2026/07/31号 2面

リカバリー・カバヒコ

光文社文庫
光文社の文庫 リカバリー・カバヒコ 青山 美智子著 青山 美智子  カバヒコは、何もしない。  一言もしゃべらないし、一ミリも動かない。だから的確なアドバイスをくれたり、涙を拭いてくれたり、踊って楽しませてくれたりしない。  なのに、なぜだろう。登場人物たちは皆、カバヒコに悩みを打ち明ける。そうすることで、彼らは心を修復していく。カバヒコはただ、そこにいるだけなのに。  「小説宝石」での連載小説の依頼を受け、編集者と打ち合わせをしたのは二〇二一年五月のことだ。まだコロナ禍で、指定されたホテルのラウンジにもアクリル板があった。透明な板を挟み、私たちは、どんな小説にしようかと案を出し合っていた。  あらかじめ用意していたいくつかのアイディアの中に、「とげぬき地蔵のような話」があった。自分の体の痛む部分と同じ箇所を洗うと治癒するという、巣鴨の地蔵尊である。私はずっと、この効力について書きたかった。  アクリル板越しに編集者と向かい合い、私は、この板が早く外れてほしいと思った。世界がこの非常事態から回復することを心から願っていた。  そんな話をしながら、あっというまにプロットが仕上がった。自分の治したいところと同じ部分をさわるとリカバリーするという伝説を持つ、公園のカバのアニマルライド。人呼んで「リカバリー・カバヒコ」。  神社の鈴の縄さえも上げられ、握手もできない時期だった。「さわる」という効果の素晴らしさを書き留めたかった。カバとリカバリーを掛けたのはとっさのダジャレであったが、タイトルはこれしかないという確信もあった。  単行本発売後、光文社さんがわざわざ工場に発注して、実物のアニマルライドのカバヒコを作ってくれた。リアル・カバヒコは書店を巡業し、イベントに登場し、確実に私よりもたくさんのプロモーションをこなして大活躍してくれている。  むろん、カバヒコは、何もしない。  一言もしゃべらないし、一ミリも動かない。だから宣伝トークをしたり、手を振って愛想をふりまいたり、本にサインを書いたりしない。  なのに、なぜだろう。作者の私がびっくりしてしまうくらいに、カバヒコは多くの人にかわいがられている。カバヒコはただ、そこにいるだけなのに。  ただ、そこにいる。それがカバヒコが愛される理由なのかもしれないとも思う。この不確かな社会の中で、「変わらず、必ず、そこにいてくれる」という事実は、どっしりした安心感を与えてくれるのではないか。  世界はリカバリーした。人々は集えるようになり、触れ合えるようになり、海を渡って行き来することもできるようになった。この作品に込めた願いが叶ったことで、カバヒコには本当に「ご利益」があるんじゃないかという気がしている。  本作が文庫化されたとき、光文社さんが拡材としてカバヒコのアクリルスタンド兼キーホルダーを作ってくれた。私はそれを見て、ふと思った。もしかしたらこれは、あのときのアクリル板の、喜ばしいリカバリーの姿なのではないか、と。(あおやま・みちこ=作家) 新刊・近刊ピックアップ 法中毒学者 家達ルイ 髙津 ナジミ著  noteとTALESによる日本最大級の創作コンテスト「創作大賞」。そこで2025年、史上初のダブル受賞を果たした髙津ナジミさんのデビュー作『法中毒学者 家達ルイ』が、7月に刊行されました。  物語の発端は、人気料理家の女性の突然死。死因は心筋梗塞で事件性は低いものの、捜査一課と民間の研究機関セルが調査をすることに。セルには家達ルイ(いえだてるい)という風変わりな法中毒学者がおり、捜査一課の九条は彼女に振り回されながらも捜査を進めていきます。  身近にある「毒」を用いた事件を、エリート刑事・九条と、型破りな法中毒学者・ルイが解決していくミステリー。二人の丁々発止のやりとりや、彼らを取り巻く個性豊かなキャラクターたちが大きな魅力です。事件のトリックも、フグ毒など古来のものから、データポイズニングという新しい「毒」まで、様々な展開に引きこまれます。ミステリーとしても人間ドラマとしても楽しめる作品です。(既刊・990円・光文社)

書籍

書籍名 リカバリー・カバヒコ
ISBN13 9784334109905
ISBN10 433410990X