戦争に抵抗した野球ファン
山際 康之著
鈴村 裕輔
日本職業野球連盟の誕生と発展、三回にわたる出征が奪った沢村栄治の選手としての活躍の機会と悲劇的な最期、戦時体制下における球団名と野球用語の日本語化など、本書の内容は類書が繰り返し取り上げてきた話題である。
また、本書には人目を引くような新たな史料の紹介や、これまで知られてこなかった逸話の披露、もしくは新説の提起などもない。その意味で、本書は既存の書籍の変奏の域に留まるものとみなすこともできるだろう。
しかし、右に挙げた点は、本書の魅力をいささかも損なわない。むしろ、これまでは野球の歴史を描く書物の一章の中で描かれていた「戦争と野球」という話題に正面から向かい合い、様々な出来事を丹念に積み重ねて一冊の本にまとめ上げたことで、すでに知っているはずのおぼろげな逸話の一つひとつが鮮やかな輪郭とともに読者の前に示されるのである。
そして、本書を読み終えたわれわれは、次の三つの点に改めて気づかされる。
第一に、職業野球人たちが、社会から受け入れられるために多大な努力を払っていたという点である。第二が、戦時体制の進展と時局の悪化が最終的に日米開戦に至ったものの、こうした状況を支持したのはほかならぬ日本の国民であったという事実である。第三が、連盟や球団の経営者たちは結果的に当局に対して進んで協力したものの、そこには選手たちの意向や葛藤はほとんど反映されていないことである。
これらの三点は互いに密接に関連している。
すなわち、一九二〇年に日本最初の職業野球団である日本運動協会が、選手に対して大学を卒業して商社に就職した者の初任給と同じ水準の給与を支払い、職業野球が決して怪しげなものではなく、まっとうな職業であると強調したように、野球によって生計を立てるということを蔑視する風潮は根強かった。そのため、球界は軍や大政翼賛会などに球場を行事の開催場所として提供したり、球場の一部が防空設備の設置場所として接収されたりすることを受け入れていた。これによって職業野球は決して余暇や娯楽ではなく、野球を通して日本精神を発揮する場であるとし、一九四五年一月まで何とか試合を行うことができた。
一方、例えば後楽園球場の二階席が陸軍によって接収され、高射砲などが設置されると、観客たちは余計なものが置かれたと反感を抱いたものの、それらを破棄するために具体的な行動を起こすことはなかった。実際には高射砲が置かれた球場にいれば、たとえ敵軍の爆撃機が飛来してもすぐに撃退してくれるといった安心感さえ覚えていたのである。こうした軍に対する漠然とした信頼感と、自らの考えを現状に合わせようとした観客たちの姿を球場の外にも広げれば、真珠湾攻撃に歓呼し、皇軍の無敵を信じようとした人たちのありようへと繫がるのである。
応召され、あるいは自ら志願して入営した野球選手たちの多くが戦地で最期を迎えたものの、軍部の歓心を買うために様々な施策を導入した連盟の幹部や球団経営者たちは戦後も球界の中心に居続けた。もちろん、経営者たちが高齢で召集の対象外であったという事実は見逃せない。しかし、野球用語の日本語化に反対した河野安通志や、表向きは軍部に協力しながら裏面では徴兵を逃れるために選手たちに大学への入学を勧めていた赤嶺昌志といった例外はあったものの、多くは「職業野球のため」という大義名分を掲げることで、実際には選手たちを供出していたのだった。もし立場の弱い者に割り当てられるのは生贄の役目だとすれば、職業野球における選手と経営者たちの関係はその典型となる。
サトウハチロー、河上肇、山田風太郎ら時代を彩った人々の姿とともに、一九三六年の職業野球リーグ戦の始まりから終わりまでの九年間の歩みを描く本書は、戦争のためという抵抗することが難しい状況を前に、野球の置かれた立場がいかに危ういものであったのかを克明に描き出すことで、われわれに多くの示唆を与える一冊である。(すずむら・ゆうすけ=名城大学教授・政治史)
★やまぎわ・やすゆき=ノンフィクション作家・桑沢学園理事長・東京造形大学前学長。著書に『プロ野球選手の戦争史』『プロ野球オーナーたちの日米開戦』など。
書籍
書籍名 | 戦争に抵抗した野球ファン |
ISBN13 | 9784480018298 |
ISBN10 | 4480018298 |