2026/01/16号 6面

無機的な恋人たち

無機的な恋人たち 濱野 ちひろ著 堀川 夢  この世で人間として生き、振舞うのはたいへんだ。職業人としての振舞い、自立した大人としての振舞い、その場ごとに与えられる役割に応じた振舞い、それらのすべてに失敗せず応えていくのはとても疲れるし、そこにいるだけで許される存在になりたい、と思う。たとえば、人形とか。  濱野ちひろの『無機的な恋人たち』は、等身大の人形を愛する人々に話を聞いたルポルタージュだ。主にラブドールと関係を築いている人物が登場する。ドールに名前と人格と人生の物語を持たせ、彼女が人形だからこそ愛している人、生身の女性との関係に失敗し、自分の理想をいくらでも受け止めてくれる存在としてドールを愛する人、ドールたちを美しく粧わせることにフェティシズムを感じる人など、愛し方も様々だ。そんななか、本書に登場する女性(と便宜上書くが、性自認が明かされていない人物も登場するので「非シス男性」の方が正確だろう)たちとラブドールたちの関係に、私は惹かれた。すなわち、ラブドールたちを「友達」とするトランス女性のミア、ラブドールに変身し写真撮影をするサービス「人間ラブドール製造所」を運営する新レイヤとその客、そして、著者の濱野ちひろ本人だ。  ミアは四十代になってからトランジションを始めたサンフランシスコ在住の女性で、つらいことをたびたび経験してきた。複数のドールたちと暮らし、ワードローブも一部共有している。友人もなく一人きりでトランジションに挑むミアが、変身の過程やクィアネスを共有し、女性としての身だしなみや振舞いを磨くパートナーとして、ドールたちをとても重要な「友達」だと感じていることを、濱野は発見する。  新は、「人間ラブドール製造所」で客にラブドールという役を与え、「なにもできなくても大切にされて、愛されて。老いて価値がなくなったように感じさせられることもな」いドールとして扱うことで、その存在を丸ごと肯定しようと試みている。また、濱野の取材中に「人間ラブドール製造所」を訪れた機械修理の会社で働く女性は、たくさんの壊れた機械を相手にしているうち、自分自身のことも、雑に扱われる機械のように思うようになってしまった。そこで、「どうせもの扱いされるんだったら、雑に扱われるものじゃなくて、かわいがられるもの、大切にされるものになりたいと思って」、「製造所」を尋ねたという。  濱野は前作『聖なるズー』のとき同様、対象に必要以上に深く肩入れすることはなく、しかし自分の心の動きを隠すこともせず、取材を進める。あるドール・フェティシストの取材中、濱野はジャッキーというドールと数日間寝室をともにする。初めは戸惑いを感じていたが、見開かれていたジャッキーのまぶたを閉じてあげた瞬間、「働き詰めで疲れた娘と、その子に休むためのベッドを提供してあげた私」というストーリーが立ち上がり、彼女に対して「かわいそうに、休ませてあげたい」という同情を抱く。  大切にされる存在、慈しまれる存在として、ラブドールをまなざす女性たち。本書に登場する男性たちのドールへの相対し方とは、明らかに違う。  男性にとってラブドールは「異性」である。対して、(そのセクシュアリティにかかわらず)女性にとってドールは多かれ少なかれ自分と同じ形をしたものだ。自分と同じ形や近い形、あるいはなりたい形の存在に対して、欲望や恋愛感情だけでなく共感や同情を抱いたり、ケアされたい気持ちを仮託したりするのは、不自然なことではないように思う。  いつから私たちは、愛されるためにたくさんの条件をクリアしなければならなくなってしまったのだろう。等身大人形にかぎらず、物語を託すことのできる命なきものに慈しみや連帯の心を抱くことで、鏡のように自分への優しさを見つけることは可能であろう。そんなふうに接することのできるものがみんなにあればいいなと思う。私にも。(ほりかわ・ゆめ=編集者・ライター・翻訳者)  ★はまの・ちひろ=ノンフィクションライター。二〇二四年、京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程単位取得退学。著書『聖なるズー』で二〇一九年に開高健ノンフィクション賞受賞。一九七七年生。

書籍

書籍名 無機的な恋人たち
ISBN13 9784065219454
ISBN10 4065219450