2025/05/02号

集落〈復興〉:中越地震と限界集落の物語

 研究者、あるいは実践者として、どこかの地域に関わった経験のある人は、多かれ少なかれ、何らかのうしろめたさを感じたことがある(もしくは現在進行形で感じている)のではないだろうか。お世話になってばかりいるのに、何の役にも立てていない。仕事や生活でバタバタしてご無沙汰しているうちに、もう一度会いたいと思っていた方が、鬼籍に入ってしまった。地域のことを書いた本や論文が評価される一方、地域からは一軒、また一軒とそこに暮らす家が減っていく……。  2004年の中越地震で被災した地域における15年以上にわたる試行錯誤を記した本書は、そうした悩みを抱える研究者や実践者に、明解な処方箋を与えてくれるものではない。けれど、ともに悩み、考えるヒントを与えてくれるかもしれない。本書は、新潟県小千谷市塩谷集落を舞台とし、大阪大学を中心とする複数の大学の研究者・学生が、ボランティアや研究、そしてそれらの枠に収まらない独自の学びの場――「塩谷分校」――をつくり、集落の〈復興〉に向き合った記録である。全4部構成・13章からなり、学術的な背景としては社会心理学およびグループダイナミックスにおけるアクションリサーチ論が支柱となっているが、それにとどまらず、学際的な災害研究や村落社会研究における限界集落論の文献などが幅広く参照される。また、学生として塩谷を訪れ、多様な経験をした書き手の文章も収録されている。  本書で繰り返し取り上げられる印象的なフレーズが、地域住民からしばしば著者らが投げかけられたという「先生たちは、何もしてくれないのぉ」というセリフである。これは実務者や支援者として現場に入っている立場であれば、言われてショックを受けるべきセリフかもしれない。著者らは「何もしてくれないのぉ」という投げかけから、被災地復興や限界集落支援に携わる研究者の態度とは何か、省察を進めていく。その省察が単なる自己肯定ではないものとなっているかどうかは、読者の判断にゆだねられる部分かもしれないが、広く人文社会科学の公共性を考える論点につながる問題提起であろう。特に、著者らが災害後に結成した「塩谷分校」が2023年に「閉校」されるまでのプロセスを描いた部分は、本書を単なる好事例の記述のみならず、外部者が関わる活動をどのように「閉じる」べきか、という非常に難しい問いを喚起する書物としている。  本書が描いたような学生を巻き込んだ地域社会でのアクションリサーチは、もちろん独自の特色を有する一方、全国の数多くの大学で行われている取り組みでもある。具体的に言えば、学生が文化人類学や社会学の「調査実習」ではなく、イベントの企画運営など、より実践的な活動を目指して地域に入り込んでいく動きは、2010年代中頃より全国の大学で進められたCOC(センター・オブ・コミュニティ)事業によって加速していった。評者が関わる範囲でも、学生を受け入れる地域住民の方々も次第に「フィールドワーク」という言葉をなじみ深く使い、それは何かを調査研究することではなく「学生が来て、何かすること」が意味されている。これは一見良いことであるようにも思えるが、学生たちが地域に入り込む「フィールドワーク」が、研究から切り離され、「教育」や「社会連携」という枠に囲い込まれてしまっている実態もあるのではないだろうか。本書が目指す「研究と実践の二分法を超えて」という提起は、各大学で学生の「フィールドワーク」を指導・コーディネートする教職員にも大きなヒントを与えるものとなるだろう。(つじもと・ゆうき=静岡大学講師・現代民俗学)  ★あつみ・ともひで=大阪大学大学院人間科学研究科教授・災害研究。著書に『災害ボランティア』など。  ★せき・よしひろ=関西学院大学社会学部教授・社会学・ボランティア論・災害復興・まちづくり。著書に『ボランティアからひろがる公共空間』など。  ★やまぐち・ひろのり=立命館大学共通教育推進機構教授・社会心理学・グループ・ダイナミックス。監修に『ギブ&ギブ、おせっかいのすすめ Let’s Give it a Try』など。 (著者=栫健太・五味希・武澤潤・武澤博子)