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【特別コラム】「放射線による健康被害はない」というのが政府・東京電力の一貫した姿勢である<佐藤嘉幸氏が聞く脱原発シリーズ#2>

【特別コラム】「放射線による健康被害はない」というのが政府・東京電力の一貫した姿勢である<佐藤嘉幸氏が聞く脱原発シリーズ#2>

只野靖弁護士(飯舘村村民救済弁護団事務局長)インタビュー

今中哲二氏インタビュー(「飯舘村長泥地区をフレコンバックの最終処分場にするな」に引き続き、飯舘村村民救済弁護団の事務局長・只野靖弁護士にお話を伺った(聞き手=佐藤嘉幸)。ADR(原子力損害賠償紛争解決センター)が抱える問題点とは何か。主に法律的な面に焦点を当てて、お話いただいた。(編集部)

初期被曝をめぐる、東京電力によるADR調停案拒否をめぐって


佐藤  飯舘村民救済弁護団の事務局長を務められている只野靖弁護士に、飯舘村民三千人以上が東京電力に損害賠償を求めたADR(原子力損害賠償紛争解決センター)の現状と、それが孕む様々な問題点についてお伺いしたいと思います。最初にお伺いしたいのは、初期被曝をめぐる賠償についてです。ADRは二〇一七年一二月に飯舘村民の初期被曝に関する和解案を提示しましたが、東京電力側がそれを拒否したため、二〇一八年七月に仲介手続きが打ち切りになるという事態が生じました。今中哲二さん(京都大学)、糸長浩司さん(日本大学)らが中心になって運営されている飯舘村放射能エコロジー研究会(IISORA)が、今年二月に福島でシンポジウムを開きましたが(「原発事故から七年、不条理と闘い生きる思いを語る」、二〇一八年二月一八日、福島県青少年会館。以下で映像が公開されている。動画1動画2)、そこで資料として配布された飯舘村ADR関係の書面(IISORAのホームページで公開されている。飯舘村ADR関係の書面)をすべて読んでみて、いくつか驚いたことがあります。まず、東京電力は事故企業であるにもかかわらず、自分たちがまき散らした放射能被害について、あからさまに賠償を拒否するという姿勢を示しています。例えば、飯舘村民の九ミリシーベルト以上の初期被曝に関する賠償の申し立てについて、「一〇〇ミリシーベルト=しきい値」説を楯にとって、この数値では健康被害はあり得ないのだから、一切応じることはできない、という主張をしています(飯舘村は、二〇一一年四月二二日になってはじめて「計画的避難区域」に指定され、その後一ヶ月程度で村外へ避難するようにという政府からの指示を受けたという事情から、事故後二ヶ月以上にわたって高線量の村内に残っていた住民が多く、福島第一原発付近の他の強制避難区域の住民に比べて被曝量が非常に大きい地域です。例えば、福島県県民健康調査のデータでも、五ミリシーベルト以上被曝した住民の割合は三二・四%となっており、他の強制避難区域がおおむね一%以下なのに対して、格段に大きい被曝量となっています)。弁護団は、こうした主張をどのように受け止められたでしょうか。

只野  初期被曝慰謝料に関しては、東京電力の対応がある段階で大きく変わったと思っています。どういうことか。飯舘村の村民の方々が、集団申立て、ADRに至った経緯を含めて、ご説明します。元々、長泥地区の一部の方々が、初期被曝慰謝料の支払いを申立てました。ADRは和解案として、妊婦子供さんに対しては一人あたり一〇〇万円、その他の方には五〇万円という金額を提示しました。長泥の初期被曝量はとても大きいですから、月々の慰謝料では賄いきれない性質の異なる不安がある、ということでADRが初期被曝を認め、和解案を提示したわけです。様々な経過があり、長泥に関しては、東京電力も和解案を受諾しました。これは比較的早い段階、二〇一四年のことです。東京電力が受け入れた理由としては、長泥の汚染度が高いということと、また長泥が飯舘村の中では唯一帰還困難区域だったことが大きいと思います。
 その後、蕨平地区と比曽地区でも、同様の申立てがありました。ADRは、蕨平は長泥と同様の汚染度だと認めて、同じかたちで一〇〇万円、五〇万円の和解案を出しました。比曽に関しては、汚染度が一段階低いので、妊婦子供八〇万円、その他が四〇万円となった。しかし、東京電力はこの和解案を拒否したのです。
 飯舘村の集団ADRでも、額がぐっと下がってしまいました。しかも、全員一律ではなく、個人の被曝線量の違いで線引きがされ、長泥地区の方には一人あたり五〇万円、その他の地区の方には一五万円という金額でした。でも、東京電力はこれも拒否しました。
東京電力は、二〇一四年には長泥の初期被曝慰謝料の支払いを受け入れましたが、その後は、和解案を拒否し続けています。どこかで考え方の転換があったのではないか。ある時点から、放射線の健康被害を認めることについては、過敏に反応するようになった。国から何か言われているのかもしれない、という印象を強く持っています。

佐藤  初期被曝について賠償を拒否するのは、それを認めてしまうと多数の住民に賠償を認めなければならないという意味で波及効果が大きい、ということでしょうか。

只野  それもあると思いますが、甲状腺ガンの問題も含めて、「放射線による健康被害はない」というのが政府・東京電力の一貫した姿勢ですから、健康被害あるいは健康不安に対しての慰謝料を払うとなると、辻褄が合わなくなってしまう。そこは非常に強い姿勢を感じます。

佐藤  確かに政府は、福島県の県民健康調査などとも認識を合わせるかたちで、健康被害は一切ないという論陣を張っていますね。それと賠償拒否がセットになっているとすれば、初期被曝に関する東京電力の態度は、政府の方針に影響されている部分が大きいと考えられるわけですね。

只野  そう思っています。

佐藤  飯舘村ADR関係の書面を読んでいて、もう一つ驚いたことがあります。飯舘村は、二〇一一年四月二二日に計画的避難区域に指定され、その後おおむね一ヶ月をめどとして村外に避難するように、と政府から避難指示を受けました。東京電力は、政府が指示した期間を越えて飯舘村に残っていた場合は、それにまつわる事情は一切考慮できないし、それがもたらした被曝は言わば「自己責任」である、と述べている。非常に驚くべき物言いです。原発過酷事故を起こした企業が用いることのできるロジックとは到底思えません。自分が放射性物質をまき散らしておいて、指定された期日までに避難しなかった住民については、「あとは何があってもあなた方の責任です」と自己責任化するということですから。

只野  東京電力には「それはあなたたちが言うべきことではない」と何回も抗議しましたが、彼らは撤回していない。東京電力側の不遜な態度は、こうした主張にもよく現れています。既に事故から六年、七年と経っていることもあり、もう社会的に叩かれることもないと思っているのか、東京電力の側を向いた弁護士が無茶なことを書き過ぎている印象を受けます。事故直後であれば、そんな意見は絶対に出てこなかったと思います。

佐藤  原発事故に関わる賠償は、原子力損害賠償・廃炉等支援機構への資金供給を通じてほぼ国が肩代わりして支払っており、つまり私たちの税金から賄われています。このように、国は福島第一原発事故後も、国策として東京電力を保護している。そうした政策自体が、東京電力に尊大な態度を取らせる要因を作っているのではないでしょうか。

只野  明確にそうでしょう。損賠賠償を払うかどうか、和解を受け入れるかどうかは、本来東京電力が判断することです。しかしスポンサーが国なので、ある時点以降は、金額が大きかったり、あるいは質的に重要だと思われるものについては、東京電力の判断ではなく、国のしかるべき部署にお伺いを立てている可能性が非常に高い。初期被曝慰謝料についても、必ず国と相談しながら回答しているはずです。最初に申し上げたように、東京電力は、二〇一四年には長泥の初期被曝慰謝料の和解案を一旦受け入れており、実際に慰謝料も支払われているわけです。しかし、その後に申立てをした住民に関しては、東京電力は和解案を拒否している。我々の依頼者の中には長泥の世帯の方がおり、ADRもその方達には、二〇一四年と同水準の和解案を出しています。しかし、東京電力はこれを拒否しているわけです。

佐藤  東京電力の態度がある時期から明確に変わった、ということですね。

只野  そこは、はっきりしています。東京電力の一連の対応は、ある時期を境にしてまったく辻褄が合っていない。我々は、こうも言いました。東京電力は、この程度の被曝線量では健康に影響がないと言った。では、なぜ二〇一四年に長泥の一部住民に慰謝料を払ったのか。影響がないのであれば、あれは間違いだった、支払った慰謝料を返せとでもいうのか。しかし、そんなことは言わない。ならば、なぜこちらの和解案が受け入れられないのか。東京電力は、理由を論理的に説明できない。結局、あの時はあの時、今回は今回だと、その程度の「言い訳」しか出てこない。時間が経ったから、としか言いようがないわけです。つまり、ある時期に賠償額を絞るという明確な判断が出され、それ以降は現実的に賠償額を絞ってきている。これは明確に言えることだと思います。

佐藤  繰り返しますが、そこに、国の意向も働いているだろうということですね。

ADRというシステムをめぐって——「生活破壊慰謝料」を認めよ

佐藤  ここから、ADRというシステムそのものについてお伺いしていきます。東京電力側は拒否しましたが、ADRは、飯舘村の村民に対して初期被曝慰謝料一五万円を支払うという和解案を提示しました。まず前提として確認しておきたいのですが、この慰謝料は一回限りのものですね。例えば、初期被曝のせいでガンなどが発生し、何らかの治療が必要になった場合、この金額は低すぎて、ほぼ意味がありませんね。

只野  今おっしゃったような症状が出て、事故との因果関係があると立証できれば、法的には別途追求することはできます。一五万円というのは、あくまでも初期被曝を受けたことに対する慰謝料です。放射線の影響はわからない部分が多い。また、わが国では広島、長崎の被爆体験もあるため、そこから、初期被曝された方が様々な精神的な不安を覚える、という事情もあります。また、被曝を理由として差別を受けるかもしれない。そういったことすべてに対する慰謝料になります。もし、例えば甲状腺ガンを発病し、事故との因果関係があるということになれば、一五万円で黙らされるという話ではありません。

佐藤  ただ最終的に、その一五万円ですら、東京電力は和解を拒否しています。結局、ADRが和解案を提示しても何ら強制力がないわけです。こうした現実を見ていると、率直に言って、ADRという制度そのものに問題があるのではないかという印象を受けます。

只野  おっしゃる通りです。ADRが設けられた元々の趣旨について、ごく簡単に説明しておきます。福島第一原発事故のような大事故が起こり、避難された方だけでも一〇万人以上に損害が発生している。実際には、もっと広い地域が汚染されていて、被害者はその数倍にも及ぶ。そうすると、交渉が東京電力と個々人となったとき、個人では圧倒的に交渉能力が劣りますし、話し合いがこじれれば、すべて裁判に移行せざるを得ない。そうすると、結果的に裁判システムがパンクしてしまう。その前の段階で解決するために、ADRの制度が作られたわけです。うまくいっている面もあったと思います。ただ、ADRに提出された資料を見て、妥当な解決を図るべく和解案を出しても、東京電力の意向次第で蹴られることがある。しかも、先程申し上げたように、以前は和解案に同意したが今回は同意しないとか、東京電力のでたらめな対応があります。時間が経つにつれて、ADRの限界が露呈してきている。特に集団申立案件で、その傾向が強くなっていると思いますね。

佐藤  申し立ての規模が大規模になればなるほど、東京電力側の支払う賠償額が大きくなり、必然的に賠償費用も大きくなりますから、ADRの側もその調停に苦労しているという事情があるわけですね。

只野  ADRは、一面でかわいそうな制度ではあるんです。ADRは制度上、裁判官役を担わされていますから、話し合いの仲介を求めます。普通の裁判であれば、当事者双方の話し合いが決裂した際、裁判官が判断できる。要するに、強制権限があるわけです。ところが、ADRにはそれがない。そうすると、審理を重ねて、あるいは様々な案件を扱う中で、やはり、お金を出す側の顔色を伺う面が強くなります。飯舘の審理の途中で、実際にそういう発言がありました。具体的にいうと、不動産の単価の増額を求めた申立てをしました。田んぼが一平米あたり五五〇円、畑が三五〇円と算定された。それをもう少し上げろと請求しました。平均的な取引事例から見ても、九掛け、八掛けにされているので、そんな金額で売る人はいない、と申立てたのです。それに対して、仲介委員が何と言ったか。「和解案は出せない」、「そもそも東電が絶対に飲まないだろう和解案は出す意味がない」、という趣旨のことをいわれました。あなたたちは何のために、どこを向いて仕事しているのか、という話ですね。これは、ADRの限界を露呈した典型的なエピソードです。

佐藤  元々の想定では、ADRが原発事故被害者と東京電力を仲介すれば、和解案が出され、調停が成立するはずだ、ということだったのだろうと思います。それがまったく逆になっている。規制する側が規制される側の論理に取り込まれてしまう、という意味の「規制の虜」という言葉がありましたが、それと同じように、ADRは事故企業である東京電力の「虜」になってしまっている。

只野  ADRに気概がない感じはしますね。ただ私は他方で、たとえ東京電力が和解を拒否する可能性が高いとしても、それでも、ADRが和解案を出すことには意味がある、と言い続けています。ADRは社会的に存在する制度として、福島の損害賠償紛争の解決の中心的役割を果たしているわけで、これまでにも様々な蓄積があるわけですから。このシステムの中で出された和解案は、どちらかが受諾しなければ、今後裁判に移行する。その時に、ADRが何と言っていたかが、一つの判断材料になります。だから私は、仲介委員は自信を持って和解案を出してほしい、と言ってきました。初期被曝の慰謝料についても、何度か頓挫しかかったのですが、東京電力が受諾しそうもないから和解案を出さないという対応に堕することなく、踏みとどまってくれた。その点では、ADRも気概を保ったと思います。
 ただ残念ながら、不動産の単価賠償については、現在のところ、ADRは尻込みしてしまっている。飯舘村には、田んぼが約一二〇〇ヘクタール、畑が約九〇〇ヘクタールあります。単価賠償は掛け算で効いてきますから、総額でかなりの額になります。そこを考えて、尻込みしたのでしょう。だから、評価する面と、だらしないなと思う面と双方あり、複雑な思いでいます。

佐藤  ADRについては、他にも様々な問題点があると思いますが、東京電力の対応について、もう少し聞かせて下さい。東京電力は「親身・親切な賠償のための五つのお約束」と、「損害賠償の迅速かつ適切な実施のための方策(三つの誓い)」を、企業努力として表明している。「五つのお約束」は「①迅速な賠償のお支払い、②きめ細やかな賠償のお支払い、③和解仲介案の尊重、④親切な書類手続き、⑤誠実な御要望への対応」、そして「三つの誓い」は「①最後の一人まで賠償貫徹、②迅速かつきめ細やかな賠償の徹底、③和解仲介案の尊重」です。端的に言えば、和解案を尊重すると言っているわけです。しかし実際には、これは絵に描いた餅であり、嘘八百の宣言になっています。

只野  公言していることと、現実に実行していることの乖離、言わば「有言不実行」の最たるものです。国会や記者会見では、「三つの誓い」や「五つのお約束」のような文書を公にしていながら、個別のケースではそれらをまったく守ろうとしない。

佐藤  企業イメージを取り繕うという効果だけを狙ってこうした文書を作成した、としか思えません。現実的には、まったく逆の対応をしているわけですから。東京電力は、事故企業としての社会的責任を果たそうとしていない。飯舘村民の初期被曝について和解案を拒絶したこと一つを取っても、そのことが明確に露呈している。ADRに関して、もう一点お伺いします。ADRでは、飯舘村住民は「生活破壊慰謝料」を請求していました。これは、別の裁判で「ふるさと喪失慰謝料」というかたちで提示されているものと同じものですね。こちらについても、ADRは和解案を出さなかったわけですね。

只野  生活破壊慰謝料についても、ADRは「東京電力が受諾する可能性が高い和解案を出すのがADRの仕事であり、東京電力が受諾しない案を提示しても無駄である」と述べて、和解案を出していません。ADRのこの発言後、今言われたたように、千葉地裁や東京地裁で、「ふるさと喪失慰謝料」を認める判決が出ていますから、今ならば少し違う状況になったかもしれませんね。

佐藤  他の裁判の進行とも関係するということですね。

只野  もちろん東京電力は千葉地裁や東京地裁の判決を受諾していませんから、ADRの対応は変わらないかもしれません。しかし我々としては、生活を破壊されたことに対する慰謝料という考え方自体はおかしくない、当然支払われるべきものだ、ともう少し強く主張できた可能性はあります。

佐藤  ADRでは多くの成果もあったと思います。それについてもお聞きかせいただけますか。

只野  成果が得られたのは、一定の場合について、避難慰謝料が増額された点です。きっかけとなったのは、浪江町の住民の避難慰謝料について、一人あたり月額一〇万円を一五万円に増額するという和解案がADRから出たことです。一人あたり一律で月額一〇万円というのはおかしい。特に単身者や夫婦二人で暮らしている方たちと、七人、八人、九人といった大家族では、状況が全然違います。慰謝料が実態に合っていないわけです。だから、最低額として五万円増額するという和解案が出ました。それを受けて、飯舘村ADRでも、個別の事情にかかわらず、一律で増額しろという申立てをしました。
 しかし、東京電力は、浪江町の和解案に対して、一律の増額は東京電力としては受け入れられないということで、拒否しています。そうなると、飯舘村に関して、ADRも一律の和解案は出しにくい。そういうこともあって、暗礁に乗り上げかけたのです。
 そこで私たちは、他の場合よりも慰謝料が増額されるべき事由を最終的には一五項目ほどに集約して、資料を提出しました。結果として、三つの成果をあげることができました。
 第一に、高齢者、要介護が必要な方がいる世帯に対する増額。第二に、身ごもっている方と、乳幼児を抱えている方がいる世帯に対する増額。第三に、避難によって家族が分断され二重生活を強いられている世帯への増額。これは飯舘村に特徴的なことですが、大家族が多いんですね。例えば、おじいさん、おばあさんがいて、お孫さんがいる。必然的に六人家族、多いところでは、一軒の家に九人で暮らしている。当然のことながら、避難先では、家族みんなが住める大きな家がない。福島市にも南相馬市にも、そんな大きな家はない。必然的に、二世帯に分れて生活しないといけない。
 これら三点について、平成二三年三月から平成二七年一二月分までの五八ヶ月を対象として、各項目についてひと月あたり一万円から五万円の範囲で掛け算して支払う、という提案をADRがしてきました。
 かなり大雑把な当てはめ方なので、私たちとしては受け入れるかどうか、かなり迷いました。けれども、断って、それ以上の成果が上がるのかどうかはわかりません。代替案がなかったこともあり、苦渋の判断で受け入れました。その提案を、東京電力も受け入れた。東京電力は、他の事案でこうした基準で増額を認め、既に支払いをしていますから、なかなか異なった取り扱いはしづらかったのかもしれません。
 ただ、東京電力はすんなり認めたわけではありません。当初東京電力は、個別の立証をしてくれと強く主張していました。例えば、避難のために二重生活になっているとして、二世帯に分かれて住んでいるのであれば、二世帯分の電気代や水道料金の領収書をすべて提出しろ、それを全部出せば、それに応じて認める、というわけです。
 こちらからすると、二重生活は好きでやっているのではない。そこまで疑うのならば、あなたたちは、福島にも事務所があって人数もいるし、住所も提示しているのだから、自分たちで確かめればいい。そう主張すると、最終的にはADRも、当方の主張を認めて、そういう資料無しで、和解案を出してくれた。そこは、集団申立によって、成果が上がった部分だと思っています。

佐藤  避難慰謝料の増額とは、言わば、月額の生活費の保障を上積みするということですね。しかし、村外への避難によって生活費が上がったこととは別に、たとえ村民が飯舘村に帰還したとしても、現在では、農作業でできた食物を隣近所で交換し、山菜やキノコを採って自然と共存して生活する、という原発事故前にあったような豊かな自然の恵みを享受することはほとんど不可能です。これに関して、生活費の保障とはまったく別の種類の慰謝料、つまり「生活破壊慰謝料」は支払われていませんね。

只野  これは除染と裏腹だと思うんですね。除染の結果、もし放射能の影響がなくなるならば、例えば山菜やキノコもこれまで通り食べられる。しかし実際の除染は、そうしたものとは全然違います。居宅とその周辺二〇メートル、あとは道路が対象です。ほとんどの場所が除染されていない。もちろん、山菜やキノコの汚染は高く、まったく食べられません。決して元の状態に戻ったとはいえないわけです。

佐藤  山全体を除染することができない以上、人間と共存してきた里山の自然がほぼ失われてしまったと考えてもいい。それは、飯舘村の伝統的な生活習慣全体が失われた、というくらいの重みがある事実だと思います。

ADRから裁判への移行可能性について


佐藤  ADRで解決できなかった論点については、裁判に移行するという可能性もあります。この点についてもお聞かせ下さい。

只野  裁判に移行するとしたら、一律請求、共通の損害に対する請求にすべきだと思っています。それには、初期被曝を含めた生活破壊慰謝料の請求をするのが、一番適当だろうと思っています。
 しかし現状では、ADRがまだ完全には終わっていませんので、まずはADRの手続きをやり切って、総括をしなければならない。その上で、裁判への選択肢を示していく必要があります。ADRでは、今言ったように、三項目については獲得できました。私たちが依頼を受けているのが、合計で七七五世帯です。五三〇~四〇世帯に支払いがあり、総額で約一一億円となります(二〇一八年一一月一九日現在)。逆に、残りの二〇〇世帯以上に対しては、何の増額支払いもありませんでした。裁判では、そうした個別の請求ではなくて、一律の請求にしたいと強く思っています。
 ただし、裁判に関しては、いくつもの障害があります。一つは、住民の中で裁判に対するハードルがすごく高い。私も田舎の出身なのでよくわかるんですが、隣組のようなかたちで、争わずにやってきた風土がある。農作業は元々そういう面があって、協力しながらやっていかなければならない。争いを好まない風土であることが、根本にあります。もう一つは、金銭的なことです。ADRには、申し立て費用(印紙代)がかからない。裁判であれば、そうはいかない。かりに一〇〇〇万円請求すると、印紙代として五万円払うことになります。これが目に見えるかたちで出てくる支出です。その上で、裁判にどれだけの成算、勝目があるか。さらに、裁判のためには様々な打ち合わせをする必要もあり、また交通費などの経費もかかります。そのように考えていくと、二の足を踏む気持ちが多くの人たちにあるだろうと想像します。

佐藤  ADRについては、飯舘村では、三〇〇〇人以上の村民の方々がまとまって提起していますが、裁判については、そこまでの状況には至っていないということでしょうか。

只野  今後ADRの総括を含めて報告し、そこで裁判の選択肢を示すことになります。裁判提訴に向けたエネルギーは、村民たちの原告事故に対する怒りです。ADRで終わっていいのか、泣き寝入りでいいのか。そうした怒りにもう一回火がつくかどうか。あるいは今、怒りを表に出さないようにしている人たちに、どれだけ火がつけられるか。そこにかかっているでしょうね。

佐藤  飯舘村民の方々は、福島第一原発事故によって生活のほぼ全体を奪われた、と言っても過言ではありません。制度上は、帰還困難区域である長泥地区を除いて、飯舘村の村民は自宅に帰れるようになったとはいえ、やはり帰還者は非常に少ない(二〇一八年二月時点で帰還率は一〇・八%。以下を参照。「<原発事故>旧避難指示区域帰還率15% 福島9市町村、全域解除から1年」、河北新報、二〇一八年三月四日。)。その意味では、村民の方々が現在の飯舘村での生活にそれほどの希望を持っているとは言えない。裁判提起への可能性があるとすれば、その部分ですね。

只野  初期被曝を含めた生活破壊慰謝料ですね。生活破壊慰謝料の根源は放射能で汚染されたことによるのであり、かつ、村民は初期被曝を大量に受けた。大熊町や双葉町は、事故直後に全員が避難させられたので、初期被曝量はそれほど高くはない。飯舘村は二〇一一年四月二二日まで、公式に避難指定されていませんでしたから、その影響がかなり大きい。そこまで含めた慰謝料を請求していく、という点が最も裁判に馴染む論点だろうと思います。

佐藤  最後に、付け加えたいことがあればお聞かせ下さい。

只野  原発の損害賠償を担当してきて、内心忸怩たる思いを抱えていることを、是非言っておきたいと思います。飯舘村の方々への賠償を見ていると、例えば元々不動産を持っていた方には、不動産に賠償がつく。田畑や山林などの財産も、賠償されています。大家族だった人は、大家族ということで賠償が増額される。介護を受けていた方にも賠償が増額される。しかし、全員がそういう方ばかりではありません。結果として何が生じるか。同じような苦労をしているにもかかわらず、賠償額に差が出てきてしまう。みんな二〇一一年三月一五日に異常な恐怖を覚え、四月二二日まで避難地域に指定されることなく、放っておかれた。七月までにいきなり避難しろといわれても、簡単に避難できるわけがない。飼育している牛をどうするのか、など様々な困難がある。そこはみんな同じ思い、怒りを共有しているはずなのに、飯舘村の中でも賠償額に大きな差が生じてしまっている。
 もう少し視野を広げて、原発事故全体の被害者について考えを巡らせるなら、問題は強制避難地域の住民だけではありません。避難指示が出されなかったにもかかわらず放射線量の高い地域は存在しましたが、そうした地域の住民には雀の涙ほどの賠償額しか出ていないわけです。その点でも賠償格差が生じている。
 そうした格差はゼロにはできないとしても、それを埋めるための努力はしないといけない、と私たちは思っています。私たちが担当している飯舘村でも、賠償の増額をもらった人と何ももらっていない人がいます。その差を少しでも縮めるための努力をしなければいけない。
 実は賠償の増額をもらっていない人というのは、相対的に発言力が小さい人なんです。怒りが大きくても、声に出せない人がいる。実際に弁護士として活動していると、訴えることすらできない人たちにたくさん出会います。訴えるためにはお金がいる、時間もいる、それから発言力、論理もいる。そういうものに恵まれず、声を上げられない人たちのためにも、戦える人は戦わなければならない、戦う義務があると私は思っています。損害賠償は権利の行使であって義務ではありませんが、全員が戦えるわけではない、その意味では義務である、と私は言い続けています。
 飯舘村で長い間生活を作り上げてきた人たちが、その生活を壊されたことに対して慰謝料を請求する、それは村民全体にとっての共通損害であり、富めるものも貧しいものもみな同様に初期被曝を受けた。この点については団結して戦えると思っています。

佐藤  確かに、賠償については矛盾が大きいですね。元々土地や住宅を所有していた方と、そうではない方との格差もありますし、避難指示区域は自治体の区割りに従って非常に恣意的に決定されているために、住居の場所が数十メートル違えば賠償額がまったく違う、ということが起こってしまう。賠償については何重にもわたって不条理があり、被害を受けた住民たちもそうした不条理に翻弄されています。

只野  そうした賠償格差を、今後少しでも縮めるお手伝いができたらと思っています。
(二〇一八年一一月一九日、東京共同法律事務所にて)

★ただの・やすし=弁護士、飯舘村村民救済弁護団事務局長。著書に『まるで原発などないかのように』(共著)など。一九七一年生。
★さとう・よしゆき
=筑波大学人文社会系准教授。著書に『脱原発の哲学』(田口卓臣との共著)など。一九七一年生。

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