英国ブックセラーの歴史
マイケル・ロブ著
上原 早苗
本書の原題は、ShelfLifeである。シェルフ・ライフとは通常、食品の「賞味期限」を指すが、ロブにとっては生き残るための「持ちこたえる力」、すなわち「変化に適応する力」を意味する。一九八○年代以降、イギリス出版界は合併や再編が急速に進み、二○○○年代にはオンライン販売やデジタル書籍、オーディオブックの台頭など激震に見舞われた。淘汰された書店・出版社もあれば、巧みに状況に適応してきたものもある。本書は、幾多の書店や出版社が賞味期限をいかに伸ばしてきたか、あるいは切らすことになったか――その成功と失敗の物語である。
第一部「ありし日のことを思い起こして」は、著名な開拓者たち、キャクストンやド・ウォードなどイギリス出版界のなりたちに寄与した人物とその仕事の輪郭を描く。大衆読者が十八世紀に誕生したかのように読みうる危うい箇所もあるが(出版文化史の通説では十九世紀)、読み進めるうちに、それを忘れさせてしまう力強さが本書にはある。そう、本書の強みはなんと言っても第二部にあるのだ。
第二部「現在の状況」でロブが活写するのは、この四十年の出版業界の地殻変動である。かつては地域に根ざし、独自の品揃えと目利きで知られた書店が、いかにディロンズやウォーターストーンズなどの大型チェーン店の勢いに押され、衰退していったか。そのチェーン店もまた、いかにアマゾンの物流とアルゴリズム、デジタル書籍に翻弄されることになったか。そうした過程が、独立系書店の経営者だったロブの視点から生々しく描かれている。様変わりしたのは出版社も同様だ。国境を超えた統廃合やコングロマリット化が進み、独立系の多くが姿を消した。
しかし、ロブの眼差しは業界の変貌に留まらず、〈本の仕事〉を未来へつなごうとする人々の情熱と挑戦にも向けられている。新型コロナをきっかけに〈人と人の絆〉の大切さが再認識され、独立系書店・出版社は地域との連携や作家参加型イベントなど、新たな戦略を駆使して復活の兆しを見せている。ロブ自身、大型チェーン店との競争に敗れて茫然自失の日々を送ったというが、その後は書店経営の経験と人脈を活かし、出版社の営業職に転じた。本書の魅力の一つは、独立系セクターの再生の物語に、ロブ自身の再生の物語が影のように随伴しているところにあろう。
第三部「これからの形」の結びでは、「作家の権利」と「読者のさらなる開拓の可能性」という、二つの大きな課題が指摘される。AIが作家の許可なく新作を生成するおそれや、読書人口の減少と教育現場との連携の可能性など、いずれも現代的で切実な問題だ。
独立系に注目するロブだが、例えばスウィフト・プレスのように、他社が手を引いた問題作をあえて引き受け、気炎を吐く出版社への言及がないのは、やや物足りなく感じられるかもしれない。また本書には、多くの読者にとってあまり馴染みのない固有名詞が頻出し、いささか煩雑に感じられるかもしれない。だがためらわずに読み進めれば、単なる知識の集積を超えた、本書の議論の潜在的な広がりに気づくだろう。AIの出現によって、変化への対応力は出版業界に限らず、あらゆる業界の課題となっている。この力は、デジタル化や販促手法の刷新といった技術的工夫だけで得られるものではない。本書でロブが描くのは、単に売れ続けるための工夫ではなく、社会のなかで自身の仕事の意味を再構築してゆく力だ。仕事の環境や制度がいかに変わろうとも、最後に問われるのはこの力である。その力をどう獲得するのか――本書はこの問題に即答するマニュアル本では決してない。だが、変化のただなかに生きる私たちに、自身のありかたを見つめ直すきっかけを与えてくれるのは間違いないだろう。翻訳はこなれており、割注にも読者への配慮が窺える。(大槻敦子訳)(うえはら・さなえ=名古屋大学教授・イギリス文学・出版文化史)
★マイケル・ロブ=イギリス・エセックス州で約二十年にわたり独立系書店を経営。現在は出版社の営業に携わる傍ら、書籍を取り巻く問題についてイギリス各地で講演を行う。
書籍
| 書籍名 | 英国ブックセラーの歴史 |
| ISBN13 | 9784562075553 |
| ISBN10 | 4562075554 |
