- ジャンル:哲学・思想・宗教
- 著者/編者: ニール・マッカーサー
- 評者: 相澤伸依
セックスの倫理学
ニール・マッカーサー著
相澤 伸依
セックスに関して何をやってよくて、何をやってはいけないのかを問うセックスの倫理学は、古代から、私たち――もちろん哲学者たちも含めた――の強い関心を引いてきた。中でも、今日の世界において、セックス倫理学は、一層緊急かつ重要な問題になっていると本書の著者マッカーサーは言う。
というのも、性に関する価値観が多様化し、スマートフォンをはじめとする新しい技術が発展・普及した中で、古典的な性道徳では解決が困難な課題が山積しているからだ。私たちはこれらの問題にどう向き合い、どのように生きればよいのか。本書は、読者自らがこの問いを考え、解決策を見出すための材料を与える一冊である。
性は、私たちの生の核心を成す重大事である一方で、極めて個人的な経験である。だからこそ、セックスの倫理について語る時、私たちは自らの経験や価値観に囚われやすく、自分とは異なる視点を容易には考慮できない。近年、その難しさが顕著に現れているのがSNSの場だろう。誰もが意見を発信できるSNSにおいて、性に関する話題は主観的な「狭い視点」での衝突を生んでしまいがちだ。
しかし、現代社会にアップデートしたセックスの倫理を構想するためには、SNSを含め広く議論していくことが必要だろう。注目を集めやすく対立が可視化されやすいテーマだからこそ、まずは議論の土台となる論点や理論を整理する必要がある。本書が試みるのは、まさにその作業である。
本書の構成は次のようになっている。最初に、過去の哲学者たちが性道徳・セックス倫理をどのように論じてきたかが概観される。続く2章から6章では、現代社会のセックス倫理に関する様々なトピックが検討される。終章では、基本的な哲学理論が解説されており、哲学に馴染みのない読者はここを参照しながら全体を読み進めることができる。
本書の魅力はなんといっても、扱う話題の豊富さとアクチュアリティにあるだろう。ネットやマッチングアプリを通じた出会い(第2章:「出会い、デート、セックス」)、性的同意(第3章:「同意」)、同性婚や結婚の改革(第4章:「コミットメントと結婚」)、ポルノグラフィやセックスワーク(第5章:「セックスと法」)、セックスロボットやバーチャル児童搾取(第6章:「セックスとテクノロジー」)。ここに挙げたのは本書が扱う問題の一部だが、いずれも、2026年の日本社会でなんらかのルール作りが必要だと考えられるトピックばかりである。
では、ルール作りのために、どのような論点と議論があるだろうか。具体例として、性的同意を取り上げてみよう。
性的同意は、今日、その有無がセックスに関わる行為の許容可能性に大きく影響を及ぼすようになった考え・手続きである。セックスの倫理について考えようとする誰しもが、性的同意の重要性は認識しているだろう。しかし、「同意」の一語には、次のような複数の論点が含まれている。
まずは、性的同意にどれほどの重みづけを与えるかという問題だ。今日、当事者の同意がないセックスが道徳的に許容可能だと主張する人はほとんどいない。その一方で、当事者が同意してさえいれば、どのようなセックスも、あるいはどのようなセックスに関わる事柄も(例えば、どんなBDSMもポルノもセックスワークも)許容されると言い切ってしまうわけにはいかないだろう。マッカーサーは、性的同意が重要ではあるが、万能ではない点に読者の注意を向ける。
さらに、性的同意が有効とみなされるためには、それがなされた環境や当事者の状況・状態にも注意を払う必要がある。一体何歳からセックスする同意ができると考えるべきだろうか。アルコールや薬物を摂取している状況下でなされた同意や、当事者の一方がプロフィールを偽っていた場合になされた同意は有効なのだろうか。いずれのケースも、簡単に結論を出すことはできない。だからこそ、マッカーサーは、性的同意という実践を考えるにあたって、どのような具体的な論点がありうるのかを丁寧に整理した上で、それぞれの論点について代表的な議論を紹介している。
筆者が特に興味深く、また重要だと感じたのは、紹介される議論が哲学的な観点からに止まらない点である。セックスは私たち一人一人の日常、そして人生において重要な要素であるだけに、そのあり方を検討する際には、思弁だけでなく実践的な側面と含意に目を向ける必要がある。例えば、セックスするのに明示的な同意が必要だとルール化すると、実際のところ私たちの性的生活はどのようなものになるのか。セックスという私たちの生の親密な側面に、道徳、そして時に法の影響が広がることをどう考えるのか。読者は、セックスの倫理について考察しつつ、自分がどのような世界で生きることを望むかにも考えを至らせることになる。
すでに指摘したように、セックスの倫理を語る際、私たちの視野は狭くなり、議論は先鋭化してしまいがちだ。読者は本書を通して、自分とは異なる見解に必然的に接し、広い観点から実践的に問題を捉えることができるようになるだろう。この点で本書は、セックス倫理学の貴重な入門書であると同時に、実践哲学(倫理学)の優れた入門書であると言える。(江口聡訳)(あいざわ・のぶよ=東京経済大学教授・哲学・倫理学)
★ニール・マッカーサー=カナダの応用倫理学者。マニトバ大学教授。著書に『ロボットのセックス』(未邦訳)など。
書籍
| 書籍名 | セックスの倫理学 |
| ISBN13 | 9784815812355 |
| ISBN10 | 4815812357 |
