2025/03/07号 3面

東京裏返し 都心・再開発編

東京裏返し 都心・再開発編 吉見 俊哉著 岩本 馨  東京の街は、脇目を振って歩くのがよい。高層ビルの林立する大通りから一本裏道に入り、石段を下ると、数十年も時を遡ったかのような家並みにふと出逢えることがある。本書の著者はそんな街歩きの愉しみを熟知している一人である。  本書は『東京裏返し 社会学的街歩きガイド』(集英社、二〇二〇年)の続編に当たり、都心北部を取り上げた前著に対し、本書では南部にスポットが当てられる。東京は「より速く、より高く、より強い」首都を目指して今も飽くなき成長を続けている巨大都市であるが、実はここには徳川家康、薩長政権、そして米軍によって三度にわたる占領を経験した「敗者」たちの記憶が積層してもいる。戦後に周縁化した北部に対して、今も活発な再開発が進む南部では、表の煌びやかさに幻惑されてそうした記憶は見えづらくなっているが、著者が街歩きの三原則と名づける、「広い道よりも狭い道を、まっすぐな道よりも曲がった道を、平らな道よりも上り下りのある道を選ぶ」(一三頁)方法によって、東京のもう一つの貌が巧みに掘り起こされていく。  本書では前著と同様に一週間での街歩きを想定して七つのコースが紹介される。本書でのコース設定の特色は川筋を軸として前面に出したところで、第一日は渋谷川筋、第二日は古川筋、第三・四日は目黒川筋が取り上げられる。この三つの川は都心南部の主要河川として存在感がある川であり、流域では大規模な再開発が進められている。とりわけ第二日の街歩きで著者たちが三田や麻布台、芝で目にしたのは、都市の記憶を根こそぎ破壊するような「街の殺戮」(一一九頁)の現場であった。一方で、東急東横線渋谷駅の記憶を継承しつつ渋谷川の水辺をデザインに取り入れた「渋谷ストリーム」(第一日)や、地下化した下北沢駅周辺の小田急線線路跡を地域住民の声を取り入れつつ再開発した「線路街」(第三日)など、再開発の新たな可能性を示す事例も紹介されているのは救いである。  本書の後半では、著者の視点はさらに「静脈」とも言うべき三田用水筋(第四日)、「毛細血管」とも言うべき蟹川筋(第五日)、笄川筋・赤坂川筋(第六日)、鮫川筋・局沢川筋(第七日)へと向かっていく。これら毛細血管レベルの川はすでに暗渠化されており、現代の道路地図ではもはや不可視化されてしまっているが、川筋がつくった地形はその後の土地利用やそこで暮らす人々の心性にも少なからず影響を与え続けている。第五日の百人町と東大久保の比較は象徴的で、地形的な凸凹が「街の記憶の留め金として機能している」(二六三頁)との指摘は重要であろう。なお掲載されているエリアマップは、本書を読むうえで最も重要な地形の情報を欠いているのが残念なところで、ぜひ『東京23区凸凹地図』(昭文社、二〇二〇年)などの地図帳とともに読んでいただきたい。  都心南部の構造を読み解くうえで川筋とともに重要なのが軍都の記憶である。本書の街歩きでは随所に戦前の軍施設の跡が登場する。なかでも渋谷や六本木などの軍施設は戦後米軍に引き継がれ、それが地域の性格にも影響していることが指摘される。本書では軍都―米軍占領―オリンピックシティの連続性が説かれるが、さらに遡れば江戸はそもそも巨大な軍事都市であって、近代の軍施設の多くが大名屋敷を淵源としていることにも注意したい。  本書はただの行楽的街歩き本ではない。表題にあるように本書の眼目は東京の裏返し、すなわち「東京についてのあまりにも自明化されたリアリティを「裏返し」ていくクリティカルな実践」(二二頁)なのである。情報が高速で氾濫する現在、私たちはあまりに脇目も振らずに進みすぎていないだろうか。(いわもと・かおる=京都大学准教授・日本都市史・空間史)  ★よしみ・しゅんや=東京大学名誉教授・社会学・都市論・メディア論・文化研究。日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展に中心的な役割を果たす。著書に『東京裏返し――社会学的街歩きガイド』『都市のドラマトゥルギー』『博覧会の政治学』『敗者としての東京』『さらば東大』など。一九五七年生。

書籍