災害とデマ
堀 潤著
岩内 章太郎
一般に、ジャーナリズムに課せられた使命として、世論の形成や権力の監視がある。しかし、SNSをはじめとするウェブ上のプラットフォームが発達し、誰もが情報を発信することができるようになった現代社会では、世論や権力のありかたが抜本的に変容した。たとえば、ひとたび著名人やインフルエンサーがSNSで政治的な発言をすれば、ただちにそれが世論の一翼を担うようになったし、週刊誌やワイドショーの報道がある種の権力性を帯びて、人を追い込むこともある。
この事態に追い打ちをかけるのは、感情的扇動や政治的おとぎ話が疑似現実を構成するようになった「ポストトゥルース」と呼ばれる時代の風潮だ。この時代の雰囲気に流されるように、フェイクニュースやデマ、生成AIを用いた噓の画像や動画がウェブの世界では蔓延る。そうして、私たちは何が事実なのかが分からなくなり、どの情報を信じればよいのかさえ見当がつかなくなる。
堀潤の新著『災害とデマ』は、このような時代にいかに情報の信頼性を確保しうるのかを、ジャーナリストとしての取材経験を引き合いに出しながら、丁寧に論じていく優れた仕事だ。堀は自分の問題意識を、こう書いている。「私は、デマそのものが人々を動かすことよりも、ある程度のリテラシーを身につけた人たちが『簡単に信じてはいけない』と情報から距離を置くことで、本当のSOSも遠ざけてしまうことに危機感を抱いています。それによって、ワンテンポもツーテンポも必要な支援が遅れていくことを実感しているからです」(三頁)。
この一文に、ジャーナリストとしての堀が直面している、ある種のジレンマを見て取ることができるだろう。一方では、人びとが情報リテラシーを身につけることで、フェイクニュースやデマから距離を置くことが可能になり、その拡散を防げるようになる。ところが、もう一方では、人びとがあらゆる情報に猜疑心を抱くようになると、現場から発せられる切実な声も聴こえなくなってしまい、本当に必要な支援やケアが遅れてしまう。
では、ジャーナリストは何をすべきなのか。それは、現場取材によって現場の事実を報道することだ、という。堀が提示するのは、ジャーナリズムの基本中の基本とさえ言える、極めてシンプルなテーゼである。
とりわけ、堀が注意を促すのは、災害で甚大な被害を受けながらも、その過酷な状況が社会に発信されにくい場所に住む人びとの声なき声である。何らかの災害が起きると、メディアは一斉に第一報を出すが、多くの場合、それは被害状況が分かりやすい地域や人びとの目を引きやすい情報に集中する。
だが、実際には、世間の注目を浴びない災害は少なくない。堀は、自らのSNSのアカウントを公開し、市民に広く情報提供を呼びかけながら、災害現場に足を運ぶことで、その実状を伝えようとする。『災害とデマ』では、被災者との接触の方法や会話の内容が具体的に報告されているが、このように伝えられる情報は、ポストトゥルースという虚像を越えて、期待や不安を抱きながら生きる人間の生活の実相を映し出している。
もちろん、堀のもとに寄せられる情報も玉石混淆であるに違いない。それぞれの情報の信憑性を吟味しながら、しかし同時に、迅速に発信していくのは並大抵のことではないだろう。しかし、だからこそ、堀が構想する新しいメディアの姿は、「多様性のあるチームでニュースを取材し、検証する」(二六五頁)ものだ。学者、政治家、当事者、市民、ジャーナリストが一つのチームをつくり、本当に助けを必要とする人びとが直面している事実を伝えよう、というのである。
顔を持たない「マス」を相手にするのではなく、人間性や生き様が滲み出た「顔」と向き合う。「小さな主語」で語るニュースを世界に発信していく堀の挑戦は、まだ始まったばかりだ。しかし、そういう強い覚悟をもった地道な報道姿勢が、フェイクニュースやデマに対抗する強力な手段になるということを、『災害とデマ』は鮮やかに示して見せている。(いわうち・しょうたろう=豊橋技術科学大学准教授・哲学・倫理学)
★ほり・じゅん=8bitNews代表理事・わたしをことばにする研究所代表・早稲田大学グローバル科学知融合研究所招聘研究員。二〇〇一年NHK入局、報道番組を担当。市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、二〇一三年NHK退局。現在はTOKYO MX「堀潤 Live Junction」のMCを務める。
書籍
書籍名 | 災害とデマ |