作家の黒歴史
宮内 悠介著
渡邉 大輔
書名にある「黒歴史」とは、(本紙読者には説明の必要はないとも思うが)現在では「恥ずかしさのあまりなかったことにしたい過去」といった意味で広く用いられるスラングである。もともとは人気アニメ『∀ガンダム』の用語が由来らしい。「厨二病」などと称される思春期や青春期の失敗談を典型として、人間、ある程度長く生きていれば、黒歴史の二つや三つは心当たりのあるもの。また、黒歴史は当人が表に出したくないからこその黒歴史なのであって、赤の他人が見て、多くの場合はそう面白いものでもない。
ただし、例外もあるだろう。特に、それがジャンルを縦横に跨いで数々の巧緻な傑作を発表し続ける当代随一の物語作家の黒歴史であるならば。
SF、ミステリから純文学まで幅広く活躍する気鋭の小説家の初エッセイ集である本書は、作家デビュー前に認められた日記や詩、散文の数々を自ら掘り起こし、それら黒歴史に現在の著者がコメントを加えていく異色の自叙伝である。本書で日の目を見るのは、主に二〇〇一年から〇九年、二二歳から、ちょうどデビュー前年の三〇歳までの文章群。イラク戦争絡みのネトウヨ言説に対する「活動家」風煽動文、ガザ侵攻をめぐる海外のコメントの翻訳、備忘録のような断章、内省的な詩……。著者は内容に応じて、それらを「モノ申す系」「直感系」「夢日記」などと分類する。ただ、いずれも「読者数も一桁くらい」の「他者に読まれることをあまり想定せず、一人虚空に向けて吼えているような」「雑文」の類。それゆえに、現在の著者ですら「何を言っているのかさっぱりわからない」「ソウルフル」な文章がほとんどだ。著者は、すっかり「他者」になった、それらを書いた四半世紀近く前の自分の言葉に、時に含羞を交え、時に淡々として解読や註釈を添えていく。とにかく、「なるべく、本当に見せたくない隠しておきたいやつを選ぶようにした」という著者の選定は容赦ない。最後には、追加で一六歳の頃に書いた館ミステリの間取り図(!)まで(実物の写真つきで)惜しげもなく白日の下に晒される。
この奇特なエッセイ集の楽しみ方は、読者によってさまざまだろう。評者もその一人である宮内ファンならば、デビュー前の日記に書いた何気ない日常や夢のエピソードの断片が、後の作品群のディテールに密かに活用されている痕跡を、作家自らが明かしていく箇所などは、貴重な創作の裏側を垣間見るようで楽しい。その具体例でもある掌編「暗流」が巻末に収録されているせいでもあろうが、本書自体が、次第に著者の小説のようにも読めてくるから不思議だ。
また、当然ながら本書の日記はすべてウェブ上に記されたものである。自作のホームページからブログ、そしてmixiといった、今では懐かしいSNS台頭以前の、ゼロ年代のツールだ。それらに記された当時の文章は現在読むと、驚くほど分量も多く、今ならすぐに炎上しそうな際どい主張も目立つ。著者自身も、「なぜ当時、皆がせっせと長文の日記を書いていたのか、さらに言うなら、素人の書いたそれらを皆がなぜ時間をかけて読むことができたのか、いまとなってはかなり大きな謎である」と記すように、脊髄反射的な短文投稿とショート動画、そしてSNSでの炎上が全盛となった今日では、もはや隔世の感がある。この、今では失われた近過去の情報環境やそこで流通していた慣習を、メディア論的な見地から振り返る上でも本書は興味深い。
最後にごく個人的な感慨を挟もう。評者は著者とは三歳違いで、デビュー時期も世代的な嗜好も、おそらく二〇代の生活圏も重なるところが多い。本書でも名前の上がる東浩紀氏との初対面の際、勢いで自作イラストのポストカードを手渡したり、別の打ち上げの席では、気負いから大声で議論して編集者を辟易させたり、こと二〇代の黒歴史にかけては、著者に劣らず、封印したい赤面話には事欠かない。そのため本書は終始、共感性羞恥が寄せては返す、何とも稀有な読書体験だった。
「今日は明日の黒歴史」。本書末尾の著者の一言がひときわ胸に沁みる読者は、おそらく評者だけではあるまい。(わたなべ・だいすけ=跡見学園女子大学文学部准教授・日本映画史・映像文化論・メディア論)
★みやうち・ゆうすけ=作家。著書に『盤上の夜』『ヨハネスブルグの天使たち』『彼女がエスパーだったころ』『カブールの園』『あとは野となれ大和撫子』『遠い他国でひょんと死ぬるや』『ラウリ・クースクを探して』『国歌を作った男』『暗号の子』など。一九七九年生。
書籍
書籍名 | 作家の黒歴史 |
ISBN13 | 9784065388549 |
ISBN10 | 4065388546 |