追悼=瀬地山 角
ジェンダー論を学問へ
福永 玄弥
去る6月17日、瀬地山角氏が急逝した。急性虚血性心疾患による、あまりに突然の死であった。62歳だった。近く会う約束を交わしていた私は、いまだ現実のこととして受けとめきれない。本稿では、瀬地山氏が切り拓いたジェンダー研究の功績と、その教育活動、そして後進に遺したものを記しておきたい。
瀬地山氏は1963年に奈良県に生まれ、東京大学教養学部相関社会科学コースを卒業後、同大学院総合文化研究科に進学。北海道大学文学部助手を経て、1994年より東京大学で教鞭をとった。青年期以降の多くの時間を駒場キャンパスで過ごしたことになる。専門はジェンダー研究、社会学である。
瀬地山氏の主著は『東アジアの家父長制――ジェンダーの比較社会学』(勁草書房、1996年)である。同書は、近代東アジアに広く影響を及ぼした文化規範としての儒教と、社会体制としての資本主義/社会主義という変数に焦点を当て、日本、中国、台湾、韓国、北朝鮮という5つの社会における家父長制の類型を析出した労作である。その貢献は、家父長制を家族や文化の問題に閉じず、労働、国家、社会体制の編成として実証的に分析したことにある。さらに同書は、「東アジア」を単なる地理的カテゴリーではなく、比較社会学の分析単位として成立させた。東アジアを西洋理論の適用例に位置づけるのではなく、東アジアからジェンダーの比較社会学を立ちあげたのである。英語版(2013年)、韓国語版(2024年)に続き、中国語版(近刊)の刊行も準備されていたことは、その研究成果がいまなお東アジアの読者に開かれていることを示している。
同書のあとがきには、大学院時代、指導教官から「フェミニズムでは就職はなかなかないから、他の分野の論文も書けるように」と言われたというエピソードが記されている。当時、ジェンダー研究もフェミニズムも学問として認知されているとは言いがたかった。だからこそ瀬地山氏は、ジェンダー研究を、運動の水準にとどめず、「学問としてしっかりしたものにしたい」と考えた。それは本人の言葉を借りれば、「研究者という職業を選択した人間の意地」であった(342頁)。
私自身も、その先駆的な仕事に導かれた一人である。日本語と英語に加え、中国語と韓国語にも通じた瀬地山氏の比較研究は、東アジアのクィア政治を学術的に研究する道を私に示してくれた。私は瀬地山氏を主査として博士論文を書き、それをもとに『性/生をめぐる闘争――台湾と韓国における性的マイノリティの政治と運動』(明石書店、2025年)を刊行した。
瀬地山氏の問題意識は、教育や生活をも貫いていた。男女共同参画社会基本法の成立に後押しされて、瀬地山氏は東大教養学部に「ジェンダー論」を開講した。それから20年を経たいまも、毎年千人弱の学生を惹きつける「東大一の人気講義」(日本テレビ「世界一受けたい授業」)となっている。首都圏の中高一貫校や進学校を背景に持つ社会的資源に恵まれた学生、とりわけ男性学生が多いという東大の構成を念頭に置きながら、瀬地山氏は東大生のジェンダー意識の偏りと向き合い続けた。その成果は『お笑いジェンダー論』(勁草書房、2001年)に結実した。瀬地山氏にとって笑いは単なる話術でなく、マジョリティの学生を防御的にさせず、しかし問いから逃さないための教育技法であった。ゼミ生を新宿二丁目のコミュニティセンター「akta」に連れて行き、セックスワーカーの労働権を擁護する活動家をゼミに招聘するなど、教育活動において社会運動との接点も重視した。
瀬地山氏は全国各地に講演に出かけた。「子育てで男性にできないことはない」と語り、「ノーベル賞を二つあげると言われても、盆と正月以外は研究室にいる生活をしたかったとは思わない」としばしば口にしていた。自身が「男女雇用機会均等法第一世代の男性研究者」であることを常に意識していた。駒場キャンパス内の保育所の理事を20年以上務めたことも、その延長にある。そうした制度的基盤は、子どもを育てながら学び、研究に従事する後進の生活を支えている。
東大教養学部では2022年にD&I部門が設置され、フェミニズムやクィア研究、障害学、植民地主義研究など、多様なD&I科目が展開されている。その地層の深いところに、瀬地山氏が20年以上かけて耕した土がある。急逝により、私は今年度の「ジェンダー論」を引き継ぐことになった。遺された学生たちと共に瀬地山「ジェンダー論」を学期末まで完走させ、次年度以降へと繫げていくことは、その仕事が切り拓いてきた問いを、これからの駒場の教養教育のなかで引き受け直すことにほかならない。(ふくなが・げんや=東京大学准教授・社会学・クィア研究)
せちやま・かく=社会学者。二〇二六年六月十七日死去。六二歳。
一九六三年生。東京大学大学院教授。主に東アジアにおけるジェンダーの比較研究に取り組む。著書に『炎上CMでよみとくジェンダー論』、編著に『ジェンダーとセクシュアリティで見る東アジア』など。
