2025/04/11号 6面

映像アーカイブ・スタディーズ

映像アーカイブ・スタディーズ ミツヨ・ワダ・マルシアーノ編 西田 善行  映像をアーカイブするという行為は、単なる記録保存以上の意味を持つ。それは記憶を未来に残すと同時に、文脈や社会的関係性から映像を切り離し、新たな政治的・文化的意味を生成する営みでもある。『映像アーカイブ・スタディーズ』は、この複雑な問題に対し、多様な視座から包括的に検討を試みた論集である。  本書の特徴は、映像アーカイブを単に映画コンテンツの収集として捉えるのではなく、「もの」としてのフィルム自体や、上映に伴う紙資料などの周辺資料も含めて重要視している点にある。例えば、可燃性フィルムはその保存にリスクを伴い、そうであるがゆえにこれまで火災により多くのフィルムが消失しているが、単純にデジタル化すれば解決するわけではない。むしろ製作当時の映像の物質性や、上映時の観客体験などのコンテクストを理解するためには、実際の「もの」自体が欠かせない。本書にはこうした視点が一貫している。  また本書は、日本国内の映像アーカイブの脆弱な現状を指摘しつつ、それを世界各地の多様な事例と対比的に示している。映像アーカイブというと、フランスのシネマテークや米国議会図書館のような著名な施設がしばしばイメージされがちだが、本書第Ⅱ部ではこれらとは異なる文脈に置かれたパキスタン、中国、旧ソ連、アフリカ諸国など、非欧米地域の現状を積極的に取り上げている。経済的、気候的要因や政治状況により、各地域で映像アーカイブがどのような課題に直面しているかを具体的に示している点は極めて有益である。  さらに本書を特徴づけているのは、映画以外のメディア、すなわちテレビ、アニメ、インターネットなどの映像アーカイブに関しても具体的な検討を加えていることである。第Ⅳ部では、こうした映画以外の映像メディアが直面する保存や管理の課題、そしてそれらのアーカイブ化が持つ意義や可能性を掘り下げている。映像がデジタル化される現代における、テレビ番組やアニメ作品が抱えるアーカイブ特有の問題、インターネットという膨大で流動的な映像空間における「記録」の困難さなどを浮かび上がらせている。  第Ⅴ部で取り上げられるのは、従来の映画アーカイブから周辺化された映像や対象である。例えば、移住を余儀なくされた「非市民」の映像記録、ホームムービーのような個人的・家族的記録、性的に「猥褻」な場面が納められたブルーフィルムなど、社会的に周辺化されたジャンル・対象が具体的に検討されている。特に第20章の「非市民」のアーカイブ映像から浮かび上がる戦後日本から北朝鮮へと押し出された「帰国者」の姿や、第21章でのホームムービー上映会によって類似体験を持つ人々が記憶を共有する様子は、アーカイブが持つ記録以上の社会的意義を示している。  映像の「物質性」に関して印象深いのは、第11章のエピソードである。フィルム乳剤製造のために工場近隣でアルゼンチン産の牛を飼育していたという逸話は、映像アーカイブが単なる視覚コンテンツではなく、具体的な物質的・生態的関係に支えられていることを鮮明に示す。第18章のアニメにおける「中間素材」、つまり原画やセル画などが制作現場で廃棄されがちな現状に対して、制作プロセスや歴史的背景を知るためにそれらが保存されるべきだという議論も重要である。  編者が序章で述べている、戦前の日本映画がほとんど現存していないという衝撃的な現実と、それに対する諦念が評者に身につまされる思いを引き起こすように、アーカイブの課題は単に専門的関心事に留まらず、広く社会全体に向けられるべき問題であることを本書は訴えている。  もちろん、本書で語られなかった課題や対象が存在することも事実である。しかし、それを不足として捉えるよりもむしろ、これらをさらに深掘りすることを読者自身に促していると評価する方が適切であろう。本書そのものが、映像アーカイブの現状をめぐる「記録」としての意義を持つと同時に、未踏の領域を示す地図の役割も果たしているからだ。  映像の保存と記憶、公開をめぐる議論を深化させるためにも、本書は重要な書となるだろう。(にしだ・よしゆき=流通経済大学准教授・メディア社会学)  ★ミツヨ・ワダ・マルシアーノ=京都大学文学研究科教授・映画・メディア研究。著書に『ニッポン・モダン 日本映画 1920・30年代』『デジタル時代の日本映画 新しい映画のために』、編著に『〈ポスト3・11〉メディア言説再考』など。

書籍

書籍名 映像アーカイブ・スタディーズ
ISBN13 9784588420221
ISBN10 4588420224