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山本貴光
第43回 起こりうることへの想像
前回、1960年上半期の1面は安保闘争に関わる記事が多いと述べた。その様子を眺めてみよう。ところで本連載では、事後の見方を過去に投影するというよりは、できるだけ当時の記述を頼りに同時代人の目に映っていた出来事のありよう、当時の人の認識を眺めてみたいという姿勢で読んでいる。
そういう点では322号(4月25日)が有益だった。同号では1面と2面を安保問題に充てており、込み入った状況に見通しを与えてくれる記事が並んでいる。一つは1面に掲載された中島健蔵(1903―1979/57/評論家)の「「危機」診断への誠意――安保改定批判の現段階の態度」という文章で、改定反対の立場から問題点を整理している。国会では安保改定案の批准をめぐって審議が行われ、野党からの質問に対する政府の答弁に「誠意がない」と評されているが、この点についてはさらに分析しておく必要がある、というので中島の見立てが次のように提示される。
改めて大きな構図を確認すれば、日米安保改定に賛成する立場と反対する立場が激しく対立している状況であり、「今後十年の日本の方向を決定する」重大問題だけに当然のことだ。賛成派も反対派も、変化する国際情勢のなかで日本の安全をどのように確保するかが課題である点では共通のはず。ただ、なにを危機とみなすかは立場によって違うだろう。
「問題は、賛否両方の認めている危機をまとめ、安保条約の改定が、その中のどのような危険誘発を含んでいるか、それを、冷静、厳正に判断することである。国会における審議において、政府がわの答弁に誠意が薄いと感じられるのは、客観的に見て、当然考えられる危険について政府がわが真剣に考える態度を持っていないからである」
これが先に触れた「誠意」に関する中島の分析というわけだ。「当然考えられる危機について政府がわが真剣に考える態度を持っていない」との指摘は、このところの日本の政治にもそのまま当てはまりそうだと連想しないでいるのは難しい。
それはさておき、安保の改定について「条約の条文そのものについて、起こりうるあらゆる場合を、できるだけ具体的に考え、条文の文面、法的解釈そのものから、どういう結果が起こりうるかを検討しなければならない」とは至極まっとうな提案である。ある状況で自らが下した意思決定(選択)と環境との作用によって、状況がどのように変化しうるかを網羅的に検討・予想することをシミュレーションと呼ぶとすれば、当時の政府がこの点についてどれだけのシミュレーションを重ねたのかを私は知らない。ただ、言動などの痕跡を見る限りでは、結論ありきの決定を押し切る姿勢であり、その手前で多様な可能性を考慮していたようには見えない。ここでの中島の指摘を読む限りでは、当時この問題に強い関心をもって注視していた彼にも、政府が十分に事態のシミュレーションをしていないと感じられていたように思われる。
なお、同号2面では、滝沢正樹(1931―2002/29/社会心理研究所所員)による安保改定についての世論調査の分析と、編集部「安保闘争小史」と称した、1958年10月4日の藤山・マッカーサー第1回会議から1960年4月21日までの出来事を時系列に整理した記事が載っており、闘争の流れを概覧できるのはありがたい。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)
