軍の側近たち

徳川将軍の側近たち 福留 真紀著 滝口 正哉  江戸幕府は約二六五年間に及ぶ長期政権となったが、家康から慶喜までの十五人の将軍たちを支えた側近は一様ではなかった。本書は将軍の側近について長らく研究を蓄積してこられた福留真紀氏のこれまでの研究成果のエッセンスが盛り込まれた一冊である。  幕府政治の舞台は江戸城本丸御殿である。御殿内部の構造については、主要な大名や役人が詰め、政庁や儀式空間として機能した「表」部分と、将軍の生活空間であり、政務を行う「奥(中奥)」、御台所(正室)や側室が居住し、奥女中たちが起居する「大奥」とに分かれていた。  幕府政治でしばしば取り上げられるのは、「表」の老中と「奥」の側用人の対立構造である。「表」を代表するのが四、五名からなる老中で、彼らの合議で政治が進められていった。一方、「奥」では側用人が将軍の意向を反映する体裁をとり、ときに老中の存在を無視し幕政に大きな影響力を発揮した側用人政治が展開したとされてきた。五代綱吉時代の牧野成貞・柳沢吉保、六代家宣・七代家継時代の間部詮房、九代家重時代の大岡忠光、十代家治時代の田沼意次、十一代家斉時代の水野忠成など、いずれも批判的評価をされることが多い。こうした解釈に新たな評価の一石を投じたのが福留氏なのである。  本書は側用人の他に初期の出頭人や御側御用取次を取り上げており、こうした将軍側近から歴代将軍の政治の進め方と幕府政治の構造を読み解いていて、山本博文氏がその著書『お殿様たちの出世 江戸幕府老中への道』(新潮社、二〇〇七年)で「表」の老中を通史的に位置付けているのに対応している。本書冒頭の「はじめに」では、将軍側近の特徴を初代家康から四代家綱の第一期、五代綱吉から八代吉宗の第二期、九代家重から十一代家斉の第三期に分けることを提唱し、以下各期一章ずつ紙幅を割いている。そして、最後の「おわりに」において、幕末の混乱期の将軍側近像について見通しを述べている。  第一期については、大御所付と将軍付、それに将軍世子付の側近が並立した時期で、将軍も直系で相続した時代である。個人的な信頼関係を基盤としたものから幕府官僚体制へと移行していき、家綱時代は「側近老中制」で、老中と将軍側近が一体である時代と位置付けている。一方第二期については、傍系から就任する将軍が続き、側用人や御側御用取次が登場し、将軍が政治力を発揮しなくても政権は機能していく体制となったことを指摘している。なかでも綱吉時代の側用人は、綱吉の片腕となる候補の者を身近に仕えさせて試す場であった点や、柳沢吉保よりも間部詮房のほうが政策立案に直接関わっていた点、吉宗との個人的な人間関係を基盤とする御側御用取次と、将軍という存在に仕える幕府官僚の老中という対立構図になってしまった点など、鋭い洞察力で幕府政治の構造変化を述べている。そして第三期では、側用人と御側御用取次という二種の側近が併存する時代であるとともに、「奥」出身で「表」の職を兼ねる大岡忠光や田沼意次らが現れ、田沼のように将軍の側近が次の将軍の側近にスライドする人事も登場した。福留氏はこれについて、側用人は非常置となり、老中同様に幕府の官僚組織に組み込まれたとし、将軍側近が財政面までも掌握していったと説く。こうして将軍の政治能力の有無に左右されない側近による政治システムができ、側近が大きな権力を持つようになったとしている。  このように、本書は福留氏の本来の研究対象である第二・三期を軸に、新たに第一期の検討を加えたもので、いずれも関連する文献史料を丹念に分析した客観的成果が示されている。しかし、十二代家慶以降の幕末期については、天保改革を推進した水野忠邦が側近ルートを経験していない点や、権力を握っていた御側御用取次を退けた点、内憂外患時代の到来とともに、将軍自身に国事に対応する能力が求められ、側近の性質も大きく変化した点を指摘するに留まっている。蓄積の豊富な幕末史の先行研究をふまえた将軍側近の最終形態を今後どのように描いていくかが課題だが、本書は将軍をめぐる権力構造を捉える上で必須の書となるだろう。(たきぐち・まさや=立教大学特任准教授・博物館学・近世都市史・文化史)  ★ふくとめ・まき=清泉女子大学総合文化学部教授・日本近世史。著書に『徳川将軍側近の研究』『将軍側近 柳沢吉保』『将軍と側近』『名門水野家の復活』『名門譜代大名・酒井忠挙の奮闘』など。一九七三年生。

書籍

書籍名 徳川将軍の側近たち
ISBN13 9784166614950
ISBN10 4166614959