2025/10/17号 7面

大杉重男氏の記事(9月19日号)への再反論(丸川哲史)

本紙(九月十九日付)大杉重男氏記事への再反論 丸川 哲史  今回さらに紙幅が限られているので、手短に再反論させていただく。まず私が大杉氏の「東アジア的専制主義」をウィトフォーゲルの「東洋的専制主義」に結び付けたことについて反論していただき、私の問題意識がクリアーになったので感謝したい。言い直すと、両者はいずれも歴史主義、つまり発展段階説の構えをもっているということでは同根だ。私が挑戦したいのは、発展段階説の構えを脱構築し、惑星的思考で世界史を再構成することである。それで、漢字(圏)が帝国規模の東アジアの王朝システムを構成したことはその通りであり、結果として近代中国が漢字を手放さなかったことと、そして現在の広域を維持していることにも必然的な連環がある。何故なら、漢字とは別の都市国家や民族集団を結び付ける政治的言語としても機能してきたからで、それが中華世界を構成していた。だからこそ清末以来、中国周縁部地域が脱中国化を進め、新たなネーションを構成したこととは裏腹に、中国は原理的に脱中国できないので、漢字を手放すこともしなかった。大杉氏の議論はいわば、中国に対して脱中国してみろ、と外側から(また発展段階説的構えから)挑発しているに過ぎない。だから、中華世界の持続性からいえば、独自の王朝を持たず、一部を除いて清朝の統治下にあった台湾が文化中国に入っていることは当然のことで、それと政治的な経緯として別政権が存在してあることは区別しなければならない。さて本題。早尾氏との対談において企図した植民地主義の問題性を読み落されているのは残念である。イスラエルという国家を作ったのはヨーロッパの「反ユダヤ主義」であり、その経緯の末に、今日のイスラエルはアラブ世界に打ち込まれた欧米帝国主義の植民地=橋頭保となっている。日本も東アジアに打ち込まれた橋頭保であることは、一目瞭然である。それは日清戦争以来、中華圏周辺部を植民地として組み込んで行った経緯であり、そして今日の東アジア米覇権の橋頭保としてある日本のあり様だ。ところで大杉氏は、中国、ロシアと並べ朝鮮民主主義人民共和国を「北朝鮮」という蔑称で記した。米韓(日)の軍事演習を目と鼻の先で定期的に繰り返される状況において、主体思想を旨とする同共和国が中国やロシアに頼らざるを得ない苦しい闘いについて全く無感覚な人である。大杉氏は「民族」が全く理解できていない。最後に大杉氏の易姓革命観について。大杉氏はまず天皇を「天」に見立て、藤原氏(外戚)、徳川氏(幕府)を易姓革命の行為体として記述しているが、王朝の交代と「徳」との関係を旨とする易姓革命をそこまで拡張することにはさすがに無理がある。(まるかわ・てつし=明治大学教授・東アジア文化論)