2026/01/16号 8面

百人一瞬 Crossover Moments In mylife 94・中島隆博(小林康夫)

百人一瞬 小林康夫 第94回 中島隆博(一九六四―   )  本連載もいよいよ最終コーナーを回るところまで来た。そうなると、やはり「一瞬の交差」ではすまない、わが道行きに付き添い同行してくれた人たちの一人くらいは呼び出しておきたい。となると中島さんを呼び出すしかない。なにしろ、わたしへのインタビュー対談の記録(EAA Book― let-13、東京大学東アジア藝文書院)の「あとがき」の冒頭、中島さんは「家族を除いて、もっとも長い時間をこれまで一緒に過ごした人は誰かと問われれば、間違いなく小林康夫さんだと思います」と断言しているのだから。  だが、すぐに言っておくが、この「一緒に」とは、なによりも「ともに旅する」こと。しかも、つねに――多くの場合は外国語で――学術的な発表を行うために海外へと旅することだった。すなわち、わたしが拠点リーダーだったUTCP(共生のための国際哲学研究センター)の「同志」として――多くの場合、若い研究者たちも連れて――パリ、ニューヨーク、北京、上海、台北、ソウル、オックスフォード、ベルリンなどは言うまでもなく、ブエノス=アイレス、バリローチェ、エルサレム、ホノルル、オハイオ、コーク、ミラノ、ソフィア……と旅をし続けた。  そう、知は旅する。わたしにとってその変わらぬ同行者が中島さんだった。  だから語るべき無数の「瞬間」があるが、ひとつ選ぶとなると、やはり二〇一二年三月、二人だけで行った雪の飯舘村になるかな? 東日本大震災の一年後、わたしはフランクフルト大学で開かれたComparing Fukushima and Chernobyle?という国際シンポジウムで「フクシマの倫理的次元」について話すようにと要請された。受けないわけにはいかない。だが、フクシマに行きもせずにその「倫理的次元」について語るのは倫理的ではない。行くしかないと、福島に縁のある同志・中島さんに頼んで、彼の運転で全村避難の現場であった飯舘村に行ってみた。雪に包まれた無人の美しい光景。だが、ポケットのガイガーカウンターはピッピッと音を立て続ける。あまりに静かなこの災厄の現場にわたしは打ちのめされる。そして、突然、サイレンを鳴らして一台のパトカーが現れ、警戒中の無人地帯に入り込んだ不審者であるわれわれは職務質問されたのだった。  このとき撮った映像を数分ほどのクリップにして、フランクフルト講演の冒頭に投影してもらった。そして、「~~しろ」「~~するな」という「倫理」のはるか手前で、「それでも世界を惜しむ」という「態度」を提起したのだった(拙著『存在のカタストロフィー』〈未來社〉参照)。  さらに、もうひとつ、われわれの「同行二人」の現場が回帰してくる。わたしが東大を退職した二〇一五年の夏、中島さんに誘われて、高野山に行ってアメリカ人の学生たち相手に空海について英語で講義をした。わたしの人生にとっての秘密の転換点となったその「瞬間」、それが出発点となって、数年後、われわれ二人は日本文化を世界へ解き放つクロスオーヴァーの共著『日本を解き放つ』(東京大学出版会)を出版した。そこでは、明らかにフランス系であるわたしが空海―世阿弥―漱石―武満を通して日本文化の「曼荼羅」を論じているのだ……大学の同僚はたくさんいる。だが、知の「同行二人」の対話が一冊の本を生み出すという奇跡は滅多に起こらない。中島さんと一冊の本をつくることを通じて、一冊一瞬、わたしは、日本文化の歴史を――まるでヘリコプターに乗ってかな?――旅することができたのだった。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)