職業教育とジェンダーの比較社会史
北村 陽子編
望戸 愛果
再始動版『叢書・比較教育社会史』――二〇二六年までに五巻刊行予定とのこと――その先陣を切って、本書は刊行された。新たな叢書刊行の幕開けとなる本書のタイトルに「ジェンダー」および「戦争」が含まれていることは、決して偶然ではない。『戦争障害者の社会史 20世紀ドイツの経験と福祉国家』(名古屋大学出版会、二〇二一年、第四三回サントリー学芸賞受賞)を著したことで知られる北村陽子(東京大学大学院准教授)が編んだ共著である本書の原点は、比較教育社会史研究会において二〇一五年に編者が立ち上げたジェンダー史部会のセッションにあるという。その立ち上げの趣旨は「ジェンダー分析に関する研究の大幅な進展が見えにくくなった」時代に「ひろく教育分野に関連するこれまでのジェンダー研究のあゆみを確認し、今後の研究の方向性を見さだめることをめざして議論する場をもうけ(中略)そのことば〔引用者注:ジェンダー〕がもつ意味を過剰にも過小にも評価しないようにする必要がある」というものであった(二頁)。また立ち上げにあたっては、「先例」(二〇一四年までに刊行された全一〇巻の『叢書・比較教育社会史』シリーズ)の成果を踏まえることも意識したと記されている。モノクロ写真の上にグラデーションがかかった特徴的な表紙カバーは、かつて刊行されていた同叢書のそれを彷彿させる。さらに、表紙カバーの表(女子生徒たちの朝食風景の写真に薄浅葱色のグラデーションがかけられている)と裏(第一次世界大戦期に撮影された「戦争障害者」の三枚の写真が影付きで浮かび上がるように配置されている)が、本書の二部構成(表は第Ⅰ部、裏は第Ⅱ部)にそれぞれ対応していることに読者はすぐに気づくはずだ。
本書第Ⅰ部「女性のライフステージと職業教育」では、「女性を家庭の守護者とする性規範が浸透していた近現代の社会において、女性への職業教育がどのように展開されたのか、あるいはされなかったのか」というテーマ(六頁)が、帝政末期ロシアの女子中等教育機関(畠山禎)、明治前・中期の小学校教師(加島大輔)、前世紀転換期ドイツの「ベルリン女子社会事業学校」(杉原薫)、二〇世紀転換期イングランドの「精神薄弱の女性・女子」用ホーム(大谷誠)、近代メキシコの女子職業教育とキャリア形成(松久玲子)といった事例から論じられている。第Ⅱ部「戦争障害者の職業教育」では、「一九世紀後半以降に戦時下の社会問題として浮上してきた戦争障害者の社会復帰の第一歩となる職業教育が、近現代のヨーロッパや日本の社会でどのような論理で展開されたかを明らかにし、共通点と相違点を析出すること」(一〇頁)が目的とされ、日露戦争後の癈兵・傷痍軍人の保護政策(松田英里)、第一次世界大戦期ロシアの障害者兵士(池田嘉郎)、第一次世界大戦期ドイツの戦争障害者支援(北村陽子)、第一次世界大戦から戦間期におけるフランスの戦争障害者政策(舘葉月)、太平洋戦争後の日本の戦傷病者の妻に対する聞き取り調査(藤原哲也)といった事例が論じられている。「一国・一地域を越えた視点からアプローチを試みる新たな教育史叙述のシリーズ」(カバー前袖)にふさわしい、充実した学術書である。
「近現代のヨーロッパ・日本」(とメキシコ)を「考察の場」(一頁)とする本書であるが、それ以外の時代・地域に関心を持つ者にとっても示唆に富む。ジェンダー史に関心を持つ者であれば、特にそうである。例えば、第Ⅰ部では、帝政末期ロシアについて論じた畠山禎が、男性の発言(「結婚して家庭で……」)に対する当時の女性の態度――無反応――について、「男性の発言から男女の支配・従属関係を感じ取り、違和感があったからではないだろうか」と鋭く論じる(三二頁)。また、ドイツの「ベルリン女子社会事業学校」について論じた杉原薫は、「教職に続く新たな女性のための職業を確立させるべく」スタートした教育であったにもかかわらず、「下級課程に入学した女子生徒の関心は(中略)家庭における女性の役割に直結するような領域にしか」ないというギャップを浮き彫りにする(八九頁)。第Ⅱ部では、傷痍軍人の妻の回想のなかから読み取れる「〔引用者注:夫からの〕家庭内暴力とみられる様子」に松田英里が注意を促し(一六〇頁)、戦争障害者の権利要求運動の国際化とその後の求心力低下を舘葉月が詳述する(二三四―二三五頁)。同様の注目すべき成果は、全ての章に含まれる。紙幅さえ許せばそれぞれ書き出したいのだが、本書を手に取ることによって、読者はその成果を実際に確かめることができるだろう。(もうこ・あいか=静岡県立大学准教授・立教大学アメリカ研究所客員研究員・歴史社会学)
★きたむら・ようこ=東京大学大学院准教授・近現代ドイツ史・福祉国家史・ジェンダー関係論。著書に『戦争障害者の社会史』など。
書籍
書籍名 | 職業教育とジェンダーの比較社会史 |
ISBN13 | 9784812224014 |
ISBN10 | 4812224012 |