2026/09/11号 3面

動物学者の戦争

動物学者の戦争 坂野 徹著 伊東 剛史  本書は、日本の戦前から戦後を生き抜いた動物学者・阿部襄(一九〇七〜八〇年)の伝記である。山形県酒田市山寺で育った阿部は、東北帝国大学に新設された生物学科で学び、卒業後は浅虫臨海実験所とパラオ熱帯生物研究所で研究を重ねた。その後、満洲国吉林の師道高等学校(のちに大学に昇格)に着任し、「五族協和」の理念のもと現地人エリートの育成に携わった。太平洋戦争終結後は、ソ連軍の進駐や国共内戦の混乱のなか、生命の危機にさらされながら、周囲の人びとに助けられて帰国を果たした。  帰国後は故郷の山形県に戻り、復興政策の一環として新設された農林専門学校(四九年に山形大学農学部に再編)に勤めるかたわら、鶴岡ユネスコ協力会を中心とする平和教育活動に参画した。「人間は自然のなかの一つの生命である」という言葉を好んだという。その自然観の背景には、野外で生物を粘り強く観察し続けた研究者としての経験と、若い頃からの動物文学への志向があったのだろう。科学的な観察と文学的な感性は、阿部のなかでは別々のものではなく、自然や生命を理解するための営みとして分かちがたく結びついていたように思える。  阿部はかつて海洋動物の生態研究、とりわけ貝類やサンゴの研究で知られ、その成果は「日本の動物行動学の先駆的業績の一つ」として評価できるものだという。また、『貝の科学』などの子ども向けの科学読み物も数多く手がけたが、現在では著作のすべてが絶版となり、生家の阿部記念館も昨年ひっそりと閉館したという。  本書は、この「忘れられた研究者」を丹念な調査で歴史から掘り起こし、再評価を試みたものである。  優れた伝記は、ある人生だけでなく、その人が生きた社会の移り変わりや、その生を通して具象化される思想や観念を鮮明に映し出してくれるものだが、本書もそれに成功している。科学と文学の双方にまたがる生涯、フィールドにおける科学の実践と知の生産過程、戦争や植民地主義に直面した科学者のあり方、そして戦後社会における科学者の実践的活動。著者が設けたこの四つの柱が、本書の屋台骨となっている。  その一方で、阿部の人生は時代の大きな枠組みによってのみ説明できるものではなく、偶然や巡り合わせによっても左右されていた。大正教養主義者の代表格・阿部次郎を叔父に持ち、その影響で早くから文学に慣れ親しんでいたこと、実験設備をあまり必要としない研究者とみなされてパラオ行きを勧められたこと、ソ連軍進駐後の吉林で投獄されながらも、間一髪のところでシベリア送りを免れたこと。こうした人生の転機をたどっていくと、本人の意志とその時々の状況が絡み合いながら、阿部の歩む道が形づくられていくさまが伝わってくる。各章の冒頭で、阿部の人生の一場面をいわばプロローグとして鮮やかに描く構成も効果的で、読者を歴史の舞台へと引き込んでくれる。  最後に改めて考えさせられたのは、科学者とその時代との関係である。阿部は熱烈な帝国主義者だったわけではない。むしろ穏健な人柄で、吉林では「反満的発言」をした学生を日本人教員の中でただひとり庇おうとした。しかし、それもまた「五族協和」の理念を人一倍大事にしていたからなのかもしれない。「エピローグ」では、阿部が戦後の民主主義社会への移行に違和感を覚えながら、天皇への敬意を持ち続けていたことが明かされる。  帝国を支えたのは、必ずしも強烈な政治的信念だけではない。人びとが当然のものとして受け入れた価値観や、善意にもとづく日々の実践もまた、その秩序の一部をなしていた。科学者もまた、そうした時代の外部に立って知を生産することはできない。科学と政治や戦争との関係が問われる現在、阿部の生涯を辿り直すことの意味も、そこにあるのだろう。(いとう・たかし・東京外国語大学教授・科学史・感情史・動物史)  ★さかの・とおる=日本大学教授・科学史・フィールドワーク史。著書に『縄文人と弥生人』など。一九六一年生。

書籍

書籍名 動物学者の戦争
ISBN13 9784787221100
ISBN10 4787221108