最後の特攻船
岩崎 博幸著
西野 智紀
反社会的勢力を美化するべきでないというのは、毎日普通の暮らしを営む多くの人間が一致するところであろう。彼らによって実害を被った人が報われないし、秩序の混乱を助長しかねない。
しかしながら、時代を遡ると、彼らの存在が歴史に影響を及ぼした例がないわけではない。本書の著者は、元ヤクザの組長ながら、昭和中期から平成初頭にかけて北海道・根室にて地元経済に大きな貢献をした人物である。その半生とビジネスの全貌を、誇張せず抑揚の効いた筆致で語ったのが本書である。
北方領土引揚者の二世として根室市歯舞村に生まれた著者は、幼い頃から父親の昆布漁を手伝い、成長していった。当時はゲームどころか遊戯施設もなく、遊び場は大自然。昆布漁は過酷なうえに実入りが少なく、運搬も自動車ではなく馬車で行うほどで、貧しい生活を強いられていた。
両親のことは尊敬していたが、漁を手伝って小遣いが出ることはなく、自分のカネが欲しかった著者は小学四年生で新聞配達のアルバイトを始める。中学、高校と野球に熱中したが、甲子園出場目前で敗退し、学校生活に意味を見いだせなくなり、十七歳で中退。地元の暴走族に入り、血気盛んな青春時代を送る。
同時並行して、根室の漁業事情が綴られる。古くから北の海は海産資源の宝庫だが、その中でも北方領土はひときわ恵まれていた。一九七〇年代の根室は、北方四島周辺海域で密漁をする「レポ船」の操業が盛んで、町に好景気をもたらしていた。レポとは報告の意味で、ソ連が実効支配する北方四島に近寄れば即刻拿捕されるところを、ソ連側に日本の情報を報告してその見返りに操業を見逃してもらっていたのだ。
地元民から一〇〇億円産業ともよばれた「レポ船」だが、国際情勢の変化もあり七〇年代後半には一気に衰退。変わって現れたのが「特攻船」である。その名の通り、高速で北方領土の海へ出向き、カニやウニ、ホタテなどの海産物を大量に獲り素早く日本側へ逃走するための船だ。逃げる必要がなく大型船クラスだったレポ船と違い、全力で逃げ切るため小型高速艇に高出力船外機を何機も積んでいた。
ソ連の海域だから日本の漁師の漁獲高は減らないし、元をたどれば北方四島は日本の領土である。不法操業と呼ばれても恥じることはない。その状況を理解していた警察や海上保安庁もすべての特攻船を捕まえようとはしなかった。また、特攻船は実入りが非常に大きく、漁師たちもそのカネを貯めずほとんどを港町の繁華街に落としたため、毛細血管のように権力側にも回り、密漁ビジネスは黙認されたのだった。
著者は幼い頃の昆布漁、特攻船でのアルバイト、知床・羅臼でのスケソウダラ漁などを経て、若くしてある特攻船の船頭の跡継ぎとなる。加えて、その船の所有者がヤクザであったために、裏社会へと足を踏み入れる。そもそも、特攻船の乗組員は大半がヤクザで、前述のとおり莫大な利益を生むシノギだった。一国一城の主のような豪快な生き方をしたいという夢のもと、正式に盃を受け、根室の地で稲川会加藤一家の代紋を背負う。そして二十五歳にして自分の組となる「岩崎組」を旗揚げし、二〇名ほどの組員を率いて、特攻船で荒稼ぎをしていく。
実入りが多くとも、特攻船は常にハイリスクだ。時化による暴風と高波、拿捕の恐れ。船上火災に見舞われたこともあれば、寸前までソビエト兵に迫られたこともあった。ヤクザ稼業においても暴行や発砲事件を経験した。やがてソ連が崩壊し、北方領土がロシア支配となると、警備艇が問答無用で銃撃してくるようになり、漁師が射殺される事件が発生。そうして平成初期で特攻船は廃れ、根室からヤクザも消えていった。
戦後から国境の海で繰り広げられた密漁の攻防。違法だ、反社会的だと断罪することに何の意味もないだろう。レポ船と特攻船が根室を繁栄させ、町の人々の歓迎を受けていたのは紛れもない事実なのだ。歴史の表層からはもはや見えない、裏社会の貴重な証言である。(にしの・ともき=書評家)
★いわさき・ひろゆき=元稲川会専務理事・荒木一家幹事長岩崎組組長。
書籍
| 書籍名 | 最後の特攻船 |
| ISBN13 | 9784903883946 |
| ISBN10 | 4903883949 |
