わたしたちのケアメディア
引地 達也著
金山 智子
連日のように伝えられる殺傷事件のニュース。犯罪事件は、ことの経緯とともに加害者の人物像を伴った報道がなされる。そして、多くの場合、加害者の精神疾患の有無が伝えられる。日本のメディアで精神障害が取り上げられるのは、犯罪関連のニュースがほとんどであり、これが精神障害に対するネガティブなイメージの構築に大きく影響していると考えられる。本書では、この問題を中心テーマとし、社会的弱者である障害者、その中で最も外から見えにくく、また社会的に精神障害の烙印を押されている精神障害者を伝える場合のメディアの在り方を検討している。
精神障害者に関する偏向報道やステレオタイプ像は、これまでメディア研究で度々指摘されてきた。本書でも日本のメディアにおいて、どのように精神障害や精神疾患が扱われてきたかについて歴史的、制度的、表象的な分析を行なっている。さらに本書は批判だけでなく、新たなメディアのあり方としての「ケアメディア」を提示することを目的としている。私たちが日常で使う「ケア」という言葉は、配慮や気遣い、世話、あるいは福祉や医療のケアと複数の意味がある。著者は哲学者ミルトン・メイヤロフの「一人の人が成長すること、その自己実現を助けること」という言葉をケアの基本とし、ケアの概念を中心に据えたメディアのあり方を「ケアメディア」という新たな語で提示する。
「ケア」は正義とは別の倫理観として米国から広まった。日本では1980年代に普及し、福祉や医療、社会学や教育などの多様な分野で重視される概念となった。他方、メディアにおいてケアが注目されるには2000年代まで待たなければならなかった。メディア報道では、ケアの倫理が重要だと指摘されてきたが、科学的手法にもとづく客観性や中立性を重んじるジャーナリズムの営みの中では、ケアという主観的な価値観が理解されても、これを実践することは難しい状況が続いていたのである。
では、この客観性と主観性に対して著者はどのように考えているのだろうか。本書では、その答えとして「科学」と「愛」の融合を柱に据えて、これまでの状況理解とこれからあるべきジャーナリズムの姿勢を考察している。これこそが、最大の新規性であろう。著者がこのテーマに関心をもつきっかけは、東日本大震災で自身がボランティア活動にかかわったことであった。被災地でのボランティア活動やそれ以降の支援活動から、「言葉は行動と結びつき、積み重ねられた行動は社会において普遍的な価値としてみとめられ、それが未来への希望のガイドラインになる」と考えたと述べている。著者自身の信仰について本書では分からないが、震災ボランティアで出会った多くのキリスト教信者の姿は著者の考えに大いに影響を与えた。
本書では、「科学」と「愛」を融合している二人を研究の導線として紹介している。一人は、古生物学者・地質学者でありカトリック司祭であるピエール・テイヤール・ド・シャルダン、もう一人は土壌学を学び、教師、農業指導者や技師であり、強い法華信仰をもっていた宮沢賢治である。「エビデンスから導かれたケアを大切にする社会に向けたコミュニケーション形態を考え出すことは、新しいメディア環境の中で必須であるという考えにたどり着いた」という著者の背後には、自然科学の研究や教授を通じて人の心を語る姿勢を世に示したシャルダンと賢治の存在をみることができる。
ケアメディアを社会に実装するためには、障害者の生涯学習における新しいメディアリテラシー教育の導入、ケアメディアを推進するジャーナリストのプロセスモデルが必要であるなどの具体的な提案を行なっているが、これらを現実社会で実現していくのは容易ではない。本書はメディアを通じたコミュニケーションというツールを用いて、一人ひとりの自己実現を助けるというケアの具体的な形を示している。著者が自らのジャーナリズムにかかわる現在形の活動を「ケアメディア」として体現する中で、理論と実践を結びつけて考察した貴重な試みとして意義があるといえよう。(かなやま・ともこ=情報科学芸術大学院大学教授・メディア・コミュニケーション論)
★ひきち・たつや=フェリス女学院大学准教授・みんなの大学校学長・新聞学。著書に『ケアメディア論』など。一九七一年生。
書籍
| 書籍名 | わたしたちのケアメディア |
| ISBN13 | 9784794980137 |
| ISBN10 | 4794980132 |
