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【特別コラム】福島第一原発事故への国・東電の責任を考える<佐藤嘉幸氏が聞く脱原発シリーズ#8>

【特別コラム】福島第一原発事故への国・東電の責任を考える<佐藤嘉幸氏が聞く脱原発シリーズ#8>

生業最高裁判決・株代東京地裁判決 二つの対照的な判決から

海渡雄一弁護士、馬奈木厳太郎弁護士インタビュー

 六月一七日に生業(なりわい)訴訟、千葉・群馬・愛媛避難者訴訟の最高裁判決が、七月一三日に東電株主代表訴訟(株代訴訟)の東京地裁判決が出された。最高裁判決は、東電の責任を認めたものの国の責任を全面否定し、他方、株代訴訟で東京地裁は、東電元経営陣四人に対して一三兆三二一〇億円という巨額の賠償を命じる判決を出した。それらの判決をめぐって、生業訴訟原告代理人の馬奈木厳太郎弁護士と、株代訴訟原告代理人の海渡雄一弁護士にお話をうかがった。聞き手は筑波大学准教授の佐藤嘉幸氏にお願いした。(編集部)

生業最高裁判決と国の責任

 佐藤 生業最高裁判決と株代東京地裁判決は全く対照的ですが、それらを比較することで、福島第一原発事故をめぐる国・東京電力の責任について考えてみたいと思います(生業訴訟の概要や目的については、読書人ウェブの馬奈木弁護士インタビューも参照。)。最高裁判決は概ね次のように述べて、国の責任を否定しています。「地震本部の長期評価に基づいて防潮堤を作っても、二〇一一年に起きた地震、津波はより規模の大きいものであり、事故を防ぐことはできなかった。従って、経済産業大臣が規制権限を行使しても事故は防げなかった」。しかし判決は、講じ得た対策を防潮堤だけに限定し、水密化など他の対策を全て排除している。非常に無理のある仮定に則って国の責任を免除しており、多くの批判に曝されています。

 馬奈木 判決当日、「肩透かしだ」と述べました。判決の結論自体、それを導く過程も含めて、被害に真摯に向き合っていない。受け入れられない判決です。

 最高裁判決の多数意見には、批判されるべきポイントが多々あります。「最高裁文学」という言い方がありますが、特に多数意見ではそうした「文学性」が遺憾なく発揮されている。東電が取ったであろう蓋然性の高い対策として、防潮堤が「基本」だったと断定していますが、これは主語も根拠も明確ではなく、法令や指針に基づくものでもない。多数意見がそう評価しているだけです。そこから第一の仮定が出てきます。防潮堤を作ったとして、どこに作るのか。敷地高さを超えると試算された南東側には作っただろうが、敷地高さを超えないと試算された東側には作らなかっただろう、という勝手な仮定です。その上で、第二の仮定が置かれます。実際の津波は南東側からに限らず、東側から襲ってきた。結果建屋まで浸水し、SBO(ステーション・ブラックアウト)になるので、結果は変わらないだろう、という仮定です。まず、第一の仮定が非常にご都合主義です。最高裁の脳内シミュレーションに過ぎない。試算結果では東側でも敷地高さに対して七〇センチしか裕度がない。そこからなぜ「東側には作らなかっただろう」という仮定を導き出せるのか。七〇センチは余裕がない状態なので「東側も対応しないといけない」となるのではないのか。多数意見は、数字(裕度七〇センチ)は出さず、「敷地高さを超えない」とごまかして表現している。そして、七〇センチの余裕で原発を操業させることに、立地自治体や福島県は同意するのか。実際は同意しないのではないか。しかもそのような事実認定は、四事件の高裁判決はどこもしていない。多数意見は法令解釈ではなく、仮定に仮定を重ねて勝手に「事実」を創り上げて認定している。そこが一番の問題点です。

 海渡 とても重要な点なので、最高裁の基本的な仕組みを説明します。最高裁は事実審理をする場ではなく、基本的に法律を議論する「法律審」です。原審が適法に確定した事実関係は、最高裁の判断を拘束する。おっしゃるように「防潮堤は東側ではなく、南東側に作っただろう」などと、高裁は一切判断していない。それを最高裁は勝手に事実認定し、判断している。本来上告審は、憲法・法令違反と判例違反について判断する場です。しかし判決には、上告受理し、破棄された三つの高裁判決にどういう法令違反があったのか、全く何も書いていない。好き勝手な事実認定をし、一審裁判所と同じやり方で請求を棄却している。明らかに違法判決です。

 馬奈木 これまで下級審を積み上げてきて、三十近い集団訴訟をやってきました。既に二十件ほどの判決が出ていますが、どういう判断枠組みだったのか。一番大きな争点は、予見可能性が認められるかどうかです。国が東電に対策を取らせなかった責任を問うためには、卑近な言い方をすれば、「やばい」と思えた瞬間があったかどうかが重要です。そう思えたのであれば、対策を取らせなければならない。予見を考える上での材料として最も有力なものが、政府の地震調査研究推進本部が二〇〇二年に出した長期評価だった。この評価への信頼性が、あらゆる訴訟の中心的な論点になっていました。そして、対策を取らせたとして結果を避けることができたか。これが第二に重要な、結果回避可能性という論点です。けれども多数意見は、予見可能性については一切触れずに、結果回避可能性のうちの因果関係だけで判断している。それが「肩透かし」と言ったポイントです。最大の争点であった予見可能性について、多数意見は触れなかったということです。

 ここからは推測です。予見可能性についてなぜ触れられなかったのか。特に長期評価の信頼性については、裁判官の間で意見が割れて、三対一ではなく、例えば二対二となったのではないか。予見可能性はなかった、長期評価についても信頼性が認めがたい、となれば普通はそう判決文に書くはずです。逆に因果関係については、仮に対策を取ったとしても結果は変わらなかっただろうという論点で三対一になった。だから、判決ではそこだけ書いた。今回の多数意見は、「長期評価に信頼性はない」という国のこれまでの言い分が認められるから国には責任がない、という判決ではないのです。加えて、反対意見には「長期評価には信頼性がある」と書かれている。

 判断枠組みの話に戻すと、従前の下級審が積み上げてきたものに対して、最高裁は向き合っていない。これまでの各裁判官の、あるいは当事者の進めてきた訴訟に対する敬意が全く感じられません。

多数意見と三浦反対意見を比較する

 海渡 多くの人が注目していたのは、最高裁が長期評価について、津波対策を基礎づける信頼性についてどのように判断するかという点でした。ところが判決文を読めば、その点をスルーしたことがわかります。ただしこの判決には、長期評価は信頼性があると認定している三浦少数意見が書き込まれている。それに対して、多数意見を構成する裁判官は、(馬奈木さんは「三対一」と言ったけれど)全員が抗えないと思ったんじゃないか。三浦意見への反論が書かれていないわけですから。

 ここからは私の仮説ですが、三浦意見の完成度、文体から推測すると、これはほとんどの部分が(最高裁で判決案を出す)調査官意見ではないか。そのような目で読むと、判決文は何箇所か文体が違う。具体的には、四四—四七頁、四八頁の「多数意見は」で始まる部分(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/242/091242_hanrei.pdf参照)では、多数意見に対する激しい怒りが表明されている。しかも、このくだりがなくても判決としては完成しています。

 多数意見の方は、判決を書き慣れていない人の文章です。調査官に差し戻して書き直させたら、こんな無惨な判決にはならなかったでしょう。しかも最も重要な長期評価について見解を表明できないまま判決を書いている。国に責任があるという結論をひっくり返すために、不慣れな裁判官がやっつけ仕事で書いたとしか思えません。

 馬奈木 最高裁判決は五四頁あって、前半が多数意見です。事案の概要をまとめた部分を除けば、実質的に判断を示しているのはわずか四頁程度。それ対して、三浦反対意見は三〇頁近くあります。判決の半分以上が反対意見になっている。最高裁の裁判官は個別に意見を書くことが時々あります。この四事件に関しては、四人の裁判官のうち三人が個別に意見を書いている。そのうち一人が反対意見を書いた。個別の意見を書く時には、自分が最も大事だと考える箇所を書くのが基本です。ただ、この三浦意見には特徴があって、反対意見という形を取りながら実は判決文になっている。極めて異例で、判決文の体裁を取った反対意見を私は初めて見ました。そこにいかなる思いが込められているのか。後続の訴訟に対するメッセージともいえます。だから私たちは、三浦反対意見を「第二判決」と呼んでいる。これが本来あるべき判決です。そして、三浦裁判官お一人が反対意見を全て書いたのではなく、同調する方々が最高裁の中にいて、その合作として反対意見はあるのであって、最高裁の中でも反対意見派が一定存在すると見ています。

 海渡 質問ですが、草野裁判官の意見がありますね(長期評価程度の津波であれば本件事故と同様の事故は発生していなかった可能性が高い、という推論を長々と展開し、因果関係を否定している)。これは読んでいて意味不明です。何よりも、一体何の証拠に基づいて議論をしているのでしょうか。

 馬奈木 同意見です。

 海渡 最高裁判事は高裁が認定した事実に拘束されて法律判断する、ということを草野裁判官は理解していない。多数意見自体も、何を根拠にして「津波対策として水密化などを考える余地はなかった」などと判断できるのか。国内でも海外でも津波対策のために水密化した例は多々あります。そういう意味では、多数意見には何の権威もありません。

 馬奈木 草野補足意見に関しては、例えば株代訴訟を意識したのではないか。国家賠償訴訟(国賠訴訟)との関係より、何か違う考えがあったのかもしれません。それもあって、私たちの中では議論の対象にはなっていません。

 海渡 議論する価値がないのは同意見ですが、わずか四人しかいない裁判官の中に、最高裁における裁判の仕組みを理解していない人が一人混じっていた。重大な問題だと思います。

生命・身体の安全と企業活動とは天秤にかけられない

 佐藤 次の論点に移ります。「国に責任なし」という判決について、これは国家賠償請求を避けたいからなのでしょうか、それとも何か他に理由があるのでしょうか。

 馬奈木 例えば原子力損害賠償法(原賠法)を始めとした、原発をめぐる法体系があります。そこでは事業者が当事者であり、国は当事者ではないという建て付けになっている。国に責任があると認めると、事業者を当事者とした法体系、法秩序が崩れかねない。既存の秩序を維持したいという考えが、多数意見の中にはあったのではないか。考えてみると、旧安保条約についても、最高裁は踏み込んだ判断をしなかった(統治行為論)。菅野裁判長は「国賠とは別に何らかの救済がなされるべきだ」と言っています。リップサービスだと思いますが、今の法体系が変わりかねないような判決は避けた。また、そうした判断を許容する理由として、原賠法に基づき事業者がお金を払っているので、それでよいではないかということなのだと思います。

 海渡 そのお金の大半は国が出しているんだからいいじゃないか、と補足意見で書いている。法律家として、評論家みたいなことを言うべきではないと思いましたね。

 馬奈木 国の責任を正面から判断していないことと、もう一つ許し難いのは、多数意見が、伊方原発訴訟最高裁判決の「原発は万が一にも深刻な災害を起こしてはならない」というフレーズを引用していないことです。これは絶対に使われるべきものです。それに対して、三浦反対意見が重要なのは、「生命・身体の安全と企業活動とは天秤にかけられない」と述べているところです。多数意見はこれには触れておらず、徹底的に批判されるべきです。そもそも何のために経産大臣に規制権限を持たせているのか。命や健康を守るために仕事をすることが期待されている。その法令の趣旨目的に関する確認が、多数意見にはない。本来は命と健康を第一義だと考えるべきです。その点を強調しないと、国の責任を認めない方向に流れてしまう。

 海渡 「経済産業大臣は、実用発電用原子炉施設の基本設計ないし基本的設計方針の安全性に関する事項についても、電気事業法四〇条に基づく技術基準適合命令を発することにより是正する規制権限を有していたと解するのが相当である」と判決文にあります。続く一文は、「上告人は、本件事故以前から、この点に関する法令の解釈を誤っていたといわざるを得ない」。ここは三浦裁判官が書いたんじゃないか。明らかに文体が違います。文学をやられている方ならば、すぐにわかると思います。是非この最高裁判決は、文学者や哲学者に読んでもらいたい。三浦少数意見は、非常によく書かれている。そして鋭い論理で多数意見をグサッと刺している。

 佐藤 思いがあふれる強い表現ですね。ところで国の責任について考えれば、規制当局は東電に対して適切に規制権限を行使したとは言えません。当時の原子力安全・保安院は、長期評価を受けて二〇〇二年に東電に福島沖の津波計算を求めた際、東電・高尾氏の「[確定論でなく]確率論で検討する」という「四〇分の抵抗」を受けて、それを容認した(後に高尾氏は「確率論で評価することは実質評価しないこと」と発言している)。また耐震バックチェックは、期限の二〇〇九年六月どころか事故時点でも完了しておらず、先延ばしを容認していた。最大の問題です。

 海渡 忘れられている論点が二つあります。一つは、当時東電の原発の中で、柏崎刈羽原発は中越地震の影響で止まっていて、新潟県知事は耐震バックチェックの合格を再稼働の要件としていた。だから必死になってバックチェックを通すしかなく、耐震補強もやらなければならない。だから、福島第一原発にまでお金をかけたくない。もう一つは、福島第一原発三号機ではプルサーマルが計画されていたことです。だから、不安定要素になるバックチェックをしたくなかった。この点が東電と保安院と、原子力安全委員会の暗黙の共通理解になっていたんじゃないか。ただ、ここは刑事裁判の証拠を見ても、片鱗が出てきているだけで、全体像は見えていません(東電刑事裁判については、読書人ウェブの海渡弁護士インタビューも参照。)。一番大きく残っている謎です。

 佐藤 海渡さんが書かれた文章を引用します。「二〇〇九年九月に東京電力が貞観の津波の試算結果を保安院に説明した。この説明会に小林勝・保安院耐震安全審査室長は当初欠席したと証言していた。これは、後に訂正され、当初から出席していたことを同氏は認めた。小林氏の政府事故調調書には次のやり取りが記録されている。小林「ちゃんと議論しないとまずい」。野口・審査課長「保安院と原子力安全委の上層部が手を握っているから余計なことをするな」。原昭吾・広報課長「あまり関わるとクビになるよ」」(https://shien-dan.org/trial-report-20180427-kaido/)。因みに、野口氏は以前、経産省資源エネルギー庁でプルサーマルを推進する立場にいた人です。それが安全を審査する立場の小林氏を恫喝するような発言をした。こういう事実があるのであれば、国の責任が免除されることはありえない。規制当局が正しく東電を規制していれば、事故は起きなかった可能性は高い。

 馬奈木 生業訴訟に引き付けてお話しします。二〇一七年の福島地裁の一審判決で、適時適切に規制権限を行使していないことが認定されます。その後、高裁段階で、国は何もしなかったわけではないとして、「四〇分の抵抗」など長期評価公表後の保安院の対応の話を出してきた。しかし保安院が仕事をせず、不誠実な東電に対して「唯々諾々」と従った、と生業訴訟の高裁判決で厳しく批判されます。それに対して、今回の三浦反対意見ではどうか。「このような東京電力の説明が適切な根拠に基づくものでないことは、本件長期評価の合理性等に照らし明らかであり、保安院は、自らこの点を十分に確認して検討しないまま、その説明をほぼ鵜呑みにしたに等しい」。「上告人は、前記のとおり、電気事業法四〇条に関する解釈を誤っていたものであり、保安院も、本件長期評価の公表後のいずれかの時点において、本件技術基準の要件該当性等について具体的な検討を行って、その判断をしたことはうかがわれない。これは、法が定める規制権限の行使を担うべき機関が事実上存在していなかったというに等しい」。最大限の批判であり、真っ当な評価です。

 海渡 一つずつ論理を詰めていって、最後にそこまで言い切っている。国は完全に有罪だと書いてくれている。これが多数意見だったらどんなによかったか。

 馬奈木 三対一という結果だったが、一があったのは貴重だった。後続の訴訟にとって手がかりになる。原告団にとって、国の責任が認められなかったのは衝撃だった。しかし、この三浦反対意見の存在が宝だった。全員一致で責任がないと判断されたことを想像すると、どれだけ違うか。

株代東京地裁判決と東電旧経営陣の責任

 佐藤 グダグダの判決の中で、最後の一線だけは守られたということですね。次に株代訴訟の東京地裁判決についてお聞きします。原告の主張をほぼ全面的に認め、東電元経営陣四人に一三兆三二一〇億円の賠償を命じた、画期的な判決です(http://tepcodaihyososho.blog.fc2.com/blog-entry-403.html)。まず、この金額の根拠についてお話しいただけますか。

 海渡 私たちが要求していたのは二二兆円です。今後の廃炉・汚染水対策費用、損害賠償、そして除染に関する費用を全部合算して二二兆円かかる。これは東電と国が見積もった数字が根拠になっています。このうち既に支出した金額は幾らかを、裁判所が東電に聞いた。東電が負担すべき金額の合計は一三兆三二一〇億円です。現に支出されている部分が損害として認定されたわけです。

 佐藤 実質的には減額されていない。非常に公正に判断されたということですね。

 海渡 もう一つ重要なのは、仮執行宣言がついていることです。地裁判決が出た現時点で、役員に対して強制執行をかけることができる。現実的にまとまった金額を払わせることに意味があります。また、株主に払われると誤解する人がいますが、そうではない。東京電力に支払えという判決が出たということです。

 佐藤 東電に賠償が支払われれば、被害者にも賠償が上積みされるべきですね。ここから判決の内容に入っていきます。特に重要なのは、長期評価に従えば福島第一原発に一五・七メートルの津波が襲来する可能性があることを東電経営陣が認識していたにもかかわらず、何ら対策を講じなかったという任務懈怠を認めた点です。この認定は二段構えになっています。第一に、東電内部で一旦決まっていた津波対策を先送りする「武藤決定」がある。第二に、それについてはコスト等を考えれば合理性がないわけではないが、あくまでも「当該検討の間、過酷事故を防止し得る措置が講じられるのであれば、その限度で、一定の合理性を有する」と判断している。ここから、東電旧経営陣の責任についてどう考えれば良いでしょうか。

 海渡 東電の土木グループは、津波対策を実施してほしいという立場だった。それを二〇〇八年の六月一〇日と七月三一日、二度にわたって武藤栄氏(当時取締役)に進言した。これに対して、武藤氏は土木学会に検討を依頼するだけで、何も対策をしなかった。それが任務懈怠だと私たちは主張していたわけです。今回の判決は、七月三一日の決定を二つの部分に分けています。一つは、正確な津波の高さを計算するために、土木学会に検討を依頼した。返事が返ってきたらそれに基づいて防潮壁等を作る計画だった、と東電側は言っている。しかし、そのこと自体が不当な先延ばしだった可能性が高い、と地裁は認めた。武藤決定に「経営判断としての一定の合理性があるとしても、その間、福島第一原発がウェットサイトに陥っている以上、何らの津波対策に着手することなく放置する本件不作為の判断は、相応の科学的信頼性を有する長期評価の見解及び明治三陸試計算結果を踏まえて津波への安全対策を何ら行わず、津波対策の先送りをしたものと評価すべきであり、著しく不合理であって許されるものではない」という論理になっている。

津波対策としての防潮壁と水密化

 海渡 津波対策に関しては、二種類に分けられています。根本的な対策、防潮壁等を作ることについては、土木学会の決定以後で仕方ない。しかし、その間に津波が来る可能性もある。それを防ぐために、重要建屋と重要機器室を水密化しておくべきだった。そのことに関しては、国内でも海外でもやった事例があるし合理的判断である。対策をしなかったことには正当性の根拠はないと言ってくれた。もちろん、私たちの主張が一部退けられているようにも見えるかもしれませんが、今回の裁判所の判断は、絶対に高裁で破棄されないようにという思いを込めて書いているんだと思います。つまり、武藤決定に全く合理性がないと認定すると、高裁で変な裁判官に当たった時に、ひっくり返される可能性がある。しかし、何もしないことには合理性がない。実際この点に関しては、武藤氏や武黒氏に対する尋問の中で、三人の裁判官が、時間をかけて厳しく追及していたところです。津波が来たらどうするのか、その間何もしなくていいと思っていたのか、と。

 馬奈木 今回の地裁判決で、武藤決定自体を「合理的ではない」としなかったのは、今後の高裁での審理を考えてのことだと私も思います。また、最高裁判決からわずか一ヶ月しか経っていないのに、多数意見に付き合うことなく水密化について判断している点は貴重です。ここは国賠訴訟にとっても重要ですし、仮に水密化をやらなかったら、原発を止めるしかない。株代訴訟の一審判決の特徴は、国民の便益にも触れていて、最初から止めるという発想には必ずしも立っていません。「国民生活の基盤にかかわる」ことであり、電力の安定供給を考えれば、止めることまでは求めていない。

 海渡 すぐに対策が取れないのであれば、止めるしかなかった。それができないならば、即刻水密化に取りかかるべきだった、と言っている。ここが一番重要な部分です。加えて、次のようにも言っている。「津波は、防潮堤等の対策が完成するまでの間に、実際には来ないであろうという認識が、東京電力において一般的であったということになるが、それは、取りも直さず、本件事故前における、被告らおよび東京電力が原子力事業者として有していなくてはならない基本的ともいうべき過酷事故に対する想像力の欠如と安全性に関する意識や認識の甘さを示すものであって、許容できるものではないといわなければならない」。その通りであって、こうして読んでいても実に気持ちがいい。

 馬奈木 一方、最高裁判決の多数意見は、防潮堤が基本だと断定している。菅野裁判官は、「本件事故以前に施設の水密化措置が確実な津波対策になり得るとの専門的知見が存在していたことはうかがわれない」とまで言っている。

 佐藤 しかし実際には、水密化は事故前に複数の原発で行われていました。

 海渡 その点も判決の中で、具体的に東海第二原発や浜岡原発の例を挙げて認定されています。また、そうした津波対策を講じなかったことについては、「原子力事業者及びその取締役として、本件事故の前後で変わることなく求められている安全意識や責任感が、根本的に欠如していたものといわざるを得ない」とまで言っている。今回の判決は、事実認定について、何月何日に何があったか、全て証拠に基づいて、東電内部で起こったことを詳しく認定している。そこを全部否定しないと、この判決を覆すことはできない仕組みになっている。上級審には絶対に原判決を尊重してほしいという思いが込められていると思います。

 馬奈木 判決言い渡しの時に、わざわざ「七ヶ月かけて書いた」と言っている。「よく聴いておきなさい」ということだと思います。

 海渡 裁判長は判決を四〇分ぐらいかけて読んだ。聴いていて震えるぐらい感動しました。終わった瞬間、傍聴席が総立ちになって拍手の嵐になった。その中を裁判長らは悠然と消えていった。もちろん私たちは、誰にも負けないぐらい事件の証拠を読み込んだという自負はあります。それでも読み切れていなかった部分を、裁判所は細かく認定してくれた。読んでいて、裁判所の方が正しいと思う部分もあります。非常にバランスが取れている。無理な認定はしないが、確実に認定できる範囲内で、東京電力役員たちの無責任さを断罪している。

 佐藤 事実が緻密に書いてあって、判決というより、一篇のドキュメンタリーを読んでいるようでした。

 海渡 ドラマのシナリオになるくらいですね。

 馬奈木 株代訴訟の判決は、法律構成上は、善管注意義務違反(善良な管理者としての注意義務違反)で任務懈怠を認めています。もう二点、生業訴訟や国賠訴訟とのブリッジを考える上で、ポイントとなる点をお話しします。第一に、法令違反は今回の判決には出てきていないので、今後どうなるのか、私たちは注目しています。第二に被害者救済は、過失を要件としない原賠法(原子力損害の賠償に関する法律)で判断される。慰謝料を請求する際、損害額を決めるに当たって東電の悪質性を斟酌しますが、法律上の要件としては過失は要件にはならない。それに対して、株代訴訟は東電ないしは旧役員の任務懈怠、過失を正面から判断しており、非常に重要な判決だったと思います。

 佐藤 任務懈怠があったということは、行うべき対策を行わなかったということであり、そこに東電旧経営陣の原発事故への責任が大きく浮かび上がってくる。その点を明確に扱ったのが株代訴訟だったということですね。それではなぜ、ここまで明解かつ明確な判決を勝ち取ることができたのか。今までの訴訟の中でも群を抜いて明確な判決です。

 海渡 裁判所がどういう審理をしたか。四代の裁判長にわたって審理してきましたが、二代目の大竹裁判長が偉大だった。検察審査会の議決書や指定弁護士の作った冒頭陳述など、全てを時系列で表にまとめて、徹底的に事実認定を行なった。裁判所は、最後までこの時系列表を重視した。そして原告側のみならず被告側も、刑事裁判の証拠を全部出した。これが決定的に重要です。加えて、証人調べで何をやったか。長期評価については、(長期評価部会メンバーで)気象庁地震火山部長だった濱田信生さん、貞観の津波に関しては、(保安院で耐震バックチェック審査員を務めた)産総研の岡村行信さんが、証言台に立ってくれた。両者とも官側にいた人でありながら、非常に公平な立場から東京電力が取った対応の問題性を指摘してくれました。その後、裁判所は水密化に基づいて事故が回避できたかという点に、完全にフォーカスした。東芝の原発技術者だった渡辺敦雄さん(原発全体の設計担当者)と後藤政志さん(格納容器の専門家)を証人採用し、ここでも裁判所は、水密化ができたかどうかに焦点を絞って聞いていた。その後の被告人尋問は、朝一〇時から夜六時過ぎまで、四回にわたって綿密に行われました。「これほど時間をかけて裁判官自らが尋問することは見たことない」と記者たちも驚いていた。そして、最後の極めつけが現地進行協議です。原発の現場を三次元的に判断するために、裁判官が一日かけて福島原発の一号機から六号機までを見て回った。裁判所は、津波対策とりわけ水密化の必要性・可能性にフォーカスして見ていました。しかも現場に行く過程で、帰還困難区域の荒廃した状態も確認しています。これだけやったことで、裁判所としては、絶対に自分たちが正しいと確信をもって判決を言い渡せたんじゃないか。

最高裁の「政治性」と今後の訴訟の展望

 佐藤 最高裁判決の話に戻りますが、これまでも最高裁の「政治性」について指摘されることが多かった。馬奈木さん、その点についてはいかがですか。

 馬奈木 下級審と最高裁は明らかに違う裁判所です。先に申し上げたように、最高裁は秩序重視の判断に流れやすい。それを「政治的」と形容するかどうかはともかく、歴史的にはそのように言われてきた側面はあります。一方、公害の裁判などを考えると、そうした中でも勝訴してきた歴史があります。最高裁が政治的だから勝てないということではない。どういう状況であっても勝たなければならない。反対意見を多数意見に変えていくにはどうすればいいか。怒りをもって声をあげる被害者の方がいる限り、裁判には取り組めます。世論にも訴え、力のある正義の声にしていかなければなりません。株代訴訟や各地の被害救済の弁護団ともより協働を深め、補完しながら闘っていきます。

 佐藤 最後に、今後の訴訟の展望についてお聞かせください。生業訴訟は、第二陣の原告を募集されています。

 馬奈木 生業訴訟第二陣もその一つですが、後続の訴訟が、北は札幌から西は福岡まで高裁にかかっています。そこで国に責任があると判断されれば、最高裁でリベンジとなる。とはいえ、問題の多い判決でありながら、下級審の裁判官が最高裁判決を覆す判決を書くのは、踏み絵を踏むことに等しい。簡単なことではないが、それを目指します。手掛かりになるのは、最高裁の多数意見は盤石でないということであり、多数意見をどう乗り越えていくかが重要です。また、法廷外の戦いも重要になってくる。「主戦場は法廷外にあり」という先人の教えもあります。世論をどう味方につけていくか。仮に最高裁が政治的だとすれば、それは世論に対して敏感だという意味で捉えるべきです。最高裁判決直後の各紙の社説や論説を見ても、多数意見を擁護するものなどほとんどない。そういう追い風もある中で、三浦反対意見こそ本来あるべき判決であることを、世論に訴えていく。さらに言えば、判決は原発事故の被害を二度と繰り返さないという観点に立っているのか。原発政策そのものの見直しを迫るような世論を作っていくことが重要です。最高裁判決を受け入れられないことを可視化するためにも、まずはより大きな原告団を作っていく。現在五千人ですが、早期に一万人に増やすことを目標として、説明会も開始しています。

 海渡 東電刑事裁判の今後に関連する話をしておきます。三浦反対意見を読んでもらうためだけでも、最高裁判決を証拠として高裁に提出する意味があると思っています。そういう上申書を既に提出している。さらに、株代訴訟の判決を証拠として取り調べてほしい旨を述べた意見書は完成済みです(七月二八日提出済み)。裁判自体は六月に結審していますが、弁論の再開を求めていきます。指定弁護士も私たちと同じ意見です。証拠も争点もほとんど共通の裁判ですから再開されると思います。高裁が証人採用や検証も却下しましたから、消極的であることは間違いないですが、私たちとしては、株代訴訟レベルの判決が出るよう、望みを捨てず刑事裁判も頑張っていきたいと思っています。(了)

★かいど・ゆういち=弁護士。東京電力株主代表訴訟弁護団、福島原発告訴団弁護団。
★まなぎ・いずたろう=弁護士。「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟弁護団事務局長。
★さとう・よしゆき=筑波大学准教授、哲学/思想史。

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