2025/11/21号 3面

丸川氏再反論(10月17日号)への応答(大杉重男)

丸川氏再反論(10月17日号)への応答 大杉 重男  いよいよ字数が限られてきたので、私が丸川氏の中国論について感じた最も根本的な疑問だけを述べる。氏は「中国は原理的に脱中国化できないので、漢字を手放すこともしなかった」とし、「大杉氏の議論はいわば、中国に対して脱中国化してみろ、と外側から(また発展段階説的構えから)挑発しているに過ぎない」と批判する。しかし日本もまた漢字を手放さず、自己の内なる中国的なものと決別していない以上、私の論は外側からの議論ではない。私が中国と日本を同じ「東アジア」の「漢字文化圏」ととらえるのに対して、氏は、中国を「欧米帝国主義」「植民地主義」の被害者、日本を「植民地主義」の加害者として分断的にとらえる。だがこのような分断的認識自体、欧米的「人権」概念に依存する以外には不可能である。もし氏が「人権」概念やヒューマニズムを「発展段階説的構え」として否定し、中国の伝統的専制主義を肯定するとしたら、そもそも「帝国主義」「植民地主義」がなぜ特権的に悪いのか分からなくなる。たとえばモンゴルや満州族による漢民族征服における虐殺と、日本による中国侵略時のそれとは、中国の伝統的歴史観から見たら本質的に違わないのではないか。現在中国で盛んに作られている「抗日ドラマ」は、その荒唐無稽さが批判されているが、むしろ荒唐無稽だからこそ、欧米的「人権」概念からは自由な(大岡昇平の戦争小説を批判した坂口安吾なら肯定するかもしれない中国古典文学的に勧善懲悪的な)日中戦争観を示している。丸川氏との対談で早尾貴紀氏は「四八年の革命史」という視座を提案し、中国の建国をイスラエルの建国に比したが、そうであればイスラエルがパレスチナに振るった暴力と同じものを、中国革命時に、共産党は大陸本土の民衆に、国民党は台湾の島民に行使したと考えられる。私は、イスラエルが建国されるべきだったとすればヨーロッパ、とりわけドイツの中に建国されるべきだったと考えるが、同様に「大東亜共栄圏」は諸国民国家に解体するのではなく、天皇制を廃止した上で「東アジア交通空間」に揚棄されるべきだったと思う。(おおすぎ・しげお=文芸批評家)