2025/10/17号 4面

世界は知財でできている

世界は知財でできている 稲穂 健市著 友利 昴  世界は知財でできている――とはずいぶん大きく出たなと、と、タイトルを見てたじろぐ。本書は、概ねこの10年ほどの間に世間を賑わせた、知的財産をめぐる事件や騒動を題材に、知財制度の仕組みや、その抱える課題について論じている。  取り上げられる題材は、近時、議論かまびすしいAIの話題を皮切りに、「ゆっくり茶番劇」や「アマビエ」などのネットミーム、流行語を商標登録しようとして炎上した人々、コロナ禍で活躍したmRNAワクチンを巡る特許訴訟、シャインマスカットや日本産イチゴの種苗が近隣諸国に流出し増殖・販売された問題など、幅広い。  なるほど、今や知財トラブルが国境をまたぐのは当たり前。さらに現実世界のみならず仮想空間(メタバース)においても知財制度が規律をもたらそうとする現状に鑑みると、世界は知財でできているというのもあながち大げさではない。知財を通して世界を観察した本、ともいえる。  本書の特色のひとつは、「そういえばあったな、こんなニュース」という数々の出来事を、知財専門家の視点で明瞭に解説し、その顚末まで丁寧にフォローしている点だ。  例えば、2019年、ユニクロを運営するファーストリテイリングが各店舗で用いるセルフレジについて、情報認識技術に強みを持つスタートアップ企業のアスタリスクが、東京地裁に特許権侵害であると主張した訴訟があった。  スタートアップが、特許を武器にして大企業に挑む構図は痛快だったが、実態は、ファーストリテイリングが資金力を生かして大量に提起した特許無効審判・訴訟が長期化し、その過程でアスタリスクは本業に集中するために第三者に特許を譲渡するなど、消耗戦の様相を呈していたことが示されている。最終的には、当事者が互いに訴訟等を取り下げ和解。勝敗は曖昧なまま終結した。  知財をめぐるトラブルの多くは、言ってしまえば「盗んだ、盗まない」の話なので、報道されるとセンセーショナルな議論を喚起しやすい。しかし、現金や宝石のような有体物と異なり、知的財産のような無体物は、何をもってして「盗み」とするべきかの評価が難しい。盗まれた(侵害された)とされる権利が「実は無効だった」という展開もよくあるし、独占を欲する側と利用を欲する側、どちらにも言い分があり、双方の主張が対立すればするほど、「正しさ」は曖昧になる。  世界は必ずしも「正しい」と「間違い」に二分できないことはもはや周知といえるが、知財の問題に関しては、一層、善悪の判定が難しく、深慮が求められるといえる。  とはいえ、知財制度自体は法規範のうえに成り立っており、知識やリテラシーを体得することで法的な正しさを追求することは可能だ。本書においても、AI生成物に著作権や特許権が認められるか、AIの生成する「○○風画像」は著作権を侵害するか、声優の「声」は保護されるか、など、現在議論が錯綜している論点を中心に、実際の事件や騒動、過去の裁判例等を引き合いに、「法的な正しさ」を重視した答えを提示している。  一方、本書の端々で著者が示唆するように、「法的な正しさ」をもってしても、従来の常識を超えた技術やサービスがもたらす社会への影響を考えると、それが真に「正しい」と評価できるかは分からない。世界を「正しく」規律するために、新たな規制が必要か、それとも自由競争に委ねるべきか。そうしたことを考えるきっかけを与えてくれる本でもある。  最後に、本書の帯にも注目だ。OpenAIのCEOサム・アルトマンの肖像と、彼がChatGPTで生成し、Xに投稿した「ジブリ風画像」が転載されている。アルトマンやスタジオジブリには許可を取っていないようだが、これらについて、著者(と版元)がどのような検討プロセスで「正しさ」を肯定したのかは、本書をよく読んだ読者であれば導き出せるだろう。読者のリテラシーを試す挑戦状が仕組まれた好アイデアだ。(ともり・すばる=作家)  ★いなほ・けんいち=東北大学研究推進・支援機構リサーチ・マネジメントセンター特任教授・弁理士・米国公認会計士(デラウェア州Certif―icate)・内閣府上席科学技術政策フェロー。著書に『楽しく学べる「知財」入門』『こうして知財は炎上する』など。

書籍

書籍名 世界は知財でできている
ISBN13 9784065407868
ISBN10 4065407869