ベネズエラを知るための60章
石橋 純編著
伊高 浩昭
この出版社の「何々を知るための何章」シリーズの新刊(228点目)。民間企業駐在員としてベネズエラに約10年滞在した後、研究者、次いで大学教授に転身した異色の経歴を持つ編著者ならではの多角・多面的で複眼的な視座から選ばれた様々なテーマが7節60章12コラムにまとめられている。執筆陣はベネズエラ人ら外国系6人を含む23人と、写真家1人。地勢など基礎的事項、歴史、政治、石油ついての第1~4章は通して読むべきだろうが、暮らし、飲食、芸術などを紹介する第5~7章は、好みに応じて読める。
15世紀末にスペイン人が侵入したころ、ベネズエラと命名されることになる地域には原油が地上に染み出していて、それを先住民は「悪魔の糞」と呼んでいた。20世紀20年代までに産油国になっていたベネズエラは、百年後の現在まで原油に栄枯盛衰を左右されてきた。2026年8月、世界一を誇る埋蔵量の22%近い650億バレルの原油採掘の裁量を米政府に事実上委ねる超大型事業契約を貪欲なトランプ政権に呑まされた。正に「悪魔」に呪われているようだ。
編著者は、「ベネズエラは世界有数の産油国」という人口に膾炙されている印象を「石油、コーヒー、カカオの国」と読者がせめて捉え直す契機になればと敢えて願い編集した。全編を読破した読者の眼前には、この国の多様な新しい像が確かに開けるだろう。
現代政治史で最も重要な出来事の一つに、1959年2月~99年2月の40年間続いた2大政党体制を定めた58年の「プント・フィホ協定」がある。同体制3代目のラファエル・カルデラ大統領(任期69~74年)の私邸で合意されたため、その邸宅名が協定名になった。プント・フィホは、この国カリブ海岸の保養地だが、その名を被せた邸宅は首都カラカスの高級住宅街の一つのブロック全部を占める広大で豪壮な住居だった。評者はベネズエラに何度も赴き取材してきたが、最初の体験がカルデラの豪邸訪問だったのだ。
通信社の通信員・特派員としてメキシコ市に駐在していた評者は70年代前半、カルデラ政権に招かれベネズエラに赴き、大統領の私邸でカルデラに会見し、その翌日はミラフローレス宮(大統領政庁)での地元同業者と一緒の記者会見に臨んだ。2日に亘って大統領から「石油の富を上手に配分しながら中産層を厚くする政治」の重要性を説かれたものだ。本書は2党体制の変遷を詳細に描く。奇しくも同体制最後の大統領は、2期目のカルデラだった。この件を綴る数章を読めば、なぜ陸軍退役中佐ウーゴ・チャベスが世紀末に政権に就くことができたかが納得できるだろう。
ラテンアメリカ(ラ米)21世紀初頭の最重要人物はチャベス(任期99~2013)だが、2代目大統領ニコラース・マドゥーロ(13~26年1月)、3代目デルシー・ロドリゲス大統領代行(26年1月~現在、米政権支配下)と続いており、チャベスの評価はまだ定まっていない。だがチャベスが「石油の富の上手な配分」をせず、巨額の浪費、腐敗、債務を膨らませ、健全な国造りに失敗したのは否めない。
本書には「チャベス外交最大の成果は05年、米政権の米州自由貿易地域(ALCA、英語でFTAA)創設を阻止したこと」という趣旨の評価が出ている。だが評者はチャベス最大の業績は、米州35ヵ国から米加北米両国を除いた33ヵ国の「ラ米・カリブ諸国共同体」(CELAC)を11年に実現したことだと思う。アンデス北部諸国独立の英雄シモン・ボリーバルやキューバの賢者ホセ・マルティのラ米・カリブ統合の理想に形を与えたのだ。CELACの記述がないのが惜しまれる。また「マスメディア」の章に、チャベスが「ラ米のアルジャジーラ」を目指して創設したテレビ放送「テレスール」の記述がないのは不可解だ。この国営放送は依然、頑張っている。
音楽の章では、世界的に知られる「アルマ・ジャネーラ」(草原の魂)についての逸話などを紹介してほしかった。有名な管弦楽団エル・システマの運動には「音楽は基本的人権」という重要な考え方があるという。素晴らしい見解だ。注文の多い紹介文になったが、もう一言。この種の小型辞典のような書籍には索引がぜひとも欲しい。(いだか・ひろあき=ジャーナリスト)
★いしばし・じゅん=東京大学教授・文化人類学。東京外国語大学スペイン語学科卒業。著書に『太鼓歌に耳をかせ』など。
書籍
| 書籍名 | ベネズエラを知るための60章 |
| ISBN13 | 9784750361277 |
| ISBN10 | 4750361275 |
