ロシア政治
鳥飼 将雅著
渋谷 謙次郎
本書は、現代ロシア政治すなわちプーチン体制の概説書であり、プーチンを始めとする政治家の個人的資質や人脈はもとより、三権を中心とする制度、政党や市民社会などの複合体を描き出す中で、プーチン権威主義体制の実情を明らかにしようとする。
新書という性格上、幅広い読者層を想定した入門書、教養書としての性格をも有している。過度に専門的にならず、現代ロシア政治についての知識を必ずしも有しているわけではない読者にも目配りのきいた解説がなされている。同時に、専門的な関心からも一種の比較権威主義体制論として読むこともできるし、副題にあるように、現代の権威主義体制が必ずしも「抑圧」一本鎗で維持されているかというと、そんなことはなく、プーチン体制についても、様々な「懐柔」があることを伺い知ることができる。ロシア史というタテ軸に沿って考えても、例えば「スターリン体制」、さらに遡れば「ツァーリズム」と比べて、「プーチン体制」はどのように異なってくるのか、本書は様々なヒントを提供してくれる。
一般に権威主義体制というと民主主義体制の対義語のように使われることも多いと思うが、これも専門的見地からすると両者は必ずしも対立していない。すでにカール・シュミットが独裁と民主主義との親和性を論じていたように(独裁と権威主義が完全にイコールということでもないが)、とりわけウクライナ侵攻後、「独裁者」として悪名度を増長させてきたプーチンが、大統領に初めて就任した二〇〇〇年以降、いかに定期的に選挙という通過儀礼を潜り抜けてきたか(中央・地方の政権党「統一ロシア」もしかり)。むろん個々の選挙の「不正」が、かねてから指摘されてきたし、本書でも第3章で、そのことについて論じられているが、そこでいう「選挙操作」は、必ずしも不正集計やデータ改ざんなどに集約されるのではなく、政党法や選挙制度などの補完もあって、立候補から投票行動にいたるまで多様な「操作」を意味している。むろん有権者が完全に「操作」されてきたわけではなく、獄中死したナヴァリヌィらによる選挙区ごとの野党系候補者に投票を呼び掛けるスマート投票などの対抗運動が一部で存在していたことも注目される。そうでなくても、(ソ連時代と異なって)一応「野党」が存在している(存在させられている?)という外見的競争選挙も、この種の権威主義体制の特徴だろう。
その他、本書がロシア政治の入門書、概説書としても目配りが効いているというのは以下の点にも見いだされる。まず最近のロシア政治の研究の成果として、単に「クレムリン」だけでなく、中央地方関係をも織り込んでいることである(第4章)。モスクワなどの大都市では、潜在的にプーチン(体制)批判者も多いが、「プーチンの国」は「地方」が支えていると言っても過言ではない。メディアの役割も無視することはできない。現代ロシアでは、ソ連時代と比べれば相対的に言論の自由があり、日本以上にネット社会でもあり、テレグラムなどのSNSの役割も無視できない(第7章)。
本書を読んで、改めて以下のような読後感を得た。まず、本書で論じられているプーチン権威主義体制の統治技術は、西側民主主義体制の中で生きている者にとって完全に他者の問題ではなく、多かれ少なかれ我が身の問題としてみる必要があることである。今や日米においても、かつてフロムやアドルノらが分析したファシズムを招来させる「権威主義的パーソナリティ」(強者の権威の受容、弱い者への攻撃欲求)の土壌が拡散しており、本書の権威主義体制分析は意外なことに西側自由民主主義の将来を「先取り」しているかもしれない。
また、かれこれ四半世紀続いてきたプーチン体制(大統領がメドヴェージェフだった時代をも含む)は、近い将来、そう簡単に変化するとも思えない。「マルクス=レーニン主義」による神権政治、祭政一致に近かったソ連体制と比べても現代ロシアの権威主義統治は、民主主義の衣装をまといつつ、その「法治」技術などを含めて統治のテクノロジーを向上かつ洗練させていると思われる。仮に大統領がプーチンでなくなったとしても(現行憲法では二〇三六年までプーチンが大統領でいることが一応可能だが)、プーチン体制を支えてきた強固な基盤(政財官軍など)が簡単に瓦解するとも思えず、ポスト=プーチンが権威主義度を増長させる可能性すらある。中央アジア諸国でも、長期政権を担ってきた大統領が死去や引退によって交代したが、体制が劇的に変わることはなかった。
しかし長い目で見た場合、ロシア史は、帝政時代から改革と反動、外向きと内向きを数十年単位で交互に繰り返してきた。しかも大きな改革や転換のきっかけのひとつとしては敗戦があった(クリミア戦争敗北と大改革、アフガニスタン侵攻の失敗とペレストロイカ)。そうした転換が近い将来起きるのか、それとも遠い将来になるのか、合理的に予測することはできない。比較憲法学者メドシェフスキーによると、ロシア史は、脱憲法化(旧体制の瓦解や消失)⇓憲法化(新たな憲法体制の創出とその実質化)⇓再憲法化(同一憲法体制ながらも権威主義化などの憲法変動)というサイクルを繰り返すそうで、現下のシステムは「再憲法化」の局面にあると思われるが、その中に、すでに次なるフェーズに向けた「脱憲法化」が胚胎するそうである(まるで弁証法の教訓のようである)。(しぶや・けんじろう=早稲田大学教授・ロシア法)
★とりかい・まさとも=大阪大学大学院准教授・比較政治学・旧ソ連地域研究。分担執筆に『比較政治学事典』、主要論文に"Integrating Governor Posts Into the Federal Bureaucratic Structure"(Europe-Asia Studies, 2023)など。一九九〇年生。
書籍
| 書籍名 | ロシア政治 |
| ISBN13 | 9784121028549 |
| ISBN10 | 4121028546 |
