2026/06/12号 6面

機械ぎらい

機械ぎらい 速水 健朗著 栗原 裕一郎  子供たちを遊ばせるのに遠方の公園に行った帰り道、その近くのスーパーマーケットで買い物を済ませることにした。誰でも知る大手スーパーだが生活圏には店舗がなく、利用するのはずいぶん久し振りだった。  ご多分に漏れずスマホのアプリが用意されていた。アプリのクーポンで割引されるシステムで、「クーポンで○円引き!」といったビラがあちこちの棚に貼られている。  クーポンは何種類かあり、商品をカゴに入れるたびにクーポンを選択し……とやっていくわけだが、バナナで行き詰まった。クーポンが見つからないのである。  割引といってもたかだか数十円だ。無視してレジに向かえばいい。でも、どこかにたしかにあるはずのボタンを見つけられないのが癪だし悔しい。アプリのあらゆる場所を開いてみたが、結局クーポンは見つからなかった。気づくと十分ほども経っていた。数十円のために十分!  気持ちが収まらず、有人レジに行きクーポンが見つからない旨告げると、レジ係の人も首を捻っていたが、しばらくして「ああこれ!」とポンと正解を差し出した。  はたしてそれは、紙のクーポンであった。特売チラシからちぎるやつ。わかるかい!  個人的でつまらないエピソードを書き留めてみたのは、テクノロジーの発達により生み出されてしまった、日常で遭遇するそんな些細なつまずきが本書のテーマだからだ。  セルフレジを絶対に使いたくないという人がいる。うちの妻がそうだ。なんか嫌だという。私は、全部自分で済ませられるからむしろ気楽だし、操作に戸惑うなんてありえないと思っていたのだが、先のスーパーでの体験で少し考えが変わった。  思い返せば、ファミレスや居酒屋で支配的になってきた、タブレットでの注文や、ライン登録して自分のスマホから注文みたいな形態にもたしかに苛つかされている。ファストフード店のタッチパネル式券売機や注文機なんかもうざったい。  本書はその他にも、新技術によって不便になった例を次々に挙げていく。  部外者が訪れた際のオフィスビルのセキュリティ。レストランや映画、コンサート、美術館、遊園地、万博などの予約システム。ディズニーランドやディズニーシーのプライオリティパス。炊飯器やテレビリモコンなど家電製品の増殖する操作ボタンなどなど。  こうした装置やシステムに共通するのは、ユーザーの利便性や効率性の向上を目指しているはずのインターフェースが、ユーザーの負荷や手間を増やしてしまっているという逆説である。  著者が指摘する要因は大きく二つ。  一つは、かつては物理的な機械であった装置が、ソフトウェアに置き換わったこと。機械音痴でも物理的な仕組みであれば直感的に操作できる部分が大きかったし、洗練と淘汰でインターフェースにはある程度の共通性があった。  一方、ソフトウェアのシステムはユーザーにとって完全にブラックボックスであり、インターフェースは一向に洗練されない。お店の従業員に使いにくいと苦情を入れてもシステム開発者には届くまい。情弱と思われたり、場を白けさせるのも心外だ。そうして客は文句を言うのを諦め、不合理なシステムは温存される。  もう一つは、インターフェース設計自体がはらんでいる矛盾と困難である。設計には複数の専門家が関わり分業化されている。各々最適解を追求するが完全な合意はありえず、妥協の産物が世に出てしまう。そのため、一部の「改善」が全体に波及し、ユーザーの手間をかえって増やす羽目になったりする。  こうしたプロセスを著者は、アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーを援用して官僚制になぞらえる。  「現代のテクノロジー装置とは、実質的には官僚制そのものの焼き直しみたいなものだ。合理化や効率化を促すものだと多くの人々は信じて疑わないが、実際のところ人々の書類主義が生み出すのは、膨大な手続きと、ルールのためのルール増大である」。  その結果、インターフェースの操作は、ほとんど「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」に近似したというのである。  現代社会を覆うユーザーインターフェースと官僚制を接続したことは、グレーバーの議論の延長線上とはいえ、本書の卓見だろう。この認識の上で著者がこだわってみせるのは、エレベーターと押しボタンだ。  エレベーターを著者は「人類が生み出した、もっとも洗練され成熟した装置」と呼ぶ。エレベーターだってインターフェースはそれなりに複雑なのだけれど、誰にもそうと意識させない「空気のように身近なもの」だからだ。  押しボタンについては、著者自身が「あらためて読み返してみると、本書の大部分を占めているのは、明らかに押しボタンについての話である」と総括しているように、本書の最基底に流れている思想と言えよう。  もっとも単純な装置であったにもかかわらず、長押し、複数回押しといった新機能を負わされ、限界まで増殖させられ、複雑なシステムに組み込まれ、あげくいずれ消滅するかもしれない命運をたどっている押しボタンこそ、ヒューマンインターフェースの起点にして終点なのかもしれない。(くりはら・ゆういちろう=評論家)  ★はやみず・けんろう=ライター・ポッドキャスター。二〇二二年よりポッドキャスト「これはニュースではない」を配信。著書に『ラーメンと愛国』『ケータイ小説的。』『東京どこに住む?』など。一九七三年生。

書籍

書籍名 機械ぎらい
ISBN13 9784087214055
ISBN10 4087214052