精神療法を組み立てる
林 直樹著
柴山 雅俊
精神科臨床の日常業務はなかなかしんどいものである。社会全体が多様化し、規範も複雑になるなかで、治療者は進むべき方向を見失いやすい。そこに精神科臨床特有の疲弊が重なる。虐待、いじめ、差別、自殺などは、本来、精神科医療だけで解決できる問題ではない。それにもかかわらず、あたかも医療の管理によって対処できるかのように社会からの要請が、治療者に向けられる。こうした他者からのまなざしに対して、治療者はどのように応じるべきだろうか。
第Ⅰ部は「精神療法の土台を考える」である。著者は、現代社会において求められる精神療法の基本について、いくつかの観点をあげている。
・治療関係は、相互に理解し合い、影響を及ぼし合う対等の関係を基本とする。
・治療者は、専門家として社会から負託されている職務を果たすべき存在である。
・治療者は、患者と苦しみを共有する者として関わることが課題である。
・治療者は、治療の内容や段取りを、患者や社会にできるだけ開示すべきである。
本書は、これらを骨子として、精神療法とその倫理を組み立てようとするものである。ここにみられる医療スタッフと患者との相互的で対等なパートナーシップという主題は、本書全体の通奏低音として響いている。
第Ⅱ部「精神療法を進める」では、より具体的な精神療法の進め方が紹介されている。まずイールズのケースフォーミュレーションを取り上げ、情報収集、仮説作成、患者との仮説共有という三つの機能が説明される。そこでは仮説の作成過程が明示され、それが患者との検討に供される。ここには患者との理解の共有を促進しようとする姿勢、理論間の壁を越えて共有可能な理解を追求しようとする姿勢があると著者はいう。重要な指摘である。この章を読むことで、著者の精神療法を具体的に把握できるであろう。また著者による簡にして要を得た表は理解の役に立つ。
第Ⅲ部は「精神療法の姿それぞれ」である。かつて精神病理学では、内因性の統合失調症や気分障害が論じられることが多かったが、今日ではその在り方も変化しているともされる。ここでは統合失調症のほかに、不安・パニック、暴力、自殺、パーソナリティ症など、現代社会の苦悩を反映した病態が中心に取り上げられている。境界例、リストカット、パーソナリティ症などに関する優れた著作を出版されてきた著者ならではの内容となっている。
第Ⅳ部は「精神療法をめぐる省察」である。肩の凝らない、しかし内容豊かな章である。「叱ることには断固反対です」「即興的コラボレーションとしての精神科面接(初出は「要するに、先生は私が死んでもかまわないって考えているわけですね」)」など、魅力的なタイトルが並ぶ。気軽に読める精神療法のエッセイであるが、内容は濃く、腑に落ちる箇所も少なくない。なかでも「叱ることには断固反対です」では、「叱る」こと、「褒める」ことにまつわる考えが丁寧に綴られている。精神科臨床においては、上下関係のしがらみから離れたストレートな表現、たとえば「怒る」ことが有効であることにも触れている。
また、著者の師である安永浩先生の「パターン逆転」「ファントム空間論」「境界例の治療」「姿勢覚」などについても、わかりやすい解説がある。これらは精神医学を越えて、さまざまな領域の問題を整理する際の手がかりになるであろう。
評者の関心からすれば、本書にひとつ望みたいのは、トラウマ臨床における精神療法である。著者は第Ⅰ部で、現代的な視点から精神療法の倫理を見直す必要性を指摘し、そのなかで『存在の彼方へ』を説くレヴィナスと、倫理的転回で知られるオレンジを紹介している。レヴィナスは、自己に先立って現れる他者の顔が、私を傷ついた他者への責任へと開くと考えた。オレンジは、患者を対象として理解する前に、傷ついた他者として応答することの重要性を説いた。両者の議論は、他者の傷つきへの応答という点で、本書の倫理論と深く響き合っている。
第Ⅳ部の最後には、多重人格という障害のために無罪(今日ではありえない)となったビリー・ミリガンに関する論考が掲載されている。多重人格障害の発症はトラウマが関連すると言われているが、本書ではトラウマについてあまり議論されていない。
解離症にはさまざまな現れ方がある。たとえば、派手で周囲の目を引く症状を呈し、ときに攻撃的な態度が前景化することもある。自ら人格交代や健忘を強く訴えることも少なくない。ミリガンの症例はこうした群に含められよう。以前はこうした劇的な症例が多かった。これに対して現代の解離臨床では、劇的な行動化は目立たないが、本人の内側で自己感や主体感が変化したり、慢性化した離人症や希死念慮が持続したりする微細なケースが多い。彼らは、ミリガンのように自ら健忘や人格交代を訴えるのではなく、それらの出現に困惑しているようにも見える。こうした症例では、トラウマ体験もかつての解離症とは異なっているかもしれない。
今後、機会があれば、著者のトラウマの精神療法についての論文を読んでみたい。そうすることで、著者のいう精神療法の全体像と倫理をより立体的に把握できると思うからである。(もしかすると、すでに出版の準備を進めておられるかもしれない。)
本書は、単なる精神病理学や精神療法技法の解説書ではない。タイトルにあるように、『精神療法を組み立てる』ための土台をつくる本である。各章を読み進めるうちに、しだいに著者の臨床が伝わってきて、自分のなかにも土台が形づくられていくように感じられた。精神科医療のみならず、教育、福祉、カウンセリングに携わる人々の支えとなる一冊である。ぜひ手に取って味わっていただきたい。(しばやま・まさとし=精神科医)
★はやし・なおき=精神科医。専門は精神病理学。著書に『境界例の精神病理と精神療法』『心理療法のケースをどう読むか?』など。一九五五年生。
書籍
| 書籍名 | 精神療法を組み立てる |
| ISBN13 | 9784772421744 |
| ISBN10 | 4772421742 |
