読書人を全部読む!
山本貴光
第49回 「日本読書新聞」のはじまり
この連載にとりくみながら、書評の歴史についても少しずつ調べたり読んだりしている。日本の書評紙については経緯がいささか込み入っていて、概要を記した文章をいくつか読んではみたものの、なかなか腑に落ちずにいた。というのは、歴史の教科書を読むときにも感じる隔靴搔痒の感じと言おうか、もう少し詳しく、なぜそのようにまとめられるのかを知りたいとつい思うのだった。歴史の場合なら、そこから研究書や史料を覗きにいくわけだが、日本の書評紙については、編集に携わった人たちが書いたものを集め読んだりしているところ。
そうして出合った本の一つに宮守正雄『昭和激動期の出版編集者――それぞれの航路を見つめて』(中央大学出版部、2005)がある。著者は1949年に「日本読書新聞」編集部に入り、翌年「圖書新聞」に移って1970年まで書評紙の編集を手がけた人で、同書には「戦中から戦後の書評新聞編集者」をはじめ、書評新聞各紙の誕生の経緯などに触れた文章が収められている。一度にまとめて触れるわけにもいかないが、同書の記述を頼りにして少し当たりをつけておきたい。
まず「日本読書新聞」について。「発刊は1937(昭和12)年3月5日。東京出版協会加盟の有力出版社が、前年、『東京朝日』『東京日日』『大阪朝日』『大阪毎日』の各紙がいっせいに広告料の値上げを行ったことに対して〝広告出稿〟を拒否、そして出版界自らが有力な宣伝・広告媒体を作るべきだ、との意向を協会の首脳に伝えた。協会はそれまで出していた『新刊月報』を廃刊、新構想のもとに『読書』を発刊した(発行元は〈株〉日本読書新聞社)」(同書14―15ページ)。文中の「読書」とは「日本読書新聞」を略記したものだ。
発行の経緯が面白い。広告料を巡って、新聞各社と東京出版協会のあいだで生じた利害の不一致がきっかけというわけだ。東京出版協会とは出版業者の団体で、これについてはまた別の機会に触れることにして、ここでは「日本読書新聞」について別の資料で補足してみる。
『出版年鑑 昭和13年版』(東京書籍商組合、1938)の「出版界一年史」コーナーの「昭和十二年一月」に「日本讀書新聞社創立總會」という項目がある。それによれば「出版物の宣傳について専門の機關新聞を必要とする要望が數年來業界各方面から要望せられてゐた關係上東京出版協會に於ては昨春(十一年)來委員を設けて研究に研究を重ねたる結果同會を母體として株式會社日本讀書新聞社設立の計劃が同年末に至つて具體化し」(19ページ)とのことで、広告料値上げの件については触れていないものの、出版業者の側で自前の宣伝手段として新聞をつくるのだという意向が示されている。
同じコーナーの3月には「日本讀書新聞の創刊」の項目がある。「多年必要が稱へられ生れ出づべくして生れなかつた宣傳機關紙は業界有力者を株主として今春日本讀書新聞社が設立され、その創刊號は三月五日付を以て發行された」とのこと。
実際にはどのようなものだったかは、それこそ創刊当時の紙面を確認しないと分からないものの、「日本読書新聞」が出版業者の「宣伝機関紙」として出発したらしいという経緯が確認できた。その後の変遷について、もう少し眺めてみたい。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)
