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【特別コラム】いばらき原発県民投票条例の県議会審議が露呈した代表制民主主義の諸問題<佐藤嘉幸氏が聞く脱原発シリーズ#5>
――対談=徳田太郎×佐藤嘉幸――
二〇一一年に起きた福島第一原発事故後、原発再稼働について国内で様々な議論が行われてきた。原発再稼働の是非を県民投票で直接問おうとした「いばらき原発県民投票の会」による署名活動も、そうした動きの一つであった。結果、「県民投票条例」制定を求める直接請求は県議会で否決された。県議会審議の問題点はどこにあるのか。同会共同代表・徳田太郎氏と筑波大学准教授・佐藤嘉幸氏に対談してもらった。(編集部)
知事意見の問題点
佐藤 いばらき原発県民投票の会は、法定署名数の約一・八倍に当たる八万六七〇三筆に及ぶ茨城県民の署名を得て、五月二五日、「東海第二発電所の再稼働の賛否を問う県民投票条例」(茨城県東海村にある東海第二原発の再稼動の是非を、茨城県民が直接投票で決めようという条例)の制定を求める直接請求を茨城県に行いました。しかし、県議会はこの条例案を、短期間の審議であっさりと廃案にしました。県議会での審議は、様々な意味で問題がある不合理なものでした。その不合理さについて、徳田太郎さんと分析していきたいと思います。徳田さんは、条例案の請求代表者として、本会議での意見陳述や、委員会審査での参考人質疑に臨まれました。
知事は、直接請求された条例案を議会に提出する際、条例案について自らの意見を付さなければなりません。今回の大井川和彦知事の意見は、条例案に賛成か反対かわからない、極めて不明確なものでした。関係する部分のみを引用します。「県としては、東海第二発電所の再稼働の是非については、まずは、安全性の検証と実効性ある避難計画の策定に取り組み、県民に情報提供したうえで、県民や、避難計画を策定する市町村、並びに県議会の意見を伺いながら判断していくこととしているが、その意見を聴く方法については、本条例案の県民投票を含め様々な方法があることから、慎重に検討していく必要があると考えている」。このように知事意見は、県民投票について「慎重に検討していく」以上のことを述べていません。しかも知事は、この意見を本会議で口頭では表明せず、議員に文書で配布して終わりにしました。この点も、本会議を傍聴していた私には非常に不可解でした。私の目には、知事のこうした態度は、実質的に条例案を黙殺するもののように映りました。
徳田 事前の議会事務局からの説明では、知事が口頭で意見をおっしゃるとのことでした。私はその直後に意見陳述をすることになっていたので、控室のモニターで見ていたのですが、結局はそれがないまま終わってしまったので、あわてて上着を着て議場に向かったのを覚えています。
開会の直前に議案書を受け取ったのですが、本当に受け止めが難しかったですね。地方自治法の逐条解説では、賛否を明確にすることが求められているのですが、いくら読んでも賛成か反対かが分からない。その時には「明確な反対ではない」ということで、ありがたい部分もあったのですが、その後の審議では、結局はそこが大きな問題になってしまいました。
佐藤 大井川知事の態度の不明確さは、他県における原発県民投票条例案への知事意見と比較しても明確だと思います。まず、静岡県の条例案に対する知事意見(二〇一二年九月)は、条例案の問題点を列挙しつつも、明確に賛意を表明しています。新潟県の条例案に対する知事意見(二〇一三年一月)は、条例案の問題点を列挙しつつも、修正案を議論するよう議会に促しています。宮城県の条例案に対する知事意見(二〇一九年二月)は、賛否を明確に示さない内容とされますが、エネルギー政策は国策であるという観点から反対の論調が色濃いものです。
徳田 宮城の知事意見に対しては、その後の代表質問・一般質問で、議員から再三にわたって真意を問う質問があり、知事自身は「賛否を明らかにした場合、それが県議会における議論の方向性に大きな影響を及ぼし、多様な観点からの議論に制約を与えるものではないかという懸念があったことから、あえて賛否を示さないことにした」と述べているので、あくまでも本人の意識としては、賛否を明確にしていないのだと思います。重要なのは、茨城においては宮城以上に賛否が不明確であるにもかかわらず、その後、議会できちんと追及がなされなかったことだと思います。その点、ある意味で知事と議会は共犯関係にあり、大きな問題だと思います。
県議会審議の問題点
佐藤 次に、県議会での審議の問題点について考えたいと思います。まず、茨城県議会での審議日程は、他県の事例と比べて極めて短いものでした。
徳田 過去の事例の中では、明らかに宮城の審議方法をベースにしています。連合審査会での一日での審査のみで、かつその日のうちに採決するという方法ですね。東京・静岡・新潟では複数日程にわたる委員会審査をしています。では宮城との違いはどこにあるかというと、本会議での審議です。宮城では、代表質問・一般質問で、二〇名中一〇名が条例案に関する質問をしていますが、茨城では九名中わずか一名にとどまっています。
佐藤 委員会審査については、まず参考人の適格性とその議論に大きな問題があったと思います。原発県民投票条例案の審査の参考人として一般的に考えられるのは、住民投票、地方自治の専門家ですが、実際には参考人として資源エネルギー庁、原子力規制庁から五人の役人が呼ばれ、一時間にわたる意見聴取と質疑が行われました。こうした人選は、県議会側が「エネルギー政策は国策である」という方針に基づいて行ったように思われ、大きな問題です。
審査の中でエネルギー庁の役人は、要約すれば「エネルギー政策は国策であり、国としては東海第二原発の再稼動を望んでいる」と述べましたが、「再稼動について決めるのは県民である」という趣旨の県民投票条例案を審議しているわけですから、この議論は越権的で問題です。規制庁の役人は、要約すれば「原発の一〇〇%の安全は断言できないが、規制基準は福島原発事故以前よりはるかに厳しくなった」と述べましたが、「原発県民投票について意見はありますか」と日本共産党の江尻加那議員から問われて、「ありません」と答えました。彼らの意見は、「東海第二原発は再稼働すべき」、「原発の安全性は福島原発事故を受けてはるかに向上した」と、いずれも露骨に原子力ムラの論理を主張するもので、県民投票条例案の審査には必要のない議論ばかりでした。また、避難計画、自然エネルギー時代における原発の必要性、原発の出す核廃棄物の累積と未来世代への責任についても論じていません。これらはすべて県民投票の主題になり得ます。
徳田 この人選については、議会事務局から内示があった際に、強く異議を表明しました。一つは、政策決定のあり方に関する議案であるにもかかわらず、原子力政策・エネルギー政策に関する参考人であるということ、そしてもう一つは、県の意思決定に関する議案であるにもかかわらず、国の機関から参考人を招いているということ。しかし、「議長の強い意向」とのことで、覆ることはありませんでした。
他の参考人についても述べておきます。山田修・東海村長は、「県民投票条例案について」とのテーマで招致されていたにもかかわらず、冒頭で「今回の県民投票条例案に対する意見を申し上げることは差し控えたい」と発言するなど、適格性という点では問題があったと思います。
佐藤 基礎自治体の首長を参考人として呼ぶなら、東海第二原発の立地自治体である東海村長のみでなく、原発三〇キロ圏内に位置し、合わせて四三万人近い大きな人口を抱え、避難計画を策定しなければならない水戸市、ひたちなか市の首長も呼ぶべきでした。
徳田 茨城大学・古屋等教授の言動に関しても、大きく二点を指摘したいと思います。一つは、投票期日に関してです。静岡・新潟では、投票期日が「明記されている」ことから否決理由が導かれていました。時期が近すぎて適切な準備ができないというのがその理由です。しかし、古屋教授が作成した資料の「都道府県における住民投票条例の否決理由」には、この点が記載されていませんでした。私たちの条例案は、適切な投票期日を知事が選べるようにするため、期日を「条例の制定から何日以内」などの形で規定していない点に大きな特徴があり、かつこの点が委員会審査でも争点となったことも考えれば、この資料は不適切であったといえるでしょう。もう一つは、成立要件に関してです。条例案で絶対得票率による成立要件を設けていることの妥当性を問われた際、二〇一九年沖縄県での「辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票」で執行例があるにもかかわらず、「他の法令等の規定等を参考にされて規定されたと思うが、根拠は私もはかりかねるところがあり、答弁できない」と発言しました。確かに行政法がご専門なのでしょうが、少なくとも住民投票に関しては専門でないということが露呈しており、適格性には疑問符がつくと思います。
各政党の主張の不合理さ
徳田 委員会審査では、参考人からの意見聴取と質疑を終えて、一五分後には各会派からの意見表明が行われました。当然その間に会派内の意見を取りまとめて文章にするということは考えられないわけで、事前に用意していたものを読むわけです。ですので、連合審査会での議論は反映されておらず、それでも一部についてはなんとかつじつまを合わせようと部分的に修正したことで、矛盾する主張が同居したりして、よくわからない意見となってしまっていました。
佐藤 まず、いばらき自民党の主張から検討したいと思います。自民党は、次の理由から県民投票条例案に反対しました。県民投票条例案には投票の時期が明示されていない。知事意見によれば、原発の安全性の検証、避難計画策定、それらに関する県民への情報提供、の三つの条件が揃わなければ県民投票はできない。それらの条件が揃うのは原電の事故対策工事が終わる二〇二二年一二月以降であり、いま県民投票条例を可決すれば、二〇二二年に改選される未来の県議会議員の行動を束縛することになるので、可決は不適切である、というものです。
徳田 どこから突っ込めばいいのか、というくらい意味不明な議論ですよね(笑)。まず、「知事のこれまでの発言を踏まえれば、(再稼働の賛否を問う時期は)条件が整わない限り判断されないものと推察される」というのですが、議会として知事に確認すべきことを「推察」で語り、かつそれを理由とするのは、端的に議会の不作為です。また、「現在の議員の任期中に県民投票は行われず、次の任期の議会の判断を縛ることになる」というのですが、議会構成が変わるごとに条例がすべて改正されるという法が存在しない以上、「現在の議員の任期中に」制定した条例が「次の任期の議会」に効果を及ぼすのは当然のことです。そして、条例に基づく住民投票の結果には法的拘束力がないにもかかわらず、こういうときだけ「判断を縛る」などとするのも恣意的です。仮に「条件が整わない以上、県民投票は実施できない」というところまでは認めたとしても、それは継続審査の理由にはなり得ても、否決の理由にはならないですね。
日本原電は、従来、再稼働に向けた事故対策工事について「二〇二一年三月までに終了したい」としていました。工事完了の予定時期が二〇二二年一二月にずれこむことを発表したのは、今年の一月二八日です。一方で、私たちの署名収集活動は、一月六日に開始しているんですね。直接請求の手続きは、一度開始したら中断することも延期することもできません。工事完了が一年九ヵ月後ろにずれたからといって、止めることはできない。「そんな先のことを……」と言われるのは、請求者としてはやりきれない思いがあります。
佐藤 私は、自民党の提起した「三条件」の議論を聞いて、次のように思いました。第一に、日本原電の事故対策工事が完了してから県民投票が行われれば、県民投票の結果がどう出ようと、「もう工事は完了したのだから」と再稼動方針を覆すことができない恐れがあります。第二に、避難計画の策定が終わるまで県民投票はできないというのですが、避難計画は、原発周辺三〇キロ圏内の一〇〇万人近くの人口を避難させることの困難さから策定が難航しており、福島第一原発事故から十年近くが経過してもまだ避難計画が策定されていないことが、逆に県民投票実施時の大きな判断材料になり得ます。第三に、県民への情報提供がなされるまで県民投票はできないとのことですが、情報提供がなされていないのは、これまで限られた情報しか公開してこなかった県知事、自ら真剣な議論を行ってこなかった県議会の責任であり、自らの不作為を条例案否決の理由にするのは不合理な話です。そもそも、二〇二二年一二月以降の県民投票実施が遅すぎるというのであれば、議会の改選前に県民投票を行うよう、議会と知事が主体的に時期を調整すればよいのではないでしょうか。
この主張は、自民党のもう一つの主張とセットになっていました。それは、エネルギー政策は国策であり、また、県民投票の結果によって民間企業(日本原電)の事業を制約すれば訴訟の可能性もある、という主張です。しかし、これは経産省と電力会社の利害、つまり原子力ムラの利害しか代弁しておらず、県民の利害を代弁しているとは言えません。
次に、国民民主党(県民フォーラム)の出した論点です。自民党と同じく、県民投票の結果は民間企業の経営を制限するものになり得るため不適切であり、条例案に反対、という論点です。
徳田 「民間企業の事業運営に著しい制限をかけることになり得る」のは、東海第二原発再稼動への県の同意権に由来するものですね。県民投票の実施とも、ましてや県民投票条例の制定とも、直接の因果関係はないわけで、これも理由になっていません。
佐藤 これは、原発メーカーである日立グループ労組から選出された議員を五人中三人も抱える会派として、露骨すぎるほど原発メーカーと電力会社(日本原電)の利害を主張する議論であり、やはり県民の利害を代弁しているとは言えません。労組選出の議員が自己利益にのみ拘泥して、より広い県民の利害を考えなければ、県民に見放されてしまうでしょう。脱原発を決めたドイツでは、電力会社が財産権の侵害に当たると損害賠償を求める訴訟を起こしましたが、ドイツ政府は大きな意味での国民の利害を代表して、着々と脱原発の政策を進めています。
国民民主党は、原発立地自治体の「地域性」や「一票の格差」も問題だと主張しました。
徳田 参考人質疑の際に「一票の格差をどう捉えるか」と問われて、最初はまったく意味が分かりませんでした。ただ、文脈から判断すると、通常の「一票の格差」の問題ではなく、例えば三〇キロ圏内の自治体の住民の一票と、遠く離れた自治体の住民の一票が同等に扱われてよいのか、端的に言えば「一票に格差をつけるべき」という議論なのかと理解しました。しかし、県と六市村の計七自治体が等しく再稼動に同意・不同意を表明する権限を持っており、その中の一つである「県の同意権」に私たちは着目しているのですから、逆に県民すべてが等しく一票を投じることができるようにすることが重要になるわけです。他の六市村が、基礎自治体単位で住民投票を実施することを排除するわけではありませんし、県民投票を実施すれば、基礎自治体単位の結果も分かるわけですから、例えば東海村長が、村民の投票結果を独自に解釈して判断することも可能になるわけです。そのように県民投票を使うこともできるわけで、反対の理由にはならないと思います。
佐藤 最後の論点です。国民民主党と公明党は、県民投票の正統性正当性を確保するために条例案に投票率要件を定めるべきだが、これがなされていないので問題だ、という議論を提起しました。
徳田 条例案では第一八条に「県民投票において、有効投票総数の過半数の結果が、投票資格者総数の四分の一以上に達したときは、知事及び県議会は投票結果を尊重するものとする」と規定しています。つまり、絶対得票率によって成立要件を設けています。一方で「県民投票の結果は、間接民主主義における議会と長の議論に大きな制限がかけられてしまう懸念がある」と、政治的拘束力にさえ懸念を示しておきながら、他方では投票結果に法的拘束力に相当するような正統性正当性・妥当性を求めるような矛盾した議論が、平気で展開されているのです。
佐藤 第一八条は、徳田さんが参考人質疑で指摘されたように、投票率五〇%の場合に五〇%以上の得票を得た選択肢が有効となる、と考えて作られた規定で、二〇一九年沖縄県の県民投票でも実際に執行されましたが、県民投票の正統性正当性について疑義は呈されませんでした。県議会は、こうした過去の事例も踏まえて合理的な議論を行うべきですね。
徳田 茨城県議会は七割以上の議席をいばらき自民党が占めており、緊張感を欠く状態が続いていたのだと思います。それを端的に示すのが、委員会採決後の、白田信夫・いばらき自民党議員会長による「廃案になってよかった」発言です。本会議での採決が行われていない段階での「廃案」発言は、国政レベルであれば野党の審議拒否で国会が止まるくらいの大問題です。また、同じくいばらき自民党のある県議は、自身のブログで「請願は否決となりました」と記していました。おそらく、直接請求に基づく議案と、請願との区別が、本当についていないのだと思います。なにしろ、茨城県では四七年ぶり二回目の直接請求だったのですから。
民主主義とは何か、県民投票運動によって得られたものは何か
佐藤 ここまでの議論から、現在の住民投票システムの根本的な問題点が浮かび上がってきます。住民は、議会や首長がある問題を議論していない、あるいはその議論の方向性が住民意思とは異なる、従って「この問題を議会には任せておけない」(多くの住民が、今回の住民投票運動の中でこう述べていました)という理由で住民投票を提起するわけですが、それが当の議会によって審査されるシステムになっているため、直接請求が容易に否決されてしまう、という問題点です。ここから考えれば、ある要件を満たせば、議会による審査なく住民投票が実施されるようなシステムに、制度を改めるべきではないでしょうか。例えば、「住民投票立法フォーラム」がそうした試案を公表しています(http://www.ref-info.net/ju/shian.html)。
徳田 直接民主主義的な手法としては、レファレンダム、イニシアチブ、リコールの三つが代表的ですが、わが国では、レファレンダム(住民による直接投票)のためには条例の制定が必要で、議会が壁になっています。また、イニシアチブ(住民による条例発案)は、諸外国のような制度、つまり必要署名数が確保されれば議会を通さずに条例案が直接投票に付される(または議会で採択されればそのまま条例となり、採択されなければ直接投票に付される)という形にはなっておらず、これまた議会が壁になっている。いずれは諸外国のような制度が定着することを信じていますが、現時点では全国各地でたいへんな苦労を強いられており、根本的なシステム上のエラーがあると思います。
常設型の住民投票条例を設けようという動きもありますが、必要署名数などでかなり高いハードルを設けている事例などもあり、それはそれで問題だと思います。
佐藤 あまり高すぎるハードルを設定せず、かつ議会が障壁になることなく住民投票が行われるようなシステムを構築すべきですね。代表制民主主義と直接民主主義の回路が対立して、直接民主主義の回路が圧殺されることがないような、民主主義のシステム再構築が必要です。
日本の原子力政策の根本的な問題点についても指摘しておきたいと思います。日本の原子力政策は経産省によってほぼ一元的に立案されており、電力会社のような利害関係者もその過程に加わっています。官僚機構の政策立案過程は選挙では介入できないブラックボックスであり、世論や住民意思が介入する余地はありません。その上、今回のように原発立地県の住民意思を問う試みも議会によって圧殺されるとすれば、民主主義とは果たして何なのか。また、県政与党と野党第一党が、いずれも経産省、原発メーカー、電力会社のような原子力ムラの利害しか代弁しておらず、県民の利害を代表していないとすれば、代表制民主主義とはいったい何なのか。そうした根本的な疑問が湧いてきます。
徳田 このような話で必ず反論として出てくるのが、「そういう議員を選んでいるのだから、そこに民意がある」という議論です。しかし、選挙はワン・イシューで争われるわけではないので、民意を完全に反映したものにはなり得ない。だからこそ、時と場合に応じて「ヒト」ではなく「コト」を問う住民投票を行うことがあってよいのだと思います。
最後に、県民投票運動によって得られたものは何かを考えておきたいと思います。今回の件をきっかけに、県民の間で県議会への関心が高まりました。私の周囲でも、初めて傍聴した、中継を見たという方が多数いらっしゃいます。多くの人が関心を持つことが監視機能につながり、審議に緊張感が生まれることが期待できるのではないでしょうか。
また、議会の機能不全に対して直接投票という手法がある、という期待から署名された方が多いのですが、それが議会で否決されるという矛盾に直面したわけで、根本的なシステムへの違和感も相当に高まったと思います。これを、システム自体の見直しという大きな運動につなげていきたいと思います。
今回、これまでの他都県での取り組みに大いに学ばせていただきました。条例案一つとっても、苦労してつくったものの様々な不備を指摘されてきた。しかしそれらを踏まえて、今回、かなり精度の高い条例案になったと思っています。だからこそ、意味不明な理由でしか否決できなかったのだともいえるでしょう。ですので、このバトンをしっかりと渡していきたいと思います。
佐藤 今回の県民投票条例案の否決は大変残念ですが、住民たちは今後も、議会や県知事が東海第二原発の再稼動に向けて何をなし、何をなさないかを注意深く監視し続けると思いますし、県の態度によってはまた何らかの運動を提起するかもしれません。また県側も、今回の住民投票運動を受けて、「再稼動判断に際しては住民の声を聞くべき」という住民意思を改めて痛切に認識したと思います(県民投票に反対した議員でさえ、アンケート、パブコメなどの手段で住民意思を確認するという方向性を示していました)。また今回の議論を受けて、議会内に、原発再稼動について多様な面から検討する常任委員会を設置する必要もあります(原発の安全性のみでなく、避難計画、再生エネルギー時代における原発の必要性、地域経済の再構築、使用済み核燃料の累積と未来世代への責任など、多様な観点から議論が必要です)。その意味では、再稼動のハードルはこれまでより上がったのではないでしょうか。東海第二原発は首都圏唯一の原発であり、その動向は茨城県民のみならず首都圏住民全体に関わります。再稼動をめぐる動きを、今後も主権者の一人としてしっかりと監視していきたいと思います。
★とくだ・たろう=ファシリテーター、いばらき原発県民投票の会共同代表。一九七二年生。
★さとう・よしゆき=筑波大学人文社会系准教授。著書に『脱原発の哲学』(田口卓臣との共著)など。一九七一年生。