2026/07/10号 5面

芸術における晩年スタイル

芸術における晩年スタイル 中地 義和編 小倉 孝誠  二十代で夭折したような場合を除いて、一般的に作家や芸術家の活動は初期、中期、後期とか、青年期、壮年期、晩年のように時期区分される。経験を積んで脂の乗った中期や壮年期に傑作が創られることが多い。また研究者の立場からすると、作家や芸術家が若い頃にどのようにして自己形成したか、換言すれば、特定の作家や芸術家がいかにしてそうなったかが大きなテーマになる。壮年期の傑作はもちろん価値が大きいが、そこに至る以前の彼らは何を試みたのか。歴史学で「~の誕生」「~の創出」がしばしば論じられるように、文学や芸術の研究で「~以前」「初期の~」が研究テーマになる所以である。  では晩年はどう位置つけられるのだろうか。円熟か、停滞か、はたまた衰退か。そのような見方もあるが、ドイツの哲学者たちは、芸術家の晩年の作品に、青年期や壮年期とのある種の断絶を経て新たな創造性が発現するさまを見てとった。たとえばアドルノは、ベートーヴェン後期の弦楽四重奏曲やピアノ・ソナタが、それまでの作品との訣別を意図して「晩年スタイル」をうちだした、と評価した。  本書はそうした議論を踏まえながら、近現代の日本および西洋の作家・芸術家を取りあげ、彼らの晩年の仕事の意義を問いかける論集である。中地義和の見通しのよい「序」が、晩年スタイルの争点を概観するのに続いて、全体は五部から構成されている。  第Ⅰ部では、二人の画家の革新性が強調される。一九四〇年代にマティスが始めた切り紙絵は、老いた画家の手慰みではなく、「新生」を画する創造だった(アントワーヌ・コンパニョン〔今井勉訳〕)。切り紙絵は「環境芸術」という分野を開拓し、同じ頃ピカソは伝統的なセラミックの枠を超えて、絵画・彫刻・陶芸の境界線に位置する新たな形式を創造した(河本真理)。  すべての芸術家に「晩年」があったわけではない。彗星のように登場した後、病、死、本人の意思などさまざまな理由から、比較的若くして創作活動が途絶した者は少なくない。外部から見てその途絶が唐突であれば、悲劇性をおびることになるだろう。第Ⅱ部では、そのような作家と芸術家三人をめぐる考察が展開する。ランボーの早すぎた晩年の道程があらためて照射される(アンドレ・ギュイヨー〔中地義和訳〕)のに続いて、三島由紀夫の最晩年の作品にバロック性やグロテスク趣味を見出す論考が置かれる(トマ・ガルサン〔澤田直訳〕)。グレン・グールド最後の四年間は、精神的な旅を続けた移行の時期にほかならず、彼の急逝がその豊饒な時間を早すぎる晩年に変えてしまった(宮澤淳一)。彼が漱石『草枕』の英訳を愛読していたというエピソードが興味深い。  現代では多くの人がそれなりに長生きするから、晩年は老年と重なる。では作家や哲学者は老年をどのように生きたのだろうか。それが第Ⅲ部のテーマにほかならない。ボーヴォワールは『老い』のなかで晩年を衰退期とみなしたが、他方サルトルは、若い世代とのインタビューや対話をとおして「複数的な思考という新境地」を拓いた(澤田直)。大江健三郎はエドワード・サイードの『晩年のスタイル』と共振しつつ、晩年の仕事において病、戦争、震災などの主題を語りながら作家像のジェンダー的変革を図った(工藤庸子)。  第Ⅳ部は、作家が文字どおり晩年に発表した作品の射程を問いかける。ゴーティエが戦火のパリを活写した『攻囲の情景』は、美学的ユートピアの崩壊を劇的に描きだした(オーレリア・セルヴォーニ〔浜永和希訳〕)。チェコ出身のクンデラがフランス語で書いた作品は、フーガ形式にもとづいて老い、帰郷、忘却などのテーマを構築した(塚本昌則)。古井由吉最後の長編『野川』は、作家に終生つきまとった幼時の東京大空襲の記憶と、土手道を歩くというモチーフの関係性を炙りだす(中地義和)。いずれも晩年の仕事の緊迫感と豊かさが伝わってくる論考だ。  第Ⅴ部では、未来を志向する営みとしての文学と音楽が論じられる。十九世紀末のデカダン文学は、退廃、終末など世紀の晩年がはらむ否定性を再生へのステップにしようとした(アンリ・セッピ〔築山和也訳〕)。そして最後に、革新的な晩年スタイルの祖型として提示されるベートーヴェン後期の弦楽四重奏曲が、十九世紀末から二十世紀初頭のフランス音楽に強いインパクトを及ぼしたことが示される(野平一郎)。  本書の対象は文学、美術、音楽と多様だが、そこに通底しているのは、アドルノやサイードの議論をうけて、晩年を衰退、あるいは単なる円熟とみなすのではなく、過去を宙吊りにして、新たな可能性をきり拓く果敢な試み、あるいは未知への挑戦の時期として評価する姿勢である。その視点はいくらか挑発的であるだけに、いっそう知的な刺激に富む。  西洋思想は全体として、老いに無関心だった。『庶民の女の生、老い、死』(二〇二三)のなかで哲学者ディディエ・エリボンは、自分の母の晩年と死を回顧しながら、西洋の理論が老いを思考してこなかったし、現代社会では老人たちがみずからの想いと要求を表明できる場が少なく、彼らを代弁=代表する制度がないと嘆いた。老いを思考した書物として彼がしばしば言及するのがボーヴォワールの『老い』であり、ノルベルト・エリアスの『死にゆく者の孤独』であり、多くの文学作品だ。  作家と芸術家は、老いを表現できる特権的な集団かもしれない。晩年が老いとの対峙になる現代、晩年スタイルは「老いのスタイル」でもある。それはもうひとつの論集のテーマになりうるだろう。(おぐら・こうせい=慶應義塾大学名誉教授・フランス文学)  ★なかじ・よしかず=東京大学名誉教授・フランス文学。著書に『ランボー 自画像の詩学』『ボードレール 詩と芸術』(編著)、編訳書に『対訳 ランボー詩集』など。

書籍

書籍名 芸術における晩年スタイル
ISBN13 9784801010024
ISBN10 4801010024