歴史をひらいた女たち
江刺 昭子著
元橋 利恵
本書に登場する女性たちは、いずれもあまり詳しいことは知られておらず、多くの人にとっては初めて名前を知るような、日本近現代史の様々なシーンで革命的なたたかいに身を投じた人々である。ノンフィクションライターで女性史研究者である著者の、長年に渡る取材や、時には取り上げられた女性本人へのインタビュー、資料に基づいた迫力ある筆致を通して、読者は彼女たちと出会うこととなる。
第Ⅰ部の「弾圧されても信じる道をいく」では、1900年代初頭、大逆事件をさかいに社会主義者への弾圧が強まっていった時代の女性たちが登場する。女性は政党にすら入れず、政治活動も禁止されていた時代である。取り上げられた中で最も有名であるのは、雑誌『青鞜』や母性保護論争で知られる山川菊栄ではないだろうか。しかしその山川も、硬派な理論の印象が強く、生い立ちや人となりについては語られにくい。ほかにも、当時の社会党の婦人部であった「赤瀾会」の九津見房子や福田英子、石川雪、仲宗根源和の妻貞代らの生き様が描かれる。また、この時代の女性運動として殆ど知られていない八日会(3月8日に国際女性デーをはじめて催した)など、血の通った人々による様々な政治活動が、治安維持法による弾圧や検閲のなかで存在していたことに息を呑む。当時を生き延びた女性たちの晩年の取材によって語られる姿に感嘆する。
第Ⅱ部の「原爆被害を告発し、記録する」では、広島で被爆した詩人の栗原貞子、長崎で被爆した作家の林京子、語り部の関千枝子と古家美智子、ICANの国際的な活動で知られるサーロー節子、広島市女原爆慰霊碑の建立に関わった人々、そして、原爆作家の大田洋子が取り上げられている。戦後の占領下以降、原子力の「平和利用」が国策として進められていくなか、当事者ですら原爆の被害を正面から語ることには多くの意味で困難が伴った。特に、著者と関わりが深かった大田洋子については、原爆が投下された後、最もはやく被爆の実相が綴られた作品である『屍の街』の検閲をめぐって、4回のシリーズで描かれている。被爆者のその後の困窮にも注目し発信した大田は、作品のなかで「人間の眼と作家の眼とふたつの眼」でその凄惨な光景をみると表現した。それは、見てしまった者、知ってしまった者の責任を引き受けた彼女の覚悟があらわれたフレーズとして、本著で幾度も紹介されている。著者の言う通り、「権力者に忖度して自主規制が広がり、言いたいことが言えない空気が蔓延している今」、大田の引き受けた人間としての責任を自分自身はどう果たしているのか考えざるを得ない。
第Ⅲ部では時代は下り、60年安保と樺美智子が取り上げられる。著者は、樺を、60年安保の闘争と騒乱のなかで命を落とした女子大生というセンセーショナルな記憶とは異なる、また真面目な女子学生であるにも関わらず闘争に巻き込まれた少女という事件後からねつ造されたイメージとも異なる、明確な政治的意志をもち政治闘争に身を投じた22歳の大人として描く。
最後に第Ⅳ部では、重信房子とその親友の遠山美枝子が取り上げられる。遠山美枝子は1972年に連合赤軍が築いた山岳ベース事件で命を落とした。重信房子は著名ではあるが、そもそも60年安保やその後の過激化した学生運動をめぐる事件そのものが、現代では正面から向き合うことがタブー視されているといえよう。本書では、信念のもと生きることを選択し、組織内の女性蔑視に異議を申し立て、その意味で共鳴しあい思いやり合ったふたりの女性を通して、当時の学生運動がなぜ道を外れてしまったのか、外部化せずに考え続けることを私たちに促す。活動そのものには賛同しかねようとも、その抗い続けた生きざまには心を打たれる。
現代も変わらず、公権力とたたかう者たちに社会も政府も冷淡である。信念をもち、社会を批判し、人とは違う道を歩く。行動し、表明し、書き残すことで公権力と対峙する。近現代史の歴史上の女性たちの、記憶から消され、語られないたたかいに寄り添い知らしめる本書は、私たちのなかに埋もれる自身の「魂を形成する権利」(山川菊枝の言葉より)の意識に灯をつけるだろう。(もとはし・りえ=津田塾大学国際関係学科専任講師・社会学・ジェンダー)
★えさし・あきこ=女性史研究家・ノンフィクションライター。著書に『樺美智子、安保闘争に斃れた東大生』など。一九四二年生。
書籍
書籍名 | 歴史をひらいた女たち |
ISBN13 | 9784755403569 |
ISBN10 | 4755403561 |