新連載 滅びゆく惑星で 1
増田俊也
子供のころから、人類が滅亡するのは核戦争か小惑星の衝突、宇宙人の侵略あたりだろうと想像してきた。十年ほど前まではずっとそう思っていた。かなりリアルに想像していたものだ。
ところがここに来て、そういった痛みや血しぶきが飛ぶ派手な滅亡ではなく、もっと小さくて身近なもの――スマートフォンによって静かに滅んでいくのだということが見えてきた。この手のひらほどの小さな機器が、人類のあらゆる文化を根こそぎ奪っているのである。
これまでだって、何らかの道具や動力、機械の登場によって劇的に人類史が変わったことは何度もあった。例えば情報伝達や情報蓄積は、口承から文字へと変わり、やがて石や板に刻むようになった。それがペンと紙に変わり、さらに活版印刷へと変化していった。しかしそれは一本の線上にある変化だ。これがこうなりこうなってこうなる、と予想範囲内の発達であり、順当なステップアップであった。長距離の移動もそうである。徒歩から馬や駱駝になり、やがて蒸気機関車に変わり、ガソリン自動車に変わった。そして空を飛ぶプロペラ機へ、さらにジェットエンジンへと変化してきた。これもやはり一本の線上にある進化にすぎない。早く、遠くへ、より多く――そういう単一の方向へ人類は進んできたのである。
ところがスマートフォンはまるで違う。これは線ではなく面を、いや空間そのものを丸ごと歪めてしまった。電車や地下鉄のなかでまわりを見れば全員がスマホをいじっている。怖ろしい光景である。
情報伝達の道具でありながら、同時に娯楽であり、財布であり、地図であり、鏡であり、時計であり、記憶装置である。本棚が消え、アルバムが消え、手紙が消え、腕時計が消え、道を尋ねる声が消え、喫茶店で待ち合わせるあの緊張感も消えた。あらゆる分野の営みを一つの小さな板の中に吸い込み、そこでしか成立しないかたちに作り変えてしまった。わずか十年ほどである。紙の本を開いて物語世界へトリップする快感や、店先でレコードやCDを選ぶ愉しみはなくなってしまった。
スマートフォンそれ自体が牙を持って人間に嚙み付くとか、害のある化学物質を噴出するとか、そういう物理的な害があるわけではない。しかしこの小さな機械が人間のすべての空いた時間を完全に無くしてしまったのである。電車に乗るときに人びとは新聞や雑誌を競うようにして買って貪り読んだ。あるいはポケットや鞄にはいつも読みかけの文庫本が入っていて、歯科医の待合室や、布団に入ってから眠りに落ちるまでのちょっとした時間にそれを読んだ。カセットテープやCDで好きな音楽を聴きながら街を移動したりもした。そうした細切れの時間の中で営まれる小さな暇つぶしの集成である豊穣な文化を、スマホがひとつ残らず根こそぎ奪い去ってしまったのである。八十二億人の文化を雲散霧消させてしまった。
