パラレル
半田 滋著
鍛治 一郎
日米安保条約ができたとき、あるひとつの論争が世上をにぎわせた。議論の舞台は衆議院で、論者は芦田均と、吉田茂である。その年の1951年9月、サンフランシスコ平和条約とともに日米安保条約が調印され、国会では、このふたつの条約の審議がおこなわれていた。芦田は、条約審議の場を借りるかたちで、政府のすすめる安全保障政策と憲法9条の問題をとりあげた。「なぜ政府は国民を納得させる堂々たる方法で、公明正大にやらないか」と、再軍備と憲法9条の整合性をあいまいにしている吉田の姿勢を批判したのである。
本書がテーマとしているのは、まさにこの、憲法9条と安全保障の問題になる。芦田の議論から半世紀後、日本政府は、戦後の人道復興支援活動のため、イラクに自衛隊を派遣した。派遣任務のなかには、航空自衛隊による多国籍軍の兵員輸送も含まれていた。これに対し、弁護士・市民グループが自衛隊派遣の差し止め・派遣の違憲確認などを求める訴訟を全国で展開。名古屋でも裁判がおこなわれ、地方裁判所は訴えを棄却したが、高等裁判所の控訴では、「本件控訴をいずれも棄却する」と地裁と同様の判決をくだしつつも、判決理由で、航空自衛隊のイラクにおける兵員輸送は「憲法9条1項に違反する活動を含んでいることが認められる」と、一部において違憲判断が示された。2008年4月のことである。
著者である半田滋は、当時、東京新聞で防衛省を担当していた。イラクへの自衛隊派遣でどのような動きがあったのか、名古屋高裁への控訴で原告団はどのような準備をしたのかを、これまでの著者の取材経験などをもとに綴っている。訴訟弁護団の一人である川口創、当時、内閣官房副長官補として自衛隊イラク派遣に携わった柳澤協二、名古屋高裁の判決で裁判長をつとめた青山邦夫、それぞれへのインタビュー記録も本書に収録されている。
本書が取り上げているのは自衛隊のイラク派遣をめぐる裁判だが、テーマとなっているのは安全保障と憲法の関係にほかならない。そしてこの問題は、今に始まったものではなかった。日本が主権を回復し、どのようにして自分たちの身を守るのかの問題が生じたときから、日本が悩み続けてきた問題であった。
冒頭で紹介した芦田の問いかけに対し、吉田政権が出した答えは、憲法解釈によってなんとか実力組織を正当化しようというものであった。警察予備隊が保安隊に改組する際、吉田政権は、近代戦遂行に至らざる範囲であれば憲法9条が禁止している戦力に該当しないとした。次の鳩山一郎政権も吉田の路線を踏襲し、1954年の自衛隊の発足後、自衛隊は、国土保全などの「必要な限度」の範囲であるならば憲法9条の禁止している戦力には該当しない、という憲法解釈を打ち出した。国際政治学者の田中明彦は、このような解釈による実力組織の正当化を「知的アクロバット」と評している。
田中のいう「知的アクロバット」は、ポスト冷戦における国際情勢の悪化とともに日本の安全保障政策が変化したことで、より複雑な問題を呈するようになった。国際情勢という現実への対応がある一方で、憲法規範が揺らいでいるのではないかという声も根強く聞かれるようになった。芦田の言う、「国民を納得させる堂々たる方法」がおろそかになっているとの疑念が、戦後80年たった今でも変わらず残り続けているのである。
もっとも、「国民を納得させる堂々たる方法」は一様ではない。芦田は憲法改正を主張したが、それとは異なる方法をとるべきだという人もいるであろう。憲法をめぐる国内の多様な意見が「堂々たる方法」のコンセンサス形成を難しくした面がある。しかし、安全保障政策と憲法の問題に正面から向きあい、どのような回答を出すべきか議論する必要性は未だ色あせていないように思える。本書はそのような、憲法と安全保障の問題を今一度見つめ直す機会を提供してくれている。(かじ・いちろう=東京大学先端科学技術研究センター特任研究員・日米政治外交史)
★はんだ・しげる=防衛ジャーナリスト・獨協大学非常勤講師。東京新聞論説兼編集委員、法政大学兼任講師、海上保安庁政策アドバイザーを歴任。「新防人考」で第十三回平和・協同ジャーナリスト基金賞大賞を受賞。一九五五年生。
書籍
書籍名 | パラレル |
ISBN13 | 9784911256152 |
ISBN10 | 491125615X |