日露戦争再考
稲葉 千晴編著
沢田 和彦
評者は今から三二年前、一九九三年にハワイ・ホノルルで開催されたアメリカのスラブ研究者の大会で、新進気鋭の研究者として報告する本書の編著者・稲葉千春氏の姿を覚えている。氏はその後著書『明石工作 謀略の日露戦争』(丸善ライブラリー、一九九五年)、『暴かれた開戦の真実 日露戦争』(東洋書店、二〇〇二年)、『バルチック艦隊ヲ捕捉セヨ 海軍情報部の日露戦争』(成文社、二〇一六年)、訳書『日本海海戦、悲劇への航海 バルチック艦隊の最期 上下』(コンスタンティン・プレシャコフ著、NHK出版、二〇一〇年)などを次々と上梓し、日露戦争(一九〇四―一九〇五年)の専門家として夙に知られている。その稲葉氏が日露戦争百周年の時期を挟んで一九九九年から二〇二五年までに執筆した論文を元に編んだのが本書である。
本書は「はじめに」と「あとがき」以外に全九章と補遺六章から成っており、全四五六頁の大著である。第一章「日露戦争史再考――戦争の性格・目的・責任」は本書の核心となる論考だ。稲葉氏は従来の定説に疑問を呈して、本書の副題にあるように軍事と外交に重きを置く立場から、日露戦争は韓国の保護国化を狙った植民地侵略戦争であったこと、戦争の主要責任は日本側にあること、戦争は一九〇四年一月一二日の御前会議で実質的に決定していたこと、日本陸軍の戦略目標はロシア軍の打倒であり、韓国制圧はその手段に過ぎなかったことを説いている。
第四章「日露戦争前夜のウラジオストク」は、明治から昭和にかけて日露関係で重要な役割を果たした川上俊彦の文書が出発点になっていて、評者には興味深かった。第七章「戦争中のトルコ海峡問題」と補遺三「イスタンブールの中村商店と中村健次郎・山田寅次郎」は、日露戦争中にオスマン・トルコの首都で日本人たちが諜報活動を展開し、バルチック艦隊の一翼を担ったロシア義勇艦隊のボスポラス海峡通過を日本に伝えた経緯を、迫真力をもって描き出している。第八章「水面下の情報戦――日露の潜水艇導入をめぐって」は、ロシアが日露戦争に先立ちアメリカから最新兵器の潜水艇を導入していたが、かたや日本も戦争中にアメリカから潜水艇を密輸入したという驚くべき事実を裏付けている。
補遺一「中学校教科書に見る日露戦争」は九つの問題点を提示して、今日の学校の歴史教育と教科書問題に一石を投ずる意味で貴重である。また従来の研究では日本の占領下におかれた朝鮮半島や、実際の戦場となった中国からの視点が欠落していたが、韓国の研究者が寄稿した補遺四「日露戦争期の韓国新聞分析――韓国にとって日露戦争はどのように受け取られたか」と補遺六「韓国における日清戦争・日露戦争の研究史――朝鮮半島を巡って繰り広げられた国際的な戦争に関する韓国の学術的な視点」は、本書の内容に広がりと厚みを加えている。
圧巻は補遺五「日露戦争百周年以降のヒストリオグラフィー(研究史)」だ。日露戦争百周年以前の研究史についてはいくつかの論考があるのだが、その後二〇〇四年から二〇二四年までに日露戦争に関する学術的な研究成果として国内外で七五〇本以上の論文や書籍が発表されたとは驚きだ。稲葉氏はそれらを日本語、ラテン文字、キリル文字、その他の言語に分けて文献目録を作成し、なおかつそれらの文献を九つのテーマに分類して文献の一つ一つに短い要約を付しているのである。これは余程の時間と労力と資料の博捜を要したことだろう。日露戦争に関心を抱く後続の研究者たちにとって、裨益するところ極めて大である。
稲葉氏は「あとがき」で自分の研究スタイルを「アーカイヴス・トレジャー・ハンター」と称している。その最たる成果は氏の『ロシア外交史料館日本関連文書目録』全二巻(ナウカ、一九九六―一九九七年)であろうが、本書でも巻末の「参考文献」を見れば、一次史料が数多く並んでおり、ハンター振りは外国の文書館にも及んでいる。また日本国内はもとより、イギリス、ロシア、韓国、中国、トルコ、アメリカなどで開催された国際会議に積極的に参加して報告し、貴重な情報を得て知見を広めている。これらのバックボーンが本書に遺憾なく生かされて、「再考」の根拠となっていることは、一読すれば明らかだ。今後、日露戦争を論ずる上で必読の書である。(さわだ・かずひこ=埼玉大学人文社会科学研究科名誉教授・日露交流史)
★いなば・ちはる=名城大学教授・国際関係論。著書に『明石工作』『バルチック艦隊ヲ捕捉セヨ』など。一九五七年生。
書籍
書籍名 | 日露戦争再考 |
ISBN13 | 9784865200768 |
ISBN10 | 4865200762 |