七三一部隊「少年隊」の真実
エィミ・ツジモト著
加藤 哲郎
戦後80年ともなると、第二次世界大戦の従軍経験者はほとんどいなくなる。こどもだった人々の空襲・疎開体験、それに戦後の引揚や食糧難が原爆の記憶と共に継承される。ほとんどが被害体験である。
本書がとりあげる731部隊=関東軍防疫給水部は、「マルタ」とよばれた中国人・ロシア人・モンゴル人・朝鮮人の人体実験を行い、中国大陸で細菌戦を実行した加害部隊である。その少年隊に、14―18歳の全4期数百名のこどもたちが動員されていた。最高指導者石井四郎ら責任者である医師たちは、戦後米軍に実験データを渡して免責され、ほとんどが沈黙したまま20世紀に没した。21世紀に生き残った語り部は、かつては実在さえ疑われたが、1957年から「房友会」という戦友会をつくり、いまや「留守名簿」などで公式にも存在が確認された少年兵たちであった。
本書は、731部隊の少年隊に絞って資料と証言を収集し、感受性豊かなこどもたちの眼から見た戦時日本の加害の実相を明らかにする。これまで断片的だった証言と記録がまとめて紹介され、少年隊の実態があばかれる。彼らは、医療補助や衛生技術を身につけられると信じて集められた。多くは農家の二・三男で高等小学校卒の優秀な児童たちだった。故郷ではたべたことのない白米に肉・魚の食事を与えられ、武道や祭りのイベントもあった。初歩的な医学教育や防護服はあったが、医師や上官の命じるままに、実験・解剖機器の洗浄やペストノミの飼育、敗戦時の証拠隠滅作業に使われた。「マルタ」の存在を知り、731部隊の真実を目撃した。
著者の表現では、「少年たちは驚いた。配属されたのは『衛生部隊』じゃなかったのか。頑張れば満州医科大学に入れると言ったじゃないか……。やがて、自分たちが選んだところが、細菌戦部隊であり、細菌兵器を開発し製造するための研究機関であることを知る。いうまでもなく人体実験が行われていたことも、である。だが、厳しい時間の流れの中で、部隊の教育が『死』を軽視する残忍性、もっといえば残酷さに自分たちが麻痺していくように方向性を定められ、少年たちは『残忍な行為』にも慣らされていく」。中国人妊婦の解剖、幼児の凍傷実験や梅毒を感染させるおぞましい性暴力の人体実験もあった。
731部隊については、1950年にソ連のハバロフスク裁判記録が日本語で出されたが、連合軍による極東軍事裁判直後で、共産主義プロパガンダとして無視された。1956年に秋山浩『特殊部隊七三一』が出たが、少年兵の匿名証言ゆえに信憑性が疑われた。細菌戦・人体実験が広く知られるようになるのは、1981年の森村誠一のベストセラー『悪魔の飽食』(光文社)刊行、常石敬一『消えた細菌戦部隊』での学術研究の開始以降だった。直接当事者の石井四郎以下軍医や技師たちはすでに没するか沈黙を続けた。戦後50年の1995年前後に一般兵士の手記・証言が各地の「731部隊展」などを通じて収集され、「いわて731展」では少年兵たちの座談会が記録されて本書収録の貴重な証言となった。
著者は日系四世のジャーナリストで、前著『満州天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶』は731部隊本部に隣接した天理教信者入植地に着目したユニークな問題提起だった。コロナ禍で森村誠一・常石敬一らが相次いで没し、731部隊研究も世代交代を迫られた。
著者は「あとがき」で、日本の女性国会議員が「八紘一宇」を肯定的に述べたのに「愕然とした」という。選択的夫婦別姓さえ認めない自民党政治では珍しくないが、在米生活が長い著者には驚きだった。今やその「八紘一宇」の女性議員が、こども担当国務大臣である。戦争体験継承・国際交流のためにも、生き残った少年兵の証言は貴重になった。
最近の西里扶甬子の研究では、少年隊の戦友会誌『房友』が153号まで確認できた。西山勝夫の発掘した「留守名簿」では、女性隊員382人の氏名がわかっている。本書の延長上でそれらにメスが入れば、731部隊研究の世代的継承が可能となる。若い研究者に期待したい。(かとう・てつろう=一橋大学名誉教授・政治学)
★エィミ・ツジモト=フリーランスの国際ジャーナリスト。米ワシントン州出身の日系四世。著書に『隠されたトモダチ作戦』など。
書籍
| 書籍名 | 七三一部隊「少年隊」の真実 |
| ISBN13 | 9784867221341 |
| ISBN10 | 4867221341 |
