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【特別コラム】東電刑事裁判の判決の誤りを徹底批判する<佐藤嘉幸氏が聞く脱原発シリーズ#3>

【特別コラム】東電刑事裁判の判決の誤りを徹底批判する<佐藤嘉幸氏が聞く脱原発シリーズ#3>

――海渡雄一弁護士(東電刑事裁判被害者代理人)インタビュー――

東京地裁は九月一九日に、福島第一原発事故の刑事責任を問う「東電刑事裁判」に判決を下し、被告人の勝俣恒久元会長、武藤栄元副社長、武黒一郎元フェローに無罪を言い渡した。その判決内容について、東電刑事裁判の被害者代理人である海渡雄一弁護士にお話を伺った。聞き手は、『脱原発の哲学』(人文書院)の著者(田口卓臣氏との共著)でもある筑波大学准教授・佐藤嘉幸氏にお願いした。海渡氏は、来年一月、裁判の詳細を伝える『福島原発事故の責任を誰がとるのか』(彩流社)を刊行する。(編集部)

第一の論点——原発の安全性確保について

佐藤  最初に、判決要旨(以下で閲覧可能。https://shien-dan.org/summary-20190919/)を読んだ印象をお話しします。判決が示す論理は、最初から被告人三人を無罪にするという意図から構築されているかのように、様々な点で無理があると感じました。多くの方々が、大事故を起こした東京電力経営陣が無罪とされたことを、直観的におかしいと感じていると思います。今日はその点を、具体的な証拠を示しながら詳しくお話しいただければと思います。
 まず判決に対する第一の疑問点についてお伺いします。判決要旨は、原発の運転に関して、「少なくとも本件地震発生前までの時点においては、絶対的安全性の確保までを前提とはしていなかった」(四二頁)としています。これは、原発事故が今後も繰り返される可能性を容認する論理ではないでしょうか(実際、原子力規制委員会は福島第一原発事故後も、「新規制基準への合致は一〇〇%の安全、リスクゼロを保証するものではない」と繰り返しています)。また、判決自体がこのような判断をすることによって、今後も原発を運転可能にすることを保証する意図が、さらには原発過酷事故を起こした企業を免責することによって、原発の運転について電力会社を委縮させないようにする意図があるのではないでしょうか。

海渡  いま佐藤さんが読んで下さったのは、判決の結論の部分です。結論の中には次の一文が書かれています。「自然現象に起因する重大事故の可能性が一応の科学的根拠をもって示された以上、何よりも安全性確保を最優先し、事故発生の可能性がゼロないし限りなくゼロに近くなるように、必要な結果回避措置を直ちに講じるということも、社会の選択肢として考えられないわけではない」(四二頁)。これは三・一一前の政府の見解でもあり、一九九二年に最高裁が伊方原発訴訟の判決で述べたことでもあります。その意味では、これは元々政府の言明であったし、司法もそのレベルでの安全性を保ちなさいと言っていた。それを判決は全否定してみせたわけです。判決のこの論理が是認されると、原発は以前よりも危険で構わないことになります。原発に対する元々の規範があり、それを満たした安全性は保証されていなかったという社会的な現実があるのですが、その現実に合わせて規範のレベルまで下げようとしている。これが、判決の持つ最も恐ろしい点です。次なる重大事故を準備し、それを受忍しろと日本国民に押し付けていると言えるでしょう。

佐藤  こうした判断を結論で示すことによって、大きな社会的な影響が出てきます。電力会社に対して原発を続けていいというメッセージにもなり、国の原発政策を容認するメッセージにもなります。原発の周辺に住んでいる住民や日本国民全体に対しても、様々な影響がある判決だと思います。

海渡  判決の誤りの根源はどこか。検察官役の指定弁護士は裁判で、双葉病院で亡くなった四四人の方々の悲劇を中心に被害を捉えていたのですが、それをまったく正面から見ようとしなかったことです。実際に裁判では、当時患者の方々に付き添っておられた看護師さん、ケアマネージャー、医師の三人が出廷し、深刻な実状を話して下さいました。また、自衛官や消防士たちの鬼気迫るような調書も読み上げられた。そこで浮かび上がってきたのは、まさに放射能災害、放射線被害が起きている中で、避難作業が何度も中断され、亡くならずに済んだはずの命が大勢失われてしまった、ということです。その点が裁判では正確に立証されました。ご遺族からの「東電に殺された」という調書もたくさんありました。そうしたことが、この判決文にはまったく反映されていない。一行だけこう書いてあります。「長時間にわたる搬送及び待機を伴う避難を余儀なくされた結果、身体に過度の負担がかかり、三月一四日頃から二九日までの間に、搬送の過程又は搬送先において死亡した」(六頁)。その立証には丸二日間かけています。裁判官は、朝から晩まで避難の実態を聞いたはずなのに、それをこの一行で片付けてしまう。彼らは、福島第一原発事故によって引き起こされた被害と正確に向き合う心を持っていない。だからこそ、原発に要求される安全性についても、「絶対的な安全までは求められていなかった」などと平気で言ってしまえるのではないか。次に事故が起きたときは、「それはそれでしょうがないことでしょう」とでも言うのか。判決は、そう言ってやりたくなるぐらいの論理になっています。

佐藤  裁判官は現場検証も拒否したわけですね。

海渡  はい。現場検証は被害者代理人である我々も強く求めたし、指定弁護士も裁判所に検証の申請をしたのですが、何の理由も示さず、「必要性なし」の一言で蹴られました。民事損害賠償の裁判でも、福島の現地、原発を見に行ったり、帰還困難となっている区域を見て回ったりした裁判所がある。さらに、この裁判は、原発事故を裁く唯一の刑事事件であり、非常に注目されてもいる。当然現場検証をするべきでした。にもかかわらず、裁判所はその要求に一切取り合わなかった。この点からも、判決が誤った結論になることは予測できたことかもしれません。

第二の論点——事故回避は運転停止によらなければ不可能だったのか

佐藤  第二の論点に移ります。福島第一原発事故を回避するための必要な対策を、指定弁護士側は四つ挙げていました。「①津波が遡上するのを未然に防止する対策、②津波の遡上があったとしても、建屋内への浸水を防止する対策、③建屋内に津波が侵入しても、重要機器が設置されている部屋への侵入を防ぐ対策、④原子炉への注水や冷却のための代替機器を、津波による浸水のおそれがない高台に準備する対策。その上で、⑤これら全ての措置を講じるまでは運転停止措置を講じることである」(判決要旨、九頁)。判決は、これら四つの対策をすべて事故前に完了することは証明されておらず、問題は結局、二〇一一年三月までに運転停止措置を講じられたかどうかという点に尽きる、と述べています。非常におかしな論理です。四つすべてを完了できなかったとしても、簡単に実行できた②、③、④だけでも対策が講じられていれば、事故は起きなかった可能性は高い。しかし、そうしたことは、判決において議論の対象にされていません。判決は、運転停止だけに問題を絞ることで有罪認定のハードルを上げ、それによって無罪を導く、という論理構成になっているのではないでしょうか。判決要旨にはこうあります。「本件地震発生前、本件発電所は、法令に基づく運転停止命令を受けておらず、かつ、事故も発生していないのであって、そのような状況において、前記の多重的な封策が完了するまでの相当な期間にわたって原子炉の運転を停止することとなれば、被告人らの一存で容易に指示、実行できるようなものでは到底なく、東京電力の社内はもとより、社外の関係各機関に対して。本件発電所の原子炉を停止することの必要性、合理性について具体的な根拠を示して説明し、その理解、了承を得ることが必須であったものと認められ、そのような意味で、手続的に相当な負担を伴うものであったとみざるを得ない」(三三頁)。事故前に四つの対策すべてを講じることは不可能であり、さらに原発の運転停止も社会的に大きな影響があり困難であった、従って、被告人の責任を問うことはできない、というのが判決の論理です。

海渡  四つの対策についてもう少しわかりやすく説明します。具体的には、①防潮壁を設置しておくこと、②建屋の大物搬入口の水密化工事をすること、③非常用電源や主要機器が設置されている部屋を水密化すること、④代替電源や注水装置などを高台に移しておくこと、そして、この四つの対策を取るまでは原発を停止しておくべきである、ということです。しかし、四つの対策すべてを二〇一一年三月一一日までに完了できることは立証されていない。簡単に言えば、一番時間がかかると思われているのが防潮壁の設置です。それ以外の対策であれば、数カ月もあればできる。防潮壁を設置する期間についても、裁判で大きな問題になりました。政府事故調の報告書を見ると、「四年かかる」と書いてあります。そこから考えると、対策の検討が始まったのが二〇〇八年ですから、事故には間に合わなかったと思われてきました。しかし、沖合に防波堤を築く計画を立てた東電の堀内友雅さんが証言していますが、「沖合に防波堤を築くとすると四年かかる」ということなのです。それが政府事故調の「防潮壁完成まで四年」の論理のベースになっている。沖合に防波堤を作るのと、原発の敷地内に防潮壁を一〇メートルの高さで築くのとでは、行政の手続も工事の難易度もまったく違います。工期の日数に関しては、的確な証拠がないことはないのです。福島第一原発事故後、浜岡原発で、砂浜に高さ二二メートルの防潮壁を築きました。これがおおよそ一年で完成している。福島第一原発の場合も、一〇メートル盤の上に一〇メートルの防潮壁だから、一年ぐらいあればできたと思われます。
 もう一つ重要なことは、大規模な津波対策を始めたら地元から原子炉の停止を求められるに違いない、という証拠があることです。この原発は津波に対する防御ができていないと天下に知らせることになるわけですから、当然のことです。福島県や地元の双葉町、大熊町は、原発と協定を結んでいて、危険性があると判断された場合は原子炉を止めるよう要望する権限があった。以上のことから明らかになるのは、次のことです。四つのうちの三つは確実に二〇一一年の三月までに完了できたし、防潮壁にしても急いでやれば短い期間でもできた。その間原子炉を止めなければならないことを考えれば、極力突貫工事での完成が目指されたとも言えます。ですから、二〇〇八年に対策工事を始めていれば事故は避けられた、原発の運転停止以外に有効な対策はなかった、というのは事実とは異なる。にもかかわらず、裁判所は停止だけが有効だったと言っている。これに対しては、有力な反証があります。東電とまったく同じ時期に、日本原電の東海第二原発が津波対策をやっている。むしろ東電よりも遅れ気味にスタートし、東電と同じ東電設計に津波の高さを計算してもらって、それに基づいて水密化や防潮壁に替わる盛り土の対策をしている[図1]。こちらは二〇〇九年ぐらいにほぼ終わっている。一番長くかかったものでも、二〇一〇年の春には終了しています。これは、四つの対策が間に合った可能性があることを立証するために指定弁護士側が提出した証拠ですが、これについても判決は的確な判断を示していない。



 さらにもう一つ重要なのは、東電役員の弁護側の主張です。推本(政府地震調査研究推進本部)の長期評価に基づいて対策を取ったとしても、津波高の計算では、敷地の南側と北側と真ん中の三ヵ所で一〇メートル盤を越えることになるだろうから、その三ヵ所にだけ防潮壁を築いたはずである。しかし、実際の津波は敷地東側の全面にわたって越流してきているので、事故を防ぐことはできなかった、という主張です。そんな馬鹿な話がありますか。防潮壁を櫛の歯みたいに築くのか。それは「工学的にもありえない対策」だと、東電設計の担当者や東電の広報部長も言っていました。逆に弁護側の言うようなことを証言した東電の社員もいますが、事故前にそのような対策が検討されたことを示す証拠は何もありません。ただ、そのような櫛の歯防潮壁が有効だったかどうかを弁護側は裁判の最重要論点だと考え、三時間にわたった弁論のうち一時間程度を使って説明しました。誰が考えても、東電側の論理は荒唐無稽です。津波の危険のある施設について、津波高の計算に基づいて、櫛の歯みたいな防潮壁を作っているところは日本中探してもどこにもない。また、東電にはそのような櫛の歯防潮壁の設計図は存在しません。反対に、櫛の歯でない防潮壁の立体図が残っている[図2]。しかし判決は、この論点を見事にスルーしています。その点について被告人たちは、説得力を持った論証ができていない。だから、それより手前の部分、つまり、間に合った対策は原子炉の停止しかない、停止を義務付ける緊急性、必要性が推本の長期評価にあったかどうか、という点だけに判断事項を限定してしまった。最も主要な論争点として議論されたところが完全にスルーされ、肩すかしにあったような判決です。論点ずらしがなされているということです。



第三の論点——「長期評価」の信頼性について

佐藤  第三の論点に移ります。判決は、推本の長期評価の信頼性を過度に低く見積もっているのではないか、いう感じを受けました。長期評価は、三〇年に二〇%の割合でマグニチュード八・二程度の津波地震が、日本海溝沿いのどこでも起き得ると予測しています[図3]。福島県沖でも起きるという予測でした。これに従えば一〇メートルを超える津波が福島第一原発に襲来する可能性が高いことは予測できた。それにもかかわらず対策を先送りにした東京電力の責任は大きい。一般的にはそう考えるのが普通です。海渡先生も言われているように、東電や国に対する民事の損害賠償訴訟では、長期評価が信頼性を持つものであることが例外なく認められている。ところが今回の判決は、長期評価には信頼性がないという奇妙な論理構築をしています。



海渡  まず、政府地震調査研究推進本部というのが政府機関だということが重要です。そして福島県沖も含めた、三陸沖から房総沖までの区間でマグニチュード八・二以上の津波地震がくるという見解は、推本の長期評価検討に当たった多数の地震・津波学者全員一致の意見です。そして、「三〇年間に二〇%」とは、原発の安全性を考慮する上ではものすごく高い確率です。一万年に一度の地震であっても考慮しなければいけない、というのが原発の基本的な安全性の考え方です。それに比べて、この確率は非常に高い。長期評価について「問題がある」としている学者にしても、福島沖で津波地震が起きることはないと言っている人はほとんどいない。三陸沖がマグニチュード八・二だったら房総沖は八・〇ぐらいになる。そういう規模の違いを言っているだけです。そうしたことを踏まえて、東電は二〇〇八年八月、東電設計に依頼して、津波高を再計算させています。結果的に出てきた数字は「一三・六メートル」です。長期評価を踏まえて東電設計が二〇〇八年三月に出した想定津波高「一五・七メートル」とわずか二メートルしか変わらない。そこから出てくるのは、防潮壁の高さを一〇メートルにするか八メートルにするかという違いだけです。その時点から八メートルの防潮壁を築いて、それを津波が越えて事故が起きたというのならば、彼らの言い訳は成り立つのかもしれない。結局、南北で地震の規模が異なるという見解は、東日本太平洋沖地震の発生により、科学的には間違っていたことがわかったのですが、いずれにしても、見解に幅があったということは、何の対策も取らなかったことの根拠には到底なり得ません。そして土木学会は、二〇一〇年一二月には、福島・房総沖の津波地震の規模はマグニチュード八・〇ぐらいになるとの見解をまとめています。この場には、東電の職員も立ち会っていたのです。
 もう一つ重要なことは、国が審査する立場にあった耐震バックチェック[新たな安全基準が作成された場合に、それ以前に作られた機械について、新基準に照らし合わせて調査し直すこと]の審査会合です。そこでどういうことが議論されたのか、議論されることになり得たのか。保安院の審査会合を主宰していた地震学者の阿部勝征さんは、検察官に対する調書で証言しています。太平洋プレートはひと続きになっていて、その主体構造に違いは見られない。よって福島沖から茨城沖で、どこでも地震津波が起きることは否定できない。原子力事業者としては、推本の長期評価を前提とした対策を取るべきである。そうはっきりと、阿部さんは言っているのです。だからこそ、東電の土木調査グループは、津波対策を取らない限りバックチェックには通らない、と上層部にも進言している。しかし、上層部はどう考えたか。土木学会に検討してもらっている間は、津波対策をしなくて済む。バックチェックの期限は国に圧力を加えて引き延ばしていく。
 その間に柏崎刈羽原発の再稼働を目指していけば経営上のロスが少なくなる。津波対策を先送りするために、そうした意志決定をしているわけです。
 ただ、いずれにしても津波対策を取らなくてはならないことは、東電の現場の人間には完全にわかっていたと思います。それは武藤栄氏には説明済みです。一年ぐらい遅れて、武黒一郎氏にもしっかり説明されていたはずです。だから、推本の長期評価の信頼性をここまで低める判決の論理は、ものすごく奇異な感じがします。裁判官は、科学者でもないのにこうした科学的判断を示していますが、内容的にも頓珍漢であり、呆れるばかりです。しかもよく読むと、長期評価に基づいて対策を取る必要はなかったとは言っていない。長期評価は直ちに原子炉を止めるレベルのものではなかった、と言っているのです。様々な面で誤摩化しがあります。つまり、対策をとるべきだったと判断すれば、大規模な津波対策工事が行われることになって、地元から原子炉停止を求められて、結局停止になった、というのが僕らの見立てなのですが、そのような観点は一切考慮に入れていない。非常におかしな論理構築だと思いますね。

佐藤  判決は、「「長期評価」の見解は、具体的な根拠を示しておらず、地震本部自らも信頼度をCに分類して」いると付け加えています(二一頁)。故意に長期評価の信頼性を落とそうとしているわけです。これについては、地震学者の島崎邦彦先生が、長期評価の作成時に様々な介入があったことを証言されています(島崎邦彦、「予測されたにもかかわらず、被害想定から外された巨大津波」、『科学』第八一巻一〇号、岩波書店、二〇一一年。以下で閲覧可能。https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=32422)。それによれば、長期評価の示す福島県や茨城県の津波予測が高過ぎて、今まで対策をやってこなかった自治体に対して今更対策をやれとは言えない、という非常に政治的な理由から、長期評価の信頼度を下げさせ、その提言を中央防災会議が取り入れないようにさせる、といった介入があった。その意味でも、「信頼度C」という評価が科学的だったとは言えない。判決は、そうした事実を一切無視し、無罪を導くための論理構築をしているように見えます。

海渡  「信頼度C」というのは、地震津波がどこで起きるかわからない、ということなのです。東北地方については、過去四〇〇年しかデータがなく、その間に起きているのは、三陸沖が二回と房総沖が一回。しかし、もう少し遡ってみると、八九四年に貞観津波という現在の宮城県沖で起こった大地震があって、国史に記録が残っている。そのとき福島にも大きな津波をもたらしていることが、審査の中でわかってきている。そのような歴史を見ると、福島で大きな津波被害が起き得ることは、誰にでもわかるはずです。だからこそ、「原子力ムラの別働隊」と言われる中央防災会議が、原発に悪影響が及ぶことを理由にして、推本に政治的に介入し、信頼度を下げるような文章を無理矢理書かせる、という実際に工作があったことを、島崎先生は大変怒っておられたし、その旨を法廷でも証言された。それを無視して判決では、推本の長期評価の信頼性を傷つける認定をしている。電力会社を徹頭徹尾守るために司法判断が歪められた、典型的な例だと思います。

佐藤  島崎先生の話は非常に明確で、私のような文系の人間にもわかりやすいものでした。いま貞観地震の話をされたように、大きな津波地震が過去四〇〇年起っていないからといって、そこに津波地震が起こらないわけではない。日本海溝上にはエネルギーがたまり続けており、そのエネルギーがいつか放出される可能性があるのだから、むしろ過去四〇〇年津波地震が起っていない場所の方が危ない、ということです。

海渡  その通りです。地震空白地域の方が地震が起きやすい、ということは地震学の常識です。島崎先生はそのことをおっしゃっているのですが、判決では一言も触れていません。本当に頓珍漢ですね。

佐藤  しかも、判決は非常に科学的な細かい領域にまで踏み込んで議論しているのですが、対照的に、今述べたような科学的知見の大枠を一切無視している。結果として、長期評価の信頼性を貶めるだけになってしまっています。

海渡  例えば、判決要旨の二七頁には次のようにあります。「津波地震の中には中南米で発生した一九六〇年のペルー地震や一九九二年のニカラグア地震のように付加体[海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込む際、その境界となる海溝の陸側に形成される地質構造]を形成していない又は大規模な付加体の存在が報告されていない領域を津波波源とするものもある」。これは、推本の長期評価が正しいことを認定しているわけです。こういう例が具体的にあると言っているのだから、付加体のない福島県沖での津波地震も当然考慮しないといけない。ところが裁判所は、付加体のないところでは津波地震が起きにくい、という見解の方を信じている。付加体のないところでは津波地震は起きない、と断言している学者は誰もいません。地震の規模が小さくなるというレベルの議論しかない。だから、裁判官は理解しているかどうかわかりませんが、自分の言っていることを自己否定するようなことをこの三行で認定している。こんなことを認定するなら、付加体のないところでも津波地震が起きると認定しなければいけない。

第四の論点——津波対策工事の先送りについて

佐藤  第四の論点に移ります。東京電力は二〇〇八年二月、予想される津波の高さを、敷地内にある四メートル盤のみが浸水するレベルである七・七メートルだと考えて、津波対策工事を行うことを決定した。これは裁判でも立証されています。ところが、二〇〇八年三月、東電設計が津波高一五・七メートルの予測を出します[図4]。そうなると、一〇メートル盤上にある原子炉建屋の浸水を防ぐためには、その上に一〇メートルの防潮壁を築くなどかなり大掛かりな工事が必要になる。その結果、二〇〇八年七月、一転して東電は、津波対策工事を先送りにする決定をする。この点を立証する証拠がたくさん出てきています。判決がその点をまったく認定していないのは、不思議としか言いようがありません。



海渡  ここはすごく重要なポイントなので、詳しく説明します。まず、東電社内で開かれていた「御前会議」というものがあり、これが何かということです[図5]。主たる出席者は、武黒一郎、勝俣恒久、清水正孝、武藤栄の経営陣四人と、東電本店の原子力部門の部長、そして各原発の所長以下の幹部です。それに加えて、説明者である山下和彦中越沖地震対策センター長、吉田昌郎原子力発電設備管理部長がいる。さらに、副部長格であるゼネラルマネージャー(GM)数十人も後ろに控えている。つまり、原子力に関わる幹部が勢揃いする会議である、ということです。この会議の目的は何か。中越沖地震後、東電の柏崎刈羽原発の原子炉が全機停止しましたが、その運転再開を急がなければならない。そのために迅速な意思決定をしていく必要がある、ということで、原子力関係の幹部を全員東京に集めて、日曜日一日かけて開いていた会議です。前例があまりないものだったそうですが、清水氏は調書の中で、「東電の中で最も重要な会議だった」と言っています。しかし、裁判になると被告人たちは、「情報交換の場であり、何かを決める場ではなかった」と証言しました。確かに常務会のような何かを決めるための会議ではない。しかし、これはまさに原子力事業の方向性を合意していくための重要会議であり、だからこそ「御前会議」と呼ばれ、日曜日にこれだけのメンバーを集めて、朝から晩まで話し合ったのです。それが単なる情報交換の場だったということは、どう考えてもあり得ません。



 御前会議の資料も裁判で明らかになっています。「二・一六御前会議資料 七・七メートル以上、さらに大きくなる可能性」[図6]にある、「地震随伴事象である「津波」への確実な対応」というものです。前者が土木調査グループ作成、後者が耐震技術グループ作成と言われており、会議で配布されたことは、被告人たちも争っていません。しかし、彼らは見たことも、説明を受けたこともないと言い張っている。あり得ないことですね。資料をよく見ると「津波高さの想定変更(添付資料参照)」とあり、津波高を従来の「+五・五メートル」から「+七・七メートル以上」へと赤字で記しながら見直し案を入れている。加えて「詳細評価によってはさらに大きくなる可能性」と備考にあります。この資料に基づいた説明がなされたことの証拠もあります。三月六日に、機器耐震グループの山崎GMが土木調査グループの酒井俊朗GMに送ったメールです[図7]。「1F/2F津波水位に関する打ち合わせ」に続いて、次のようにあります。「現在、土木Gにて津波高さの検討を進めており、結果がもうすぐ出るとの話を聞いております。また、先回の社長会議でも津波の対応について報告しています。評価上、津波高さが大幅に上がることは避けられない状況であることから、その対策について具体的なエンジニアリングスケジュールを作成し、土木、建築、機電を含めて今後の対応策について検討していく必要があります。キックオフとして以下の日時(三月七日)にて打ち合わせを実施したいと考えておりますのでご参集の程お願いいたします」。これは津波の計算をしたグループではなく、工事にあたるグループが、そのやり方についての会議の開催を告知したメールです。つまり、既に対策に取り掛かる必要があると考えられており、津波対策工事のスケジュール案まで添付されていた[図8]。その予定表を見ると、ほとんどの対策は、ほぼ二年以内に終わるように組まれています。







 次は、このメールで書かれている「打ち合わせ」の議事録です。会議は、実際に三月七日に行われています。その議事録にはこうあります。「土木G[グループ]の津波水位に関する評価状況から1F、2F[福島第一、第二原発]については今まで想定していた津波の水位を上回る見込みである(社長会議にて説明済み)」。さらに、「一〇メートルを超える可能性がある」とまで書かれている。「用意したES[エンジニアリングスケジュール]も津波水位が一〇メートルを超えると成り立たないこと、対策自体も困難であることを説明。土木G[グループ]にて再度水位設定条件を確認した上で、想定津波高さが一〇数メートルとなる可能性があることについて、上層部へも周知することにした」。だから、二月の御前会議の時には一〇メートル以下で収まると考えられていたのですが、この時点では、それを超える事態について話し合われていたことがわかります。いずれにせよこれは、工事スケジュールまで作成し、各グループで検討し始めていることがはっきりとわかる証拠です。ところが判決の中では、山崎氏のメールは「事実ではない可能性がある」としてこの証拠を跳ね除けている。メールまで残っているのに、そんな無茶苦茶のことがよく言えるものです。
 もし山下和彦中越沖地震対策センター長が認めている、この会議での説明があり、津波対策を講ずる方針が了承されたことが事実だったとすると、被告人たちの言い分は根底から覆ります。なぜなら、推本の長期評価に基づいて対策工事の実施を決め、具体的な工事内容まで詰めていくという話になったことが明らかだからです。その後対策をとらなかったということは、まさにこの時の決定を「ちゃぶ台返し」したことになります。

佐藤  細かいことですが、二月の御前会議で「七・七メートル以上」という試算が出ています。これは推本の長期評価を踏まえて計算したが、荒い計算だったということでしょうか。その後、津波高の予測が二倍以上になるわけですから。

海渡  津波の計算は、まず一番よくありそうな津波の高さの計算をする。それが概略計算です。さらに、原発にとっては一番厳しくなる条件を設定して、たくさんの計算をして、その中で最も高い津波高を出す過程が詳細パラメーター・スタディーです。実際の計算をするプロに言わせると、二つの計算式の間で倍ぐらいの差が出るのは当たり前のことだということです。ただ、「一五・七メートル」という数字が出てきたときには、山下さんもびっくりしたと調書の中で言っています。そして、この後何が起きたかといいますと、「一五・七メートル」は高すぎるから、吉田さんや山下さんが現場に押し戻して、一〇メートル以下に下げられないか、津波高を計算し直すよう命じるのです。三月から四月にかけては、そういうことをやっています。東電設計の担当者の久保さんは、小手先のことで津波高を下げることはできないと拒否する。結果として「一五・七メートル」の津波高に対応して対策をせざるを得なくなったのが、四月二〇日過ぎぐらいです。そこから議論を始めて、役員に対策案を提案したのが六月一〇日となるのです。

佐藤  「一五・七メートル」という数字が出てくると、やはり経営陣は慌てますね。対策工事が大規模になるだけではなく、その間原子炉を止めなければならなくなり、得られるはずの利益が得られなくなる。だから工事を遅らせようとした。具体的には、土木学会に検討を依頼することが選択された。土木学会の検討が数年かかることはわかっていた。さらには、土木学会に検討を依頼しても津波高は一三・六メートルにしか下がらないことも、津波対策を先送りした翌月の二〇〇八年八月の時点で、東電設計の追加計算によってわかっていた。明らかに、工事を遅らせるための時間稼ぎが目的だったわけです。

海渡  六月一〇日の会議について説明しておきます。武藤さんを囲んで、吉田原子力管理部長、山下中越沖地震対策センター長、加えて、機器耐震技術グループ、建築グループ、土木技術グループが出席している。さらに重要なのは、東電の広報部長が同席していることです。どういうことか。津波対策を実施することになったとき、福島県や、原発のある双葉町、大熊町にどう説明するか、そのことも含めて議論する場だったわけです。しかも、この会議は二時間もやっている。この会議は、二月に元々予定していた四メートル盤上の対策を、さらに拡充して一〇メートル盤の上でもやることを決めてもらうための場だったと思います。ところが、結果的に四つぐらいの宿題が出されることになり、決定は持ち越されてしまう。現場の土木技術グループとしては、対策実施を決めてもらえると思っていた。そのことがはっきりうかがえる証拠もあります。七月二三日、太平洋岸四社情報連絡会が行われます。東京電力と東北電力、東海第二原発を持つ日本原電、日本原子力研究開発機構が参加しています。この場で「防潮壁、防潮堤やこれらを組み合わせた対策工の検討を一〇月までには終えたい」と、土木調査グループの津波担当である高尾誠氏が説明しています。他の会社もいる場での発言ですから、当然対策工事をやるつもりでいるわけです。ところが七月三一日、前回(六月一〇日)出された宿題に対する説明をしていくと、会議の終りがけに武藤さんが「研究を実施しよう」と言った。つまり、あくまでも「研究」であり、実際の「対策」は実施しない、という意味です。そして、「土木学会に検討してもらう」とも言った。時間稼ぎをしつつ福島第一原発が止まらないようにして、柏崎刈羽原発の運転再開を待つという狙いがあったのでしょう。

佐藤  「研究を実施しよう」と言われて「力が抜けた」、と高尾氏は述べていますね。

海渡  「前のめりに対策を煮詰めようとしていたのに、対策を実施しないという結論は予想していなかったので力が抜けた」と証言されています。正直な気持ちだったと思います。現場の技術者として、ここまでの資料を揃えて上層部に上げたのだから、きちんとした対策をやってもらえると思っていた。しかし、そうはならなかった。
 もう一つ重要なことがあります。東海第二原発では当時、津波に対する工事が既に始まっていた。東電とほとんど同じ時期に計算結果が上がってきて、対策工事案を出すと、すぐに常務会を通って、建設工事が始まっている。日本原電の安保秀範GMと東電の酒井GMの間で、こんなやりがあったことが明らかになっています。安保さんが「二階に上がって、梯子をはずされた状態になった。自分は東電がやると言ったから始めたのに、本家本元の東電がやらないとはどういうことか」と訊ねる。それに対して酒井さんが答えます。「柏崎も止まっているのに、これと福島も止まったら経営的にどうなのかって話でね」。要するに、大規模な津波対策を決めて発表すると、福島第一原発も止めなければならなくなる。そうすると、ただでさえ柏崎刈羽原発が止まって経営が苦しいのに、東電の経営が傾いてしまう。だから対策を先延ばしにする。このように考えていたことは明らかだと思います。

佐藤  酒井氏の発言は決定的ですね。東電の収支に影響が出ることを怖れていたことがはっきりわかります。

海渡  耐震補強の工事だけで大変な金額がかかる。柏崎刈羽原発だけで三二六四億、福島第一、第二原発の耐震補強で一九四一億円、総額で五二三七億円です[図9]。これは津波対策の費用を除いた金額です。ただ、そのお金がもったいなかったのではなく、その間福島第一、第二原発の両方を止めなければなくなり、一基も原発が動いていない状態になることを怖れたのだと思います。



佐藤  今挙げていただいた金額が書かれた東電の報告事項には、「概算想定(津波対策を除く)」と書かれています。これも不可解な文章ですね。なぜ津波対策の費用が書かれていないのか。

海渡  吉田調書というのが問題になりましたが、この裁判でも証拠になっています。そこからわかってくることがあります。この報告は御前会議の資料なのですが、「津波対策を除く」と書いてあれば、役員は当然いくらかかるか聞いてくる。吉田昌郎所長も「聞かれた記憶がある」「一〇億、二〇億ではなく、桁の違う金額になる可能性がある」と説明したと言っています。だから、実際に御前会議では、津波対策の経費がどれぐらいかかるか、そして原発が動かなくなったらどの程度のマイナスが生じるかについて話し合っていたのではないかと思います。ただ、議事メモが正確に残されていないので、現状ではそれ以上のことはわかりません。

佐藤  津波の問題は機密事項なので、外に漏れてはいけないようなメモを残さない、という配慮があったということでしょうか。

海渡  そうなのです。そのことがわかる資料があります。二〇〇八年九月一〇日、「耐震バックチェック説明会(福島第一)」の議事メモが残っている。そこに何が書かれていたか。「津波に対する検討状況(機微情報のため資料は回収、議事メモには記載しない)」とあります。馬鹿みたいな話でしょ。残っている御前会議の議事メモで、津波のことが出てくるのは二〇〇九年二月の議事録しかないのですが、それ以外では、津波対策について話し合われていないと被告人たちは言っている。もちろん嘘だと思います。すべての会議で話し合いがなされていた。でも、全部機微事項扱いにして、配布資料は回収し、メモも残さなかったのではないかと私は思います。
この説明会の二日前、酒井俊朗氏土木調査グループGMが、高尾誠津波担当とその部下である金戸俊道主任の両人に送ったメールがあり、これがまた大変奇妙なのです。「津波については、真実を記載して資料を回収」、「最終的に平成一四年バックチェックベース(改造不要)ということで乗り切れる可能性はなく、数年後には(どのような形かはともかく)推本津波をプラクティス化して対応をはかる必要がある」。これが真実であり、これほど明白な証拠はない。私は被害者意見の中で、極めて重要な証拠であると強調しました。しかし、判決ではこの点に一行も触れていません。都合の悪いものには一切触れないわけです。
 しかも、この九月一〇日に配布された資料には、次のような記載もある。津波対策は「改訂された「原子力発電所の津波評価技術」によりバックチェックを実施。ただし、地震及び津波に関する学識経験者のこれまでの見解及び推本の知見を完全に否定することが難しいことを考慮すると、現状より大きな津波高を評価せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避」。繰り返しますが、これが真実なのです。不可避なものを先延ばしにしていることを、現場には知らせる。しかし絶対に外部に出ないようにする。福島県にも知らせないし、地元市町村にも知らせないし、国にも知らせない。完全にひた隠しにしていく。そのことが、残された資料からもよくわかります。
 同じような証拠がもう一つあります。二〇〇九年二月の御前会議の報告文書に、津波に関する記載が奇跡的に残っている。「地震随伴事象(津波)」とある箇所の左側に、「問題あり」「だせない」「(注目されている)」と手書きの文字で記されています[図10]。当時は地震対策以上に津波の問題が重要視されていて、外には出せなくなっていたことがわかります。そういう状況で議論がされていた。「津波について問題意識を持つことはできなかった」と被告人たちは述べていますが、違います。福島第一原発の耐震バックチェックが何年も遅れたのは、津波対策を含む最終報告の審査をやったら、阿部教授らから津波対策を求められる、それを恐れたためです。そこで、土木学会でも検討中ということで最終報告の提出を遅らせ続けた。そのことは明らかです。これでなぜ刑事責任が問えないのか。まったくわかりません。



佐藤  これほど明白な証拠があるのに無罪判決が出されるというのは、酷い話ですね。

海渡  私たちが重要だと思っている証拠が、判決ではすべて無視されている。山下和彦(中越沖地震対策センター長)調書の中には、二〇〇八年二月に津波対策方針が了承されていたことの証拠もあります。しかし、それは信用できないと切り捨てる。山下さんの供述は残っている客観証拠で全部裏付けられている。ここが今回の判決の最も酷いところだと思いますね。

佐藤  判決要旨の中では、この論点が大幅に省かれています。

海渡  (この点については、判決全文がインタビュー時には公開されていませんでしたが、一一月上旬に判決全文が公開されました。そこで、以下判決全文に基づいて論ずることとします。)
 この部分で、判決は次のように述べています。
「ところで、山下は、この打合せにおいて、想定する津波高さの変更について自ら報告し、了承されたので、耐震バックチェックの津波評価に「長期評価」の見解を取り込むという東京電力としての方針が決められた旨供述している。これに対し、被告人ら三名は、公判において、山下から想定津波高さの変更の報告はなかったとした上で、何らかの方針が決定、了承されたり、方向性が確認されたこともないと供述している。上記の山下供述に関しては、機器耐震技術グループの山崎英ーが後日作成した電子メールやメモに津波対応を社長会議で説明済みとの記載があるなど、山下供述の裏付けとなり得る証拠も存在する。しかしながら、この打合せの議事録には、当該議題に関する主要議事として基準地震動ssに関する記載があるのに対し、津波に関する記載は一切ないことや、参加者として山崎の氏名が記載されておらず、同人が実際に同打合せに参加していたのかも定かではないことからすれば、山崎の前記のメールやメモの記載は、山崎が資料の配布をもって報告と表現したものである可能性を否定できない。また、同打合せの時点では、後記のとおり、東電設計に委託していた津波水位計算の正式な計算結果が伝えられておらず、方針の決定、了承又は方向性確認の前提となる情報が必ずしも揃ってはいなかったこと、土木グループの金戸俊道が後の平成二〇年五月に他の原子力事業者の担当者に対し海溝沿い地震の扱いについて東京電力の対応方針が未定である旨を伝えていることなど、この打合せにおいて東京電力としての方針が決定又は了承されるなどしたこととは整合しない事実も認められる。のみならず、仮にこの打合せで東京電力としての方針が決まっていたとすれば、後の同年六月に吉田や酒井ら土木グループの担当者が被告人武藤に耐震バックチェックの津波評価に「長期評価」の見解を取り入れるか否かの方向性について相談することや、まして被告人武藤が同勝俣ら最上位の幹部がいる場で決まった方針をその一存で、ひっくり返すに等しい別の方針を示すことは考え難いところである。一方で、山下としては、自らが被疑者として取調べを受ける中で当該記載のある資料を配布した事実から推測で供述している可能性や、当該記載に対して席上誰からも指摘がなかったことをもって黙示の承認と受け取り、上記供述に至った可能性も拭えない。以上によれば、上記の山下供述の信用性には疑義があるといわざるを得ず、被告人らには、同打合せの配布資料に記載された、O.P.[小名浜港工事基準面]+五・五メートルからO.P. +七・七メートル以上への津波高さの変更に関する情報を認識する契機があったとはいえるものの、それ以上に、津波高さの変更についての報告が行われて、これが了承され、耐震バックチェックの津波評価に「長期評価」の見解を取り込むという東京電力としての方針が決定されたといった事実までは、認定することができない」。
 しかし、この山崎氏のメール全体が、御前会議での方針の了承を踏まえて、東電各グループを横断して会社全体としての津波対策を議論する、キックオフ・ミーティングの開催を告知したものであることは明らかです。そして、その会議で、工事部隊が津波対策工事の具体的な内容とスケジュールまで示していることは決定的です[前出、図7、8を参照]
 また、金戸氏が五月に対策は未定としていること、六月に武藤と話し合いがなされたことは、二月に社として対策をとる方針が決まっていたことと、まったく矛盾しません。なぜなら、二月に了承された津波対策は、津波高さが一〇メートルを超えず、対策が四メートル盤で完結することが前提となっているのです。ところが、想定津波高さが一五・七メートルで固まり、東電設計に高さの低下を指示しても断られ、一〇メートル盤の上での抜本的な対策が不可避になったことを受けて、金戸氏は、対策は検討中で「対応方針が未定だ」と言っているのです。そして、六月の会議は、二月に了承された方針を前提に、四メートル盤の上だけでなく、一〇メートル盤上の具体的な対策の方向性を議論するために持たれたのです。
 何よりも山下氏は、想定津波の高さが一〇メートル盤を超えなければ、津波対策を実施していた、と供述しているのです。いったん決定していた津波対策を取らないことにする「ちゃぶ台返し」が行われたのは、想定津波高さが高くなったために対策費用がかさむからだけでなく、柏崎刈羽原発が停止している中で原発の停止リスクを経営的にどうしても避けたかったからだ、という山下氏の供述は、残されているあらゆる証拠と適合し、高い信用性が認められます。この点は、高裁審理の天王山であり、熱い論争が闘われることになるでしょう。

第五の論点——津波対策工事を行わないための東電の様々な工作について

佐藤  第五の論点についてお伺いします。東京電力は、津波対策工事を行わないために、規制当局、学者、他の電力会社など各方面に対して様々な工作を行っていました。これは判決が奇妙にも一切言及していない点ですが、詳しくお聞かせいただけないでしょうか。

海渡  東京電力は、津波高を一五・七メートルと予測をしました。しかし、そのことを規制当局にはひた隠しにした。また関係する学者には、長期評価を津波対策に取り入れないことを了承してもらうよう根回しもしていたが、研究者にも津波高は知らせなかった。さらに東北電力には、貞観津波に基づく津波想定を行っていることを公表しないよう圧力をかけ、日本原電には長期評価に基づいた津波想定を行っていることを外部に公表しないよう圧力をかけていた。これらはすべて明らかになっている事実です。にもかかわらず、判決ではその点が一切認定されていない。非常に問題です。判決自体も問題ですが、東電が様々な工作、言葉を変えれば圧力を加えて津波対策をしないで済ませようとした。そのことが問題なのです。
 もう少し判決の問題点について説明します。津波対策をしないために地震学者に根回しする際には、推本の長期評価に基づいた対策をしないとは言わない。土木学会に検討を委ねているので、結果を待って、必要とされた対策は確実に実施しますと言う。推本の長期評価を一切取り入れないと言ったら、さすがにみんな怒ったと思います。しかし、そうではない。すごくずる賢いやり方で対策を遅らせた。あるいは、日本原電が津波対策を行っていることについても、元々、日本原電はプレス発表する予定だった。そういう証拠も残っている。ところが、なぜかプレス発表はなされなかった。その点については、判決が言い渡された九月一九日のNHK『クローズアップ現代』で、東海第二原発で働いていた元社員が証言しています(以下を参照。https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4330/)。どうして津波対策に関する経過を発表できなかったのか。電力会社の横並び意識があるからであり、東電に気兼ねした、とはっきりと語っているのです。けれども、判決はどう言っているか。国や地方自治体、他の電力会社、専門家から、原子炉を止めなさいとは一切言われていない。だから、東電が何の津波対策を講じなかったとしても被告人らには過失はない。そんな論理になっている。東電は原子力ムラのキングなのです。そして、国も他の自治体も事実を知らされていない。にもかかわらず、「今すぐ津波対策をせよ、そうしなければ原子炉を止めろ」などと、東電に言える人がいるわけがない。原子力の世界のことを多少でも知っている人には、自明のことです。この判決の理屈は酷過ぎます。何も情報を出さずに、一五・七メートルの津波が来ることもひた隠しにした人たちが、他所から「原子炉を止めろ」と言われなかったから過失がなくなる。恐るべき論理構築です。
 そもそも、原発の安全性に一次的に責任を負うべきであるのは、国でも自治体でもなく、電力会社です。結局は、東京電力の情報隠蔽、そして役所や他の電力会社をだまらせるための工作が、すべて功を奏した。さらに判決は、そうした工作の経過自体を目して、東電は慎重に津波対策の要否を検討していたとまで認定している。頭がクラクラするような倒錯した論理となっているのです。

佐藤  東京電力が規制当局に津波計算を命じられたときのこともお聞かせいただけますか。

海渡  それは二〇〇二年八月のことです。推本の長期評価が出た直後に、原子力安全・保安院が東電に対して、福島沖で津波地震が発生したらどうなるかを計算するよう要請した。それに対して東電の高尾誠土木調査グループ津波担当は「確率論で検討する」からと「四〇分くらい抵抗」して、その場を逃れたとされています。結局計算をしたのは二〇〇八年になってからで、六年後のことです。二〇〇八年以降の経過を見ていると、高尾氏は津波対策をきちんと実施しようとしていた方に属しているのですが、二〇〇二年の段階では、かなり質の悪い対応をしていた人だったわけです。
 その後二〇〇七年一二月、東電は日本原電との打ち合わせで次のような発言をしています。「これまで推本は確率論で議論するということで説明してきているが、この扱いをどうするか非常に悩ましい。確率論では評価するのは実質評価しないこと」だ、と。つまり五年間ぐらい、何もしないでやりすごしてきたことをこのやり取りで自白しているわけです。ただ、この辺りのことを上層部が知っていたという証拠はまったくない。恐らく、その点について上層部が知ったのは、二〇〇八年に東電設計に計算が依頼されてからのことだろうと思います。二〇〇二年から二〇〇七年までは、東電の土木調査グループは真実を知っていたが、それを上層部にすら隠していたと言えるかもしれません。しかし、二〇〇八年二月の段階で、上層部にまで情報が共有されたことは間違いない。その時点から対策を取れば、そして対策完成まで原子炉を停止させておけば、確実に事故は防げていた。仮に防潮壁が完成前でも、水密化や電源移設がなされていて、防潮壁がかなりの部分が出来上がっていたとすれば、運転を停止していなくても、事故は避けられたはずです。浜岡原発のスピード工事の実態を見ていると、また地元自治体からの「早く作れ」という要望も含めて考えると、仮に停止させなくても、防潮壁も間に合ったのではないかと思っています。

控訴審の見通しについて

佐藤  判決に関する論点は大体お伺いしましたので、控訴審の見通しについて、最後にお聞かせ下さい。

海渡  指定弁護士が九月三〇日に控訴されていますが、事件記録は東京地裁にあり、まだ東京高裁のどの部に継続するかもわからない状態です(このインタビュー後、判決の全文は一一月の上旬にできて、当事者に交付されました)。事件が高裁に移ると、判決を検討して控訴趣意書を作る作業に入ります。これには数カ月はかかると思います。その期間に判決文の全文に則して、私たちも被害者意見書を作ってみようと思っています。
 高裁審理のポイントはいくつかありますけれども、やっぱり現場検証を正確にやってもらう必要がある。現地の状況を見てもらい、現場が台地を掘り下げた構造であり、津波に脆弱であることとともに、帰還困難区域や双葉病院が今どうなっているかをきちんと受け止めてもらって、この事故の悲惨な実態を理解してほしい。
 長期評価の信頼性については、島崎邦彦先生や都司嘉宣先生、内閣府の担当だった前田憲二さんら何人もが証言して下さっています。審査の委員だった別の方々の追加の証言をお願いするという手段もあります。そして、長期評価の信頼性について、この判決がどういうふうに誤っているかを立証していく。
 山下調書の信用性が認められなかったことも決定的に重要です。また、メールや議事メモ等に基づいて、御前会議に出ていた人たちの中から、一審に出てこられなかった人たちの証言を得ることも考えられます。
 もう一つ考えていることがあります。もし津波対策が始まっていたとしたら、地元の自治体は原子炉の停止を求めていたはずだ、と双葉町の町長だった井戸川克隆さんが公言されています。井戸川さんに証言してもらうことも可能ではないか。
 いずれにしても、最も重要なのは、高裁の第一回の期日です。この日に高裁で証拠調べをきちんとやるかどうかが決まる。一回で結審して、次は判決という可能性すらあります。だから東京高裁における第一回期日が決定的に重要な局面になります。早くて年度内、もう少し先にずれこむかもしれません。その時までに世論を盛り上げる。そして多くの人に裁判所前に集まってもらうよう取り組んでいきたい。そのために、河合弘之弁護士が監督し、私が監修を担当して、『東電刑事裁判 動かぬ証拠と福島原発事故』、その判決対応版『東電刑事裁判 不当判決』という映画も作りました(以下で視聴可能。https://www.youtube.com/watch?v=ZJhyDSnutqk https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=VY-iMQsxkNU&feature=emb_logo)。
 はっきりと個人的な責任を問える人がここにいて、その人たちが起訴されているわけです。有罪判決を出させていくことで、事故の再発防止にも繋がる。原発事故によって非常に辛い思いをしている福島県民の皆さんにとっても、この裁判は次のステップに進むための大きなエポックになると思います。
 私はこの事件に、告訴の段階から関わってきています。これだけの証拠を検事が集めているとは、最初思いませんでした。ある意味で、起訴できるだけの証拠固めをしてくれていた。最終的には政治的な圧力があったせいなのかもしれませんが、不起訴になってしまった(その後、検察審査会の議決によって強制起訴された)。ただし、検事たちはすごく真剣に捜査をし、事実を明らかにするための準備作業をしてくれていた。それがなぜ裁判所に伝わらなかったのか。我々が告訴したのですが、捜査には百人単位の検事が動いていたと思います。そういう人たちがこれだけの証拠を集めてくれた。その事実の重みを裁判所はまったく理解できなかった。そのことは非常に驚きだし、残念です。だからこそ、裁判に関わった弁護士として、明らかになっている証拠を、極力社会に知らしめていく責任があると思い、一所懸命がんばっているところです。どうかご支援いただければと思います。
(二〇一九年一〇月一四日、東京共同法律事務所にて)

★かいど・ゆういち=弁護士、東電刑事裁判被害者代理人。著書に『原発訴訟』など。一九五五年生。
★さとう・よしゆき
=筑波大学人文社会系准教授。著書に『脱原発の哲学』(田口卓臣との共著)など。一九七一年生。

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