紅テント覚醒!
久保井 研・樋口 良澄著
武田 寿恵
本書は、二〇二四年にこの世を去ったアングラ演劇の旗手、唐十郎の演劇創造に迫る一冊だ。いわゆる「アングラ演劇」とは、一九六〇年代に既存の新劇や商業演劇に反発して誕生した前衛的な演劇で、奇抜な演出や不条理な展開をその特徴とする。当時の学生運動などと結びつき、一九六〇年代後半から一九七〇年代にかけて大きなブームを呼んだ。劇作家、演出家、俳優、小説家として活躍した唐は、そのブームを牽引する存在で、主宰した状況劇場(一九六三~一九八八年)と劇団唐組(一九八九年~)は、神社の境内や空き地に仮設の赤いテント劇場を建てる上演スタイルから、「紅テント」の通称でファンに愛されてきた。
正直に言うと、評者はアングラ演劇というジャンル自体に少なからぬ苦手意識がある。普段は一千席を越える規模の劇場に通い、オペラグラスで歌い踊る俳優達を覗き見て虚構の世界に浸り、そうした商業演劇を研究の中心にも据える評者にとって、もはや劇場すら飛び出して、俳優と観客が密でディープな空間を共有するアングラ演劇は、異世界そのものだ。ところが、ブームから半世紀以上が経過した今、紅テントには若い世代の観客が急増し、その人気が再燃しているという。なぜ、今この時代に、人々は唐演劇を求めるのか。その問いに答えをくれたのが、この『紅テント覚醒!』だった。
本書の導き手は、劇団唐組の俳優、演出家であり、唐が倒れてからは「座長代行」を務めてきた久保井研と、編集者、観客として唐演劇を五十年以上見続けてきた樋口良澄。唐演劇を内側と外側から見つめてきたこの二名の対談で、第一部「唐組と久保井研の軌跡」、第二部「唐十郎演劇とは何か」、第三部「唐組の現在、そして未来へ」は進んでいく。
彼らが繰り返し言及するのは、新劇のリアリズムへの反発で生まれた唐演劇が、実は現実=「リアル」と密接に結びついていたということだ。特にバブル崩壊後は「より厳しい実際の現実に根ざしたもの」(二九頁)、たとえば倒産や失業などの労働の現場が取り上げられ、作品に強いリアリティが加わったという。樋口は、そうした「現実への批判、挑発」(六九頁)が唐演劇の本質だと指摘し、劇のクライマックスで舞台奥の幕を取り払い、劇の虚構世界と外の現実世界を繫げる「屋台崩し」も、より「大きなリアル」(六七頁)を立ち上げるための演出だったと述べる。一方の久保井も、唐の戯曲には「君らそのままでいいのかい」(六九頁)という観客への批判と挑発があると同調し、商業主義的な演劇が全盛し、「観客の喉元に突きつけるナイフ」(四〇頁)が無くなった現在の演劇界を見たら、唐はがっかりするだろうと肩を落とす。
喉元に突きつけられたナイフ。それを想像した時、評者が感じていた苦手意識は、一種の恐怖だったのではないかと思い至った。テントの中では、オペラグラスで自分が見たいものだけを選び、虚構世界に浸り続けることはできない。突然目の前に現れ、目を逸らすことを許されない「リアル」、すなわち現実批判というナイフを、私は恐れていたのだ。しかし、この喉元にナイフを突きつけられるというスリルにこそ、唐演劇の魅力がある。恐怖の正体が分かった後、残るのは好奇心ではないか。「このスリルを体験してみたい」と、私はもう思い始めている。
唐演劇を内側から見つめる久保井の視線と、外側から見つめる樋口の視線は、まるで交差するように、時に交わり、時に離れていく。だが、「唐演劇に魅せられた者」という共通の立場が、この二人を結びつけているように感じた。「やはり僕らはハマっちゃったんですよ(笑)。(中略)唐さんは沼で、ハマったら抜け出せない(笑)」(一二〇頁)と語る久保井の言葉に、読んでいるこちらまで笑顔になった。唐演劇に興味がある人はもちろんだが、評者のようにアングラ演劇に苦手意識がある人にこそ、是非手に取ってもらいたい一冊である。(たけだ・としえ=明治大学兼任講師・演劇学)
★くぼい・けん=一九八九年唐組入団。以後、現在に至るまで全公演に出演。一九六二年生。
★ひぐち・よしずみ=編集者・作家。著書に『唐十郎論』『鮎川信夫、橋上の詩学』など。一九五五年生。
書籍
| 書籍名 | 紅テント覚醒! |
| ISBN13 | 9784896427790 |
| ISBN10 | 4896427793 |
