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山本貴光
第36回 化学専攻の文芸評論家
奥野健男と聞いてなにを思い浮かべるかは、もちろん人によるだろうけれど、文学や批評の方面に関心がある人にとっては『太宰治論』(近代生活社、1956)をはじめとする文芸評論の仕事が先に立つだろうか。他方で、奥野が東京工業大学で化学を学び、卒業後は東芝で技術開発に従事した人でもあったことを思い出す人もあるかもしれない。
「もし吉本隆明全集が刊行されるならば、森鷗外の全集の医学篇のように科学篇が絶対必要である」とは、奥野が「自然科学者としての吉本隆明」(『科学の眼・文学の眼』冬樹社、1972)で述べたことだった。同じことが奥野自身にも言えるだろう。
その奥野健男(1926―1997/32/東芝松田研究所勤務・化学専攻)が「読書人」第278号(1959年6月8日)に登場している。第5面の自然科学コーナーにある「新聞の科学欄 5月」という記事で、タイトルの通り日刊新聞に出た自然科学に関する記事を論評するものだ。
冒頭で、新聞の科学記事が充実してきており「新聞につきものの間違いも少くなり、用語も正確で平易になった」と評価した上で、科学や技術について一般読者にわかるように書く難しさを指摘している。科学や技術が「異常に発達し、高度に専門化してしまったため」だという。また、専門家同士も専門が少しでも違うと「お互いに全く無関心」で、科学の専門家の中でさえ分野が違うとコミュニケーションできないのだから、一般読者に理解させるのはいっそう難しいだろうとも述べている。
そうした前置きに続いて、5月の主要な新聞の科学論を論評している。言及されるのは、毎日、日経、朝日の三紙で、それぞれの新聞に載った科学記事を具体的にとりあげて、そのトピックの選び方と扱い方、解説の水準についてコメントするという趣向。科学記事批評というなんとも味わい深い文章である。この仕事は、自然科学の各方面についての理解とともに、それを説明する言葉のあり方を分析・批評するという人文的素養の両方を要するもので、どちらかが欠けてもこのようには書けないだろう。「読書人」の編集部も、よくぞ奥野健男にこれを依頼したものだと、経緯を知らぬまま感心しつつ、続きもあるかしらと思ってみると、第283号(7月13日)の5面に「新聞の科学欄 6月」がある。
科学記事では、記者が科学のトピックをどのように料理して読者に届けるかが肝心という議論を紹介しつつ、日刊新聞で科学や技術について書く難しさについてこのたびもコメントしている。
「所詮現在の段階では新聞記事に数式を用いる表現は不可能なのだから、(数式という正確な共通言語を理解し得るような教養が広く行きわたることがもっとも好ましいことなのだが、何故か喰わず嫌いで敬遠してしまう傾向がある)思い切ってひゆとモデルを用いてその根本概念だけでも摑めるようにすることが重要だと思う。」
奥野がこれを書いてから60年以上の歳月が流れた。「喰わず嫌いで敬遠してしまう傾向」がその後も続いたのか、いまでも新聞記事に数式が現れることは滅多にない。
ところで、記事の最後に添えられる肩書きが「6月」分では「文芸評論家・東芝マツダ研究所勤務・化学専攻」となっていた。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)
