2026/05/22号 4面

こころは遺伝する

こころは遺伝する ロバート・プロミン著 小野田 竜一  5歳の息子がサッカーに勤しんでいる。独特な動きでボールを追うようで追わない息子を見ていた妻が「あなたに似て落ち着きがないのね」と無遠慮に言った。私は妻に「君に似て優しい子に育ったね」と返した。妻はその皮肉に気づいていない。  子が親に似るのは遺伝の影響である。では、性格や言語能力、知能、精神疾患といった心理的特性に対して遺伝的な要因(生まれ)と環境的な要因(育ち)はどの程度影響するのか。行動遺伝学はこの問いに対して定量的な解答を与えてきた。例えば、各特性に対する遺伝的寄与の大きさを示す遺伝率は、性格で40%、言語能力など様々な能力で60~70%だと特定されている。本書の著者は行動遺伝学を牽引してきた大家であり、その成果を結実させた本書は紛れもない名著である。  第1、2章では、遺伝的影響・環境的影響を切り離す2つの手法が主に解説される。1つは養子縁組法で、遺伝的要因を共有するが環境的要因を共有しない親族間の類似性から遺伝の影響を調べる方法である。もう1つは双生児法で、遺伝的に同一な一卵性双生児と、平均的に50%のみ共有する二卵性双生児の類似度から遺伝的寄与を特定する方法である。著者は1500万組近いふたごの18000種類の形質という膨大なデータを検討し、あらゆる心理的形質に大きな遺伝的影響があることを確認している。  第3章では、従来環境要因とされていたものに対しても遺伝の影響があることが示されている。離婚や友人関係の形成、社会的支援、家庭環境などにも遺伝は大きな影響を与える。例えば、離婚の遺伝率は40%であると報告されている。これらのライフイベントや家庭環境に様々な心理的要因が影響を与えるが、その影響力の半分程度は遺伝的個人差に由来しているからである。つまり、環境要因には社会環境だけが寄与しているのではなく、個人の遺伝も寄与している。この結果は心理学に対して大きな衝撃を与えるだろう。  さらに第9章では、遺伝以外の要因に関しては、系統的な差が出ず、偶発的な個人的経験によってもたらされると説明されている。つまり、安定的かつ大きな個人差を生み出す主因は遺伝のみだと著者は断言する。  以上のように本書の内容は「生まれか育ちか」、「優生学」、「完全平等」といった社会科学ではしばしばタブーとされてきた問題に科学のメスを入れている。双生児法などによる統計的解析によって、様々な対象に対する遺伝率を厳密に特定し、その現実を我々に突き付ける。「科学的な手法によって物事の真実を突き付ける」というのは科学研究の重要な役割である。それにより、タブーに切り込み、誤った常識や偏った思想による判断を正すことができる。本書はその意義を示すお手本のような内容を成している。  最後に私の専門である社会心理学との関連に触れたい。これまで社会心理学は人々の心理的性質に多くの社会・文化的な差異があることを発見している。例えば、アメリカ人と日本人では様々な認知特性や心理・行動特性に差異があることが実験や調査で示されている。その差異は、社会・文化環境と遺伝子が共に進化してきたことが原因であるという説がある(石井、2025)。人々が作り出した社会環境が遺伝子に影響を与え、さらに、遺伝的影響が人々の心理的性質に加わり、また、社会環境を作るという循環的な相互影響関係が生じる。その相互影響によって人々の社会・文化的な差異が生み出されている可能性がある。こうした探究においても、それぞれの心理的特性に対して、遺伝的要因や偶発的に生じる個人的要因がどの程度寄与しているのか、どのような遺伝子がどの程度影響を与えるのかを探究することは重要な手がかりとなるだろう。このように本書は他分野にも大きな影響を与える学際性を持つ。  ふとサッカーをしている息子に目を戻すと、彼はいつの間にかサッカーそっちのけでコーチに話しかけていた。そんなところも私によく似ている。(田中文訳)(おのだ・りょういち=大東文化大学講師・社会心理学・人間行動遺伝学)  ★ロバート・プロミン=アメリカ/イギリスの行動遺伝学者。キングス・カレッジ・ロンドン精神医学研究所教授。アメリカ芸術科学アカデミーなどに選出。一九四八年生。

書籍

書籍名 こころは遺伝する
ISBN13 9784309310039
ISBN10 4309310036