Cloud on the 空き家
小池 昌代著
樋口 良澄
小池昌代の新しい挑戦を「詩小説」と呼ぼうか。不思議な家をめぐる幻想小説、あるいは生と死が激しく交錯する恋愛小説のようでもあるのだが、読み進むにつれ小説の時空が溶け、詩のように言葉が紙面から直立してくるこの作品を、そう呼んでみたくなった。
読み手を予想外の場所に連れ出す語り手は、和歌が好きな「わか子」さん。古典和歌をそらんじるが、バツ2で六〇歳前という設定。最近兄を亡くし、子供もいないので天涯孤独になった。仕事も無く、必死で履歴書を送る日々。ようやく空き家管理の仕事の面接通知が来た! そこから物語が動き出す。
こうしたシリアスな状況をユーモアを交えて受け止めるわか子さんは、初めはゆるキャラ系として登場する。嫌なことがあると空の雲を見る。「人間世界の悪臭が鼻についたら、さあ、雲を見よう。雲の動きを眺めよう。そして心の憂さを雲のうえに棚上げしよう」と自らを励ます。題名の「Cloud on the 空き家」は、わか子さんのそんなつぶやきから来ているのだろうか。しかし、空を見ることは、外の風景を単純に見ることではない。日本の気象と詩歌との関わりを様々に考察した気象学者倉嶋厚は「空を見ることは内面を見つめることでもあるのです」と語っていた。その通り、この小説でも後半に至って、人間の心の恐ろしい深淵が描かれていく。
わか子さんの思い出すままに、古典の和歌が現代語訳とともに所々引用され、道案内になっている。和歌の丁寧な読み解きと、わか子さんによるちょっとオトボケなコメントが楽しい。歌物語のような形式だが、後半の幻想的な展開では歌の引用は別のリアリティを生み、小説を支える。
作中では、空き家の所有者が「河原」、その甥が「融」で、古典に関心ある人なら源融(河原大臣とよばれた)、つまり源氏物語を思い出さずにおかないだろう。融は空き家の持ち主の甥で、防虫作業を手伝うということで現れ、わか子さんは、対等の恋愛とも、庇護者のような友愛とも定まらない感情を抱いていく。
前半はこれらの人物とわか子さんとの交流が、歌とのアレゴリカルな展開のなかで描かれるのだが、後半は一気に様相を変える。この家に火が起こり全焼、わか子さんの放火が疑われてしまう。火は突然現れた女・微妙が火を使った舞を踊り、その火が燃え移って起こるのだが、このわか子さんの説明を警察は受け入れない。そもそも微妙の存在さえ信じない。わか子さんと一緒にいた融はこの火事で行方不明になるが、階段から落ちて死んだという融の「別の現実」をわか子さんは知らされる。
このあたりから幻想と現実が交錯した語りが小説を覆う。幻想世界の中、彼女の母、別れた恋人、融、そして燃えた家という失われたものたちが次々と現われ、彼女はそれらと関わるなかで新たな生を獲得していく。母を取り込み、融と交わり、老い、死とも溶け合う。
死との交錯が生を充溢させ、美やエロスを燃え上がらせるのはこの世の真実だろう。それを追いかけていく小説の語りも死にむけて融解していく。
「これがわたしの最終形態。硬直が始まっていた。わたしはもう死んでいるのだ。(中略)遠くのほうに空き家が見える。その窓の一つに今、灯りがついて、それから、どんと闇が来た」。
詩小説は死小説でもあった。(ひぐち・よしずみ=批評家・編集者)
★こいけ・まさよ=詩人・作家。著書に『もっとも官能的な部屋』(高見順賞)『屋上への誘惑』(講談社エッセイ賞)『コルカタ』(萩原朔太郎賞)『たまもの』(泉鏡花文学賞)など。「タタド」で川端康成文学賞を受賞している。一九五九年生。
書籍
| 書籍名 | Cloud on the 空き家 |
| ISBN13 | 9784065401439 |
| ISBN10 | 4065401437 |
