2026/01/23号 5面

「トーキー以降の映画作家たち」(ジャン・ドゥーシェ氏に聞く)422(聞き手=久保宏樹)

ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 422 トーキー以降の映画作家たち  JD ルビッチの映画には初めから、視覚的な面白さよりも、いかにして状況を作り出し繰り広げていくかという〝賭け〟がありました。それゆえにキートンが、世間がトーキーに移行していこうとする際に何もすることができなくなったのとは対照的に、トーキー以降、より生き生きとした映画を作ることができたのです。チャップリンがキートンと異なり、長い沈黙の後、トーキー映画を作ることができたのも、ルビッチと同じく空間的な喜劇以外の要素があったからです。  HK ルビッチ以外の映画作家で、トーキーへと移行するなかで、重要な役割を果たした映画作家は他に誰がいたのでしょうか?  JD 多くの映画作家がトーキーに困難を覚えていました。トーキーになって映画に活力を得た映画作家もいました。すでに例に挙げたヒッチコックは、その良い例です。無声の時代のヒッチコックの映画は、言うなれば、多くのことを詰め込み過ぎていました。言葉が多過ぎたり、複数のことを同時に見せようとしていたり――後のヒッチコックの映画に繫がるがるものがありますが――無声映画の強みを活かすことができていなかった。それよりも、無声映画がヒッチコックを十分に活かすことができていなかったと言った方がいいでしょう。しかしトーキーになって以降のヒッチコックは、自由に映画作りを行うことができた。彼は、映像、カメラ、録音機械、音、言葉、さらには時間という、映画を構成する要素そのものに関して思考を巡らせていきます。カメラは覗き穴です。ファインダーというレンズを通じて世界を覗くことになります。それが『裏窓』のような作品となっていくのです。撮影フィルム一本の長さは一五分です。『ロープ』は数巻のフィルムだけによって構成されます。映画は音を録音する機械によっても成り立っていますから、音が重要な役割を果たす作品も多々あります。ヒッチコックの映画はそうした映画の技術的進歩とともにあり続けました。それらはヒッチコックの作品の一部ですが、あまり考えられることのない重要な一面を表している。  HK ゴダールのように「映画とは何か」を考えていたということでしょうか。つまり映画を機械的に考え可能性を探っていた。  JD はい。しかし、ゴダールの場合は公然と行なっていますが、ヒッチコックの場合はひっそりと無意識的に行なわれているのです。彼は「サスペンス映画の巨匠」として、観客を惹きつけ楽しませるための新たな表現を探し続けていました。それは、物語叙述法に関わるものでもありますし、役者の演技指導や視覚的・音響的なものにも関わってきます。つまり映画に関わるあらゆる要素が、彼の関心の先にありました。だから新しいカメラや録音機材が登場すれば、それを利用して、いかに新たな表現を作るか考えることができたのです。それは、ゴダールのようにして意識的に行われていたことではありませんが、ヒッチコックの映画を支えている大事な要素です。  HK 映画全体を考え続けていたから、「作家主義」の面でも重要な役割を果たしていたのですね。  JD その通り。ヒッチコックの行なっていたことが、まさしく「映画の演出」だったのです。役者の演技指導を行うだけでも、凝った編集を行うだけでも、美しい映像を撮影するだけでもなく、映画に関わるあらゆることが考えられている。「映画の演出」を考える上で、ヒッチコックの映画はとても良い例です。ハワード・ホークスも同様です。彼の映画も、「映画の演出」でしかないものによって考えられていました。演劇や小説では表現できないものです。  HK ホークスもトーキーへの移行当初から良い作品を作っています。  JD ホークスもヒッチコックと同じく、トーキー移行時に頭角を表した映画作家です。彼の場合も、ヒッチコックと同じく、無声の時代も悪くない。しかしトーキー以降の映画の方が生き生きとしています。     〈次号へつづく〉 (聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテークブルゴーニュ)